オズグッド・パーキンス監督 『ロングレッグス』 : 悪くはないが個性に欠ける
映画評:オズグッド・パーキンス監督『ロングレッグス』(2024年/アメリカ映画)
本作に関しては、別の映画を見に行った際に予告編を見ており、かなりヒットしたサイコホラーであるということくらいは知っていた。その予告編には『全米興収No.1』とか『この10年でいちばん怖い映画』といった評価が紹介されている。
まあ、『全米興収No.1』というのは、かなり眉唾で鵜呑みにはできない。「どの範囲で、何を基準に」ということがあるからだ。
一方『この10年でいちばん怖い映画』というのも、そのように評価した人がいるというだけで、見た人全員がそう思ったわけでは当然ない。ましてや、「怖い」と言われるホラー映画を見て、ほとんど怖いと思ったことのない私は「どの程度、怖いのかねえ(たぶん私なら怖くないだろうけど)」と、そんなちょっと「上から目線」において、多少の興味は持った作品であった。

とは言っても、それだけ(怖さを確かめるためだけ)のために、わざわざ映画館まで出向く気もなかったのだが、友人が本作『ロングレッグス』を見に行き、聞かせてくれたその感想に興味を持った。
ミステリファンであるその友人は、本作を「ミステリー映画」だと思い込んで見に行き、しかしそれが苦手なホラー映画だったために、あまり、ちゃんと見られなかったと言うのだ。
けれどもパンフレットを読んでみると「キリスト教に関わる描写のある作品」だったとわかり、それで、キリスト教について知識のある「あなたなら楽しめたかもしれない」とそう言われたので、では「そのあたりに注目して見てみるか」という気になり、別のキリスト教系映画と併せて見に行くことにしたのである。
で、結果から言えば本作『ロングレッグス』は、
(1)まずまずの出来だが、オリジナリティに欠ける(どこかで見たようなシーンや要素が多すぎる)
(2)個人的には、ぜんぜん怖くなかった(突然、音でバーン!とやられて、ビックリするシーンは2箇所ほどあった)
(3)キリスト教的な知識がないと楽しめないような内容ではなかった。
というような作品だった。
ある程度「ネタバレ」的になってはしまうが、公式ホームページですでに紹介されていることなので説明してしまうが、本作は、基本的には「ミステリー映画」ではない。
つまり、「論理的」に「事件の謎」が解けるような作品ではなく、せいぜいが「サイコホラー」であり、しかもそこに「オカルト」が絡むから、とうてい「ミステリー映画」とは呼べない作品なのだ。「(犯罪)事件もの」だから「ミステリー映画」だとでも、すごくゆるく考えないかぎりは。
で、これは、公式ホームページ(や、たぶん映画パンフレット)に寄せられている、次のような識者コメント(黒沢清、清水崇、近藤亮太、尾崎世界観、品川ヒロシほか)のとおりである。
『子どもの頃通っていたレンタルビデオ屋に「こわい棚」があった。サイコスリラー、オカルト、心霊。
全部まとめて異様な障気を放つそのコーナーを恐れつつ惹かれていた。あの一角まるごとが一本の映画になったような映画が『ロングレッグス』だった。
濃縮された悪意であり恐怖を描くジャンル横断型映画。好きです。
一一近藤亮太 (映画監督)』
そして(1)の『まずまずの出来だが、オリジナリティに欠ける(どこかで見たようなシーンや要素が多すぎる)』という点についても、次のコメントのとおりだ。
『研ぎ澄まされたビジュアルとサウンド、荒唐無稽な厨二病じみた狂気!
本作が孕んだ狂気は、日本の観客の多くを迷宮の闇へと誘うだろう。
『羊たちの沈黙』×『シャイニング』×『セブン』×『ゾディアック』...
明らかに影響を感じる映画はたくさんあるが、
この妙に映画偏差値の高そうなホラーを印象のままに受け止めてはいけない。
陰鬱とした空気に宿る闇の正体は厨二病のそれに似ている...
その意味では『ゲットアウト』なども入ってくるかもしれない。
T.Rex の“Get It On”が本作で初めての方は一生この印象に囚われるかもしれない。
難解に捉える必要は無い...厨二病から始まる逃れようのない自我の嵐、
人の心と身体に宿る正体不明の闇そのものが化け物であり、恐怖なのだ。
一一清水崇 (映画監督)』
(2)の『個人的には、ぜんぜん怖くなかった(突然、音でバーン!とやられて、ビックリするシーンは2箇所ほどあった)』という点についても、上の清水崇が指摘する『ビジュアルとサウンド』によるところのものだ。
無論、映画は『ビジュアルとサウンド』で出来ているのだから、どのシーンであれそれは同じで、ここで清水が言うのも、本作全体の「怪しい雰囲気」が『ビジュアルとサウンド』によってよく表現されているという趣旨のことなのだが、私としては、そっち的には、さほど怖くはなく「まあ、こんなところだろう」という感じだったので、特に印象に残ったのは、「バーン!」というようなサウンドと同時になされる、カットの切り替えによる(いかなり背後から「わっ!」とやるがごとき)部分しか、驚かされはしなかったのだ。

