#16 サドルポイント(鞍点)の安らぎ
対象: 理想と現実の間で悩む人
概要: 完璧でなく中庸の心地よさを
鞍点で感じる贅沢な物語
カメラ店の時計売り場のケースの中で、たまに見かける「オープンハート」の機械式腕時計は、どうも苦手だ。 文字盤に穿たれた穴から、忙しなく動くテンプ(心臓部)が見えている、あれのことだ。 「ほら、中の機械がこんなに精密に動いているんですよ」 そうアピールする姿は、どうにも野暮ったく見えてしまう。
それはまるで、会議の席で「私はこんなに寝ずに努力しているんです」と、聞いてもいない苦労話をひけらかすビジネスマンのようだ。 男の美学として、顔(文字盤)はあくまで涼しくあるべきだろう。 汗も、焦りも、内側の熱狂も、すべて分厚い装甲の下に隠し、静寂を保つ。
だから私は、機械式の中でも、文字盤は閉じているが裏蓋だけがガラスになっている「シースルーバック」を愛する。 誰にも見せない背中でだけ、密かに情熱を漏らす。 その奥ゆかしさこそが、大人の「官能」だと思うからだ。
◆あこがれのIWC
正直に言おう。
私の「最適化問題」のグラフの極大値には、いつだってスイスのシャフハウゼンが生んだ名機、IWCが鎮座している。 パイロットウォッチもポルトギーゼも良い。 あの青焼きの針、冷徹なまでのシンメトリー。それは私がインフラ管理職として理想とする「完璧な仕事」のメタファーそのものだ。
買おうと思えば買えなくもない価格帯であることで、「自分へのご褒美」とか理由をつけて脳を揺らしてしまいそうになる。 だが、いざショーケースの前に行くと、私の「現場脳」が警報を鳴らす。
埃っぽい現場事務所で、あるいはヒリつくような発注者との交渉の場で、その輝きはあまりにノイズが大きすぎるのだ。 「いい時計ですね(=儲かってるんですね)」 そんな無言の皮肉を、見積もりのテーブルに乗せるわけにはいかない。
そこで私は、最適解としての「SEIKO」を手に取る。 これを「妥協」と呼ぶ者もいるだろう。だが、私はこれを「サドルポイント(鞍点)」と呼びたい。
ある方向(個人のロマン)から見れば、頂点には届かない谷底かもしれない。 しかし、別の方向(社会的信頼・コスト・リスク管理)から見れば、最も安定した山の峠に位置している。

馬の背に鞍(サドル)がピタリと吸い付くように、この時計は私の「社会的立場」と「個人的な愛着」の隙間に、恐ろしいほど心地よくフィットする。
◆選択としての「中庸」
ここで、一つ表明しておきたいことがある。
私が選んだこの座標は、決して「凡庸」ではない。「中庸」だ。
世間から見れば、その境界は曖昧だ。どちらも「突出していない」という点では同じに見えるかもしれない。 だが、その本質は天と地ほど違う。
「凡庸」とは、思考停止の産物だ。 上を目指す気概もなく、下を見る余裕もなく、ただ流れに身を任せていたら、いつの間にか中間にいた。それは「結果としての中間」だ。
対して「中庸」とは、理性の産物だ。 頂(IWC)の美しさとリスクを知り、底(クォーツ)の利便性と虚無を知り尽くした上で、あえてそのどちらでもない一点に杭を打つ。 強烈な引力が働く両極の間で、バランスを保ち続ける意志の力。 それは「選択された中間」、すなわち「中庸」なのだ。
昨今は、そもそも腕時計をしない手首も増えた。 「スマホがあれば時間はわかる」 それは正論だ。究極の合理主義と言ってもいい。
だが、忘れてはいけない。堅いビジネスの戦場において、腕時計は「男性に許された唯一のアクセサリー」でもある。 ネックレスもピアスも、現場の男にはノイズだ。唯一、色気や個性の主張が許された聖域が、この左手首の数センチなのだ。
そこに、あえて物理的な質量を持つ鉄の塊を巻く。 それは自由を奪う「枷」ではない。 日々流されそうになる自分を、確固たる現実(現場)に繋ぎ止めておくための「重石(おもし)」なのだ。
私の腕にある機械式のSEIKOは、一見すると「凡庸な日本の時計」に見えるだろう。
それでいい。むしろ、それがいい。
「真面目に仕事をしています」「質実剛健を好みます」 この時計は、何も語らずともクライアントにそう伝えてくれる。それは日本のビジネス社会における最強の「保護色(カモフラージュ)」だ。
凡庸の皮を被り、周囲に溶け込みながら、その裏蓋のガラス越しに、私は自分だけの「中庸」を維持する。 この密かな優越感と擬態こそが、大人の男が楽しむべき、最高のあそび(設計裕度)なのかもしれない。
◆「完璧ではない」という救い
機械式時計は、つくづく面倒な道具だ。
週末に外して放っておけば、月曜の朝には止まっている。日差(ズレ)も出るし、定期的なオーバーホールには安くない金がかかる。 「手間のかかる恋人」とはよく言ったものだ。
だが、朝、家を出る際に、目の前のデジタルの電波時計を見ながら、少し進んだ秒針を合わせるためにリュウズを巻くとき。 指先に伝わる「カリカリ」という感触と、確かな抵抗感に、私は救われている。
デジタルな「情報」として表示される正解(電波時計)に対し、物理的な「現象」としてあがく時間(機械式)。 クォーツのように「刻む」のではなく、流れるように進むスイープ運針を見つめながら、私は思う。 「まあ、お前も完璧じゃないよな」と。
完璧な美女(IWC)には緊張するが、この身の丈に合った相棒には、素の自分を晒せる。 サドルポイントに腰を据え、左腕に心地よい「重石(アンカー)」を感じながら、私は今日も戦場(現場)へと向かう。
涼しい顔をした文字盤の裏側で、小さなテンプが熱く脈打っていることを、私だけが知っている。
