どうして弱者ほど自己責任論が大好きなのか?
漫画「みいちゃんと山田さん」については、以前にnoteで少しだけ触れている。
とりあえず1巻を買って読んでみたが、どうも合わなくて結局2巻に行けなかった。なんというか、この漫画が提示する問題について、僕が深く考えたりする必要はない気がしたのだ。
本来であれば、あきらかに社会的支援の手を差し伸べられるべき人物が、そこから漏れる形で人生を送ってしまっている。
幸いなことに(幸いといって良いと思う)、僕の周りにはそのような人はいない(借金でトびそうな親戚はいる)。また、これまでの人生でもいなかった、と思う。もちろん、顧客ではそれに近い人はいたが、所詮は仕事上の関係性でしかない。
これは、以前に鈴木大介氏の著書「最貧困女子」を読んだときにも感じたことだ。
あまりに自分から遠い話すぎて、どうも身に染みる感じがしなかった。そんな僕が、最貧困女子と呼ばれる人たちついてに何かを書くのも、考えることさえも失礼な気がした。
「そういう人もいるんだよな」
それで片付けるのが礼儀である。そんな気がしていた。
余談だが、著者の鈴木氏はその後高次脳機能障害となり、下記の「貧困と脳」を出版している。
鈴木氏は、最貧困女子達を取材し書籍にまでしたが、「なんで行政手続きをしないのだろう。絶対に得なのに」と彼女たちに疑問を抱いていたそうだ。脳に障害を負ってから、当事者となってから、その気持ちをやっと理解できたと書いている。
これ系の問題からは距離を置く。そのほうがいい。そう思っていたところに、あるポストが飛び込んできた。

「ああ、これは典型的な弱者思考だなあ……」
そう思っていたら、ど真ん中のポストが続けられていた。

これなんだよ。弱者が自らを弱者に釘付けにする間違った価値観は。
これについては、黙ってはいられない。
自己責任、自業自得。
この国では、なぜか弱者ほど不利になる概念を、弱者ほど好む傾向がある。
その結果、自らを弱者に据え置くことに極めて無自覚だ。
自己責任と自業自得を、ド派手に間違って認識している。
これを語る人は意外と少ない。
必要なのは、自己責任と自業自得のステージが、弱者とそうでない人とはまるで違うことへの理解だ。
+++++++
自己責任と自業自得には、どこか「潔さ」を感じる。もっとポジティブな表現をすれば「高潔」とも言えるだろうか。
自分が行ったことについて発生した物事を、プラスもマイナスも引き受ける。これが自己責任だ。とてもわかりやすいので、誰だって理解できる。
自己責任は、特に社会人と相性が良いので、大なり小なりどの組織でも通底する概念になっている。
仕事ができるかどうかは個人の責任とされ、だからこそ給与に反映される。仕事ができないことを異動など会社のせいにする人もいるが、大きく支持されることはなく「言い訳ばかりのカス野郎」と思われるのが普通だ。
自分の責任領域で発生したことは、自分で引き受ける。それを約束できないと、社会や会社のフルメンバーとして認められない。これは極めてシンプルかつ根源的な理論なので、誰でも理解できる。というか、理解できてしまう。
だが、「理解」と「解釈」は別の話だ。
この「解釈」の部分で、弱者と強者との間で壮大な齟齬が発生している。
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