(3)の『キリスト教的な知識がないと楽しめないような要素は、ほとんどなかった。』については、「キリスト教」国の作品ならではといった描写は、せいぜい「連続殺人犯の共犯者が、シスターに変装する」のと、ヒロインが、ホラー映画では定番の「黙示録」(聖書)の一節を引用するくらいのものであった。
あとは、殊更に「聖書」を踏まえた描写らしきものなどは無く、あくまでもかつての傑作ホラー映画の影響を受けたシーンばかりが目についたのだ。
そんなわけで、もうひとつ種明かしをすれば、本作が『全米興収No.1』というのは、やはり、次のような意味のものであった。
『2024年7月12日にネオン(※ 独立系映画の配給会社?)によって米国で公開された。全世界で1億250万ドルの興行収入を上げ、ネオンの国内最高興行収入映画となり、その年の独立系映画としては最高興行収入を記録した。』
(Wikipedia『ロングレッグス』)
つまり、あくまでも『その年の独立系映画としては国内最高興行収入』だった、ということであり、「ノンジャンルでNo.1」だったわけでも「メジャー映画と伍してNo.1」だったわけでもないのである。
ただ本作は、過去のホラー映画の傑作に比べれば「オリジナリティを欠く」としても、ホラー映画としてはかなりきちんと撮れていて、安っぽさを感じさせるようなところは無かった。
だからその点では、撮影監督の力量もあろうが、オズグッド・パーキンス監督の「絵づくり」に関する手堅い力量は、認めても良いと思う。
また、どこで読んだのかは忘れたが、このオズグッド・パーキンス監督、アルフレッド・ヒッチコック監督の代表作ホラー『サイコ』(1960年)で主演を務めた俳優アンソニー・パーキンスの「息子」さんだそうなのだが、公式ホームページにも「Wikipedia」でも、そのことには触れておらず、たぶん当人が意識的に、それを宣伝に使うのを避けているのだろうというのが窺えて、その点では好感が持てた。「2世映画関係者」としては、ちゃんと「自力のある人」だと評価し得たのである。
あと、最近その主演作が話題となることの多いニコラス・ケイジが、本作で初めて猟奇殺人犯を演じて、その「怪演」が話題になっている点についてだが、その連続殺人鬼「ロングレッグス」(本名:ダル・コブル)は、完全に頭がイカれた、白塗りの女装(?)の巨漢であり、しかもその顔は「付け鼻」などの特殊メイクでかなりいじられているので、そうだと知っていなければ、ニコラス・ケイジだとはわからないほど。
だから、たしかに怪演は怪演だが、もう少し細かい表情の演技が見たかったし、その点では、結局は見に行かなかった、昨年公開のホラー映画『ドリーム・シナリオ』の方が、見応えがあったかもしれない、などと考えたりもした。


本作の欠点としては、前述のとおり、根本的なところでは、オリジナリティに欠けるというのと、そのほかに「雰囲気」は出ているが、「細かいところで詰めが甘い」ということもある。
本作で描かれる「連続一家殺害事件」の特徴は、その家に住む「夫・妻・子」の全員が殺されるというものだが、その「直接の犯人」は、その家族の一員であり、つまり「家族を殺してから、自分も自殺する」という事件で、それが不連続的に発生したものである。
つまり、犯人は別々であり、普通に考えれば「連続殺人事件」だとは認定されないのだが、しかし、この一連の事件の共通点として、事件現場に、「真犯人」と思しき「ロングレッグス」を名乗る人物の「犯行声明文」が残されており、その筆跡が完全に一致していたためなのだ。
したがって、「直接手を下した犯人」は別々だとしても、その背後で糸を引いた(直接犯を操った?)真犯人「ロングレッグス」が存在するはずであり、また事件現場の周辺では、事件前に「白人の大男を見た」という目撃情報が寄せられているのである。そのため、本件を捜査する「FBI」(連邦捜査局)は、郊外の一戸建て住宅を中心に、聞き込み捜査を行った。
一一で、本作の「詰めが甘い」というのは、その聞き込みシーンの描写なのだ。
FBIのオフィスでは、数十人の捜査員が集められて、聞き込みの「地割り」(担当地区の割り振り)が行われており、その中にはヒロインの「リー・ハーカー」もいる。
捜査員の前に立って指示を出している上司は、捜査官たちに「犯人は、いきなり発砲してくるかもしれないので、聞き込みにあたってはその点を十分に留意するように」と、まあアメリカらしい「注意」を与えている。
この事件に関して言えば、なんでそう考えるのか、その根拠は不明なのだが、アメリカの凶悪犯であれば、そのくらい警戒していて当然なのかも知れず、一般的な注意事項としてなら理解できないものでもない。


