#30 インフラと啓蒙主義の傲慢 ーなぜ人は装うのか
対象: 価値が伝わらないと気にしてる人
男も最近はきれいにしてるなあと感じる人
概要: 見えない価値は無いのと同じ
装いは価値を社会に接続するインターフェース
――月曜朝、各駅停車の「道草」にて。
憂鬱な月曜日の朝
今朝は、あえて満員の急行をやり過ごし、少しだけ「道草」をするような気分で、各駅停車の座席に身を委ねました。運良く席を確保し、ふと顔を上げると、車内には一人、鏡を手に手際よくメイクを整えている女性がいました。
その光景を目にしたとき、ひとつの疑問が頭をよぎります。「なぜ現代社会において、『装うこと』の比重はこれほどまでに非対称なのだろうか?」
自然界を見渡せば、クジャクもライオンも、派手な装飾で己を誇示するのは決まってオスの役割です。生物学的な基本ルールに照らせば、人間社会におけるアピールの配分は、どこかで大きな逆転を起こしたように見えます。
理性という名の仕様変更
歴史を遡れば、人間社会にもかつては「男のほうが派手」な時代がありました。その転換点となったのが、18世紀後半の「啓蒙主義」という巨大な思想の潮流です。
それ以前の貴族社会では、男性もまた華美な装飾に身を包んでいました。しかし啓蒙主義は、「理性」と「合理」を重んじ、飾り立てることを非合理的で不誠実なものとして退けます。
いわゆる「男性大放棄」と呼ばれるこの時代、男性は個人の派手さを捨て、機能的で標準化されたスーツへと移行しました。それは、社会の一機能として生きることを選ぶ、いわば「システムの仕様変更」でした。
この転換以降、アピールの主戦場は、目に見える外装から、目に見えない経済力や専門性へ。インフラ屋目線で言えば、地下に埋設されたインフラのようなリソースへと移っていったのです。
現代に起きている揺り戻し
しかし今、この合理一辺倒の時代に、静かな揺り戻しが起きています。メンズコスメの普及や、身だしなみ・ファッションへの関心の高まりは、その兆候のひとつでしょう。
それは単なる流行ではありません。「スペックさえ高ければよい」という近代的合理主義だけでは、自分という存在の価値を社会に正しく認識してもらうことが、次第に難しくなってきた。その切実な実感の表れではないでしょうか。
現代は再び、地下インフラの強さだけでなく、それを社会に伝えるための可視化の技術、すなわち「装いによる価値の説明」が求められる時代へと突入しています。
インフラシステムとしての誠実さ
ここで、ひとつの自戒が生まれます。「中身(機能)が完璧なら、説明や外見など不要だ」、もしインフラに携わる者がそう考えているとしたら、それは供給側の傲慢かもしれません。
たとえ高いサービス水準を維持していたとしても、そのインフラ事業が何を目指し、どんな価値を社会に提供しているのかが語られなければ、市民というユーザーにその価値は届きません。
インフラシステムにとって、外装は単なる飾りではありません。それは、人々の生活から離れ、地下に埋設されて見えない高度な機能を、社会の理解という土壌に接続するためのインターフェースです。
社会との接続の最終工程
身だしなみを整えるという、ごく日常的な行為。それは特定の誰かに固有のものではなく、社会に参加する私たちが多かれ少なかれ行っている「最終工程」なのではないでしょうか。
私たちは誰しも、社会に接続される直前に、自分というシステムがどのように「見えるか」を最終調整しています。それは中身を偽るための装飾ではなく、内部に備えた機能や価値を、他者に正しく届けるための品質管理であり、同時に広報活動でもあります。
どれほど優れた事業計画や設備を備えていても、それを社会に届けるための「理解を求める努力」という装いが欠けていれば、システムはその真価を発揮することはありません。
「中身で勝負」という言葉に安住することなく、適切な対話と説明のデザインを行うこと。それこそが、見えない場所で社会を支えるインフラシステムが、市民というユーザーに対して果たすべき、最も誠実なあり方なのだと思います。