さて、そんな指示を受けたあと、リーは相棒の男性捜査官と二人で、郊外のひっそりした住宅街を訪れる。
二人が車からおりると、男性捜査官の方が、手近な家を指して「まずこの家から行こうか。俺が話を聞くから、君は様子を見ててくれ」と、リーに指示する。たぶん、先輩なのだろう。しかし、リーはその言葉が聞こえているのかいないのか、あらぬ方を見ていて、心ここにない様子。
それに気づいた男性捜査官が「どうかしたのか?」と尋ねると、リーは、別の住居を指さして「犯人はここにいます。危険だから、すぐに応援を求めて、それから踏み込みましょう」と言う。
しかし、男性捜査官は「ちょっと待ってくれ、どうしてそんなことがわかるんだ? 勘か? でもそんなことで応援は呼べないよ。なら、俺が聞き込みをしてくるから、ちょっと待っててくれ」と言って、リーが指さした家の方へ行き、玄関のインターフォンを押す。その間リーの方は車のそばで、ぼーっとしたような様子で相棒の様子を見ている。
そして、その家の玄関ドアが開き、男性捜査官が「FBIの者です。ちょっと、お話を…」と言った途端に、ズドンとやられてしまう。もちろん即死だ。
そうなって初めて、リーは相棒のところへ駆け寄ったが、もう遅い。
リーは、この家の住人が犯人だと確信し、拳銃を構えて、「FBIです。武器を捨てて、出てきなさい!」と警告を発しながら、一人でその住宅の中へ入っていき、寝室のベッドに背を向けて座っている、犯人と思しき男を見つけるのである。
さて、以上のシーンで、普通に考えて「不自然」なのは、リーは「この家に犯人があるから、応援を求めてから踏み込もう」と相棒の男性捜査官に助言しておきながら、その男性捜査官がその住宅へ聞き込みに行くと、彼のバックアップにあたることもなくボーッとしており、案の定、相棒が殺されてしまう、という展開。
それから、「応援を求めよう」と言っておきながら、現に相棒が目の前で射殺されたにも関わらず、応援を求めることもなく、一人で犯人のいる住宅の中に入っていく、という点である。
このシーンを見ると、結局「地割り会議」で上司が「いきなり撃ってくるかもしれないから注意しろ」と言ったのも、「作品世界」的に具体的な根拠があってのことではなく、こうした後の展開を踏まえた上での、「無理のある伏線」だったとしか思えないのだ。
そのほかに、無理のある点としては、
・「連続一家殺害事件」の、ある被害現場では、発見が遅れたせいで、すでに家族の遺体は腐敗が進んでおり、かなりひどい状態(ウジが湧いてドロドロの状態)になっていたのだが、その遺体をリーに見せるのに、年配の女性捜査官が「大丈夫?」などと気遣いをしていた点。
FBIの捜査官なら、いくら4年目くらいの女性捜査官でも、腐乱死体くらいでいちいち臆したりはしないだろう。
このあたりの描写は、刑事もののドラマではありがちなこととは言え、あるいは、本作の「観客」に心の準備をさせるためのものだとは言え、リアリティが無く、素人くさい演出である。

・それまで、変わり者であるリー捜査官に「理解のある上司」風に描かれていたカーター捜査官が、すでにFBIに身柄を拘束されていた「ロングレッグス」ことダル・コブルについて、当のダルの求めに応じて、リーが一人で取調室に入れた際、ダルの一方的な話を聞かされた後、いきなりダルが、自分で自分の頭を目の前の机に何度も叩きつけて自殺してしまったことについて、カーターが「みすみす犯人を死なせてしまった」と「リーを責める」とか、リーの共犯存在説を「けんもほろろに否定する」といった「態度の急変」には、まったく説得力が無い、という点。
ただ私は、その「不自然な(演出の)変化」を見て「ああ、この人(カーター)は殺されるな」と察することになったのである。明らかに「死亡フラッグ」が立っていたのだ。
また、この事件の主犯であるダルは、共犯として「シスターに変装した女性」を使うのだが、その女性が、じつは「リーの母親」であったことが、物語終盤で明かされる。
では、どうしてダルが、リーの母親を共犯者にすることが出来たのかというと、リーがまだ幼かった昔に、ダルがリーの家を襲おうとしたのだが、それを阻止しようとした母親に「娘の命を助けてやるかわりに、俺の言うとおりにしろ。そうでないと、俺は何度でも戻ってきて、この娘をさらっていくぞ」と脅したことで、介護士であった母親を屈服させ、彼女を共犯者として使役するようになったのである。


ところが、共犯者になった母親は、その後ダルに洗脳されたのか、ダルが言うところの「地下の男=悪魔」の存在を、いつの間にか信じるようになっている。作中の「現在時」においては、リーの母親は、すっかり「悪魔」の存在を信じている様子なのだ。
で、彼女(リーの母親)の役割とは、もともとは優れた人形師であったダルの作った「等身大の子供の人形」を、標的として選んだ家に、シスターを装って「娘さん(息子さん)が教会から、お誕生日プレゼントの対象に選ばれました」と言って、その人形を届ける役目だったのである。

で、この人形というのが、いわゆる「呪いの込められた人形」で、外見こそその家の子供そっくりに作られているのだが、その頭部には、中が空洞の「金属球」が収められており、どうやらそこに「呪い」が封じ込められていて、この人形を家の中に入れた家族は、だんだんその影響で頭がおかしくなって、家族を殺し始めるという寸法なのである。

だが、もともと「宗教信者」でも何でもなかったらしいリーの母親が、そんな荒唐無稽な経験をしたとしても、それで「悪魔崇拝」者になってしまうというのは、どこか無理がある。
もともとは娘の身の安全のために、やむなくダルに協力を誓ったのだがら、いったんはダルに協力したとしても、普通ならダルから娘を遠ざけた後で、警察なり教会なりに助けを求めるのではないだろうか。
つまり、そのあたりの「心境の変化」が、ほとんど描かれておらず、何となく「彼女も悪魔に憑かれた、ということなのかな?」というだけの、ヌルい人物描写なのだ。


また、そもそも「ダルの悪魔信仰って何?」という感じで、そのあたりの具体的な説明もない。
ただ単に「頭のおかしい、見るからに変質者の大男が、なぜだか悪魔信仰にハマっており、また実際にその呪いを使う力も持っている」ようだ、という漠然たる描写でしかないのだ。
だから「悪魔信仰」とは縁のない、それを映画の中で見ることくらいしかない「日本人」には、この映画は「説得力に欠ける」という印象しか持てないのである。
だが、それにも関わらず、本作がそれなりに「ヒットした」のは、なぜだろうか?
私が思うにそれは、今のアメリカが、「不安神経症」的な状態にあり、ドナルド・トランプを支持する陰謀論者集団「Qアノン」に代表されるように、「陰謀論」的な妄想を抱えがちだからなのではないだろうか?
つまり、どこかで誰かが「悪意ある陰謀を企んでおり、私たちに害をなそうとしている」というような「被害妄想」的な気分である。
それがあるから、本作の「悪魔崇拝」的なものについても、今のアメリカ人の一部は、リアリティを感じることができるのではないか。
ヒロインであるリーのFBIの上司、黒人捜査官カーターのオフィスの壁には、「ビル・クリントン大統領」の肖像写真が掲げられているが、このことからもわかるとおり、本作の時代背景は「1993年〜2001年」の時期である。
で、リーが、「連続一家殺害事件」について「共犯の存在」を訴えたところ、カーターは「マンソン・ファミリーみたいな仲間がいるというのか?」と問い返したように、本作にはどこか、「懐古趣味」的なものが感じられる。
チャールズ・マンソンとその信者がひきおこした「シャロン・テート殺害事件」などの一連の事件は「1968年」のことで、本作の時代設定とはかなりズレがあるものの、しかし、本作の公開された「2024年」時のアメリカの観客にとっては、「昔」ということでは、どちらも大差がないのかも知れない。
何となく「あの時代」のイメージから来る「不安」と似たようなものを、今の時代にも感じているのかも知れない。
そして、そんな一部のアメリカ人が、「陰謀論」的にもなれば、本作の「悪魔崇拝」的な心性に「リアリティ」を感じた結果、本作をそれなりにヒットさせた、ということなのではないだろうか。
ちなみにタイトルの『ロングレッグス』というのは、犯人のダルの「脚が長い」ということではなく、これはジーン・ウェブスターによる児童文学の名作『あしながおじさん』を踏まえたものである。
要は「正体不明の男性が、少女の成長を遠くで見守る」お話、ということなのだ。
すでに多くの人が指摘しているとおり、本作は、ホラー版『あしながおじさん』なのである。

(2024年4月13日)
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