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《連載小説》全身女優モエコ 芸能界編 第三十四話:栄光と賞賛の影で

前話 第三十三話:処女喪失! 次話:第三十五話:モエコ号泣する!

 監督のOKサインが出てスタッフが本日の全収録が終わった事を伝えた瞬間、スタジオの至る所から一斉に拍手と歓声が鳴り出した。この現場にいた者たちはこの時はまだ自分が伝説の目撃者であると認識してはいなかっただろう。彼らはこの時点ではまだとんでもないものを見てしまったという以上の認識で止まっていた筈だ。だが時間が経過し冷静にこの出来事を振り返った時彼らは気づくのだ。これが紛れもなく伝説の女優火山モエコ伝説の誕生の瞬間であった事に。やがてモエコが女優として日本中に知られるようになった時、人々は彼女をこう呼ぶだろう。全身女優モエコと。それがモエコの名刺であり、演じることに全てを捧げた女優火山モエコに対する称号であった。


 猪狩はすぐにでもモエコの元に向かいたかったが、撮影終了の声と共にスポンサーを始めとしたドラマの関係者が大挙してセットの方に押しかけたので彼らが去るのを待つしかなかった。皆モエコの健闘を讃えていた。ああ!その中にはあのプロデューサーもいるではないか。さっきまで姿さえみせなかったのに。恐らく収録が大成功に終わったと聞いて喜んで飛んできたのだ。コイツは集まった関係者たちに向かって自分がモエコを見つけたんだと自慢しまくっていた。何という調子のいい男か!今の今まで隠れていたくせに。

 猪狩は苦々しい思いでモエコを誉めそやす連中を眺めていたが、ふいに後ろに人の気配がしたのに気づいて振り返った。そこにはなんと顔を真っ赤にして立っている海老島権三郎がいたのである。海老島は腕を組みながらブツブツ言っていたが、猪狩はその海老島の呟きを聞いてゾッとして思わず声を上げた。海老島はこう言っていたのである。

「まさかこの海老島権三郎ともあろうものがあんなガキに心を奪われるなんてなぁ。畜生南の野郎、テメエだけいい思いしやがって。俺だってモエコとヤッてやるぞ。あのガキの股を無理矢理開かせて俺の一物を無理矢理突っ込んでやるぞ」

 海老島は声で猪狩の存在に気づくと撫然とした顔をして足早に去った。その海老島と入れ替わるようにして猪狩の前に現れたのが知性派俳優の蟹谷である。蟹谷は猪狩に向かって初めましてと礼儀正しくお辞儀をして挨拶してきた。猪狩がこちらこそ初めましてと挨拶を返すと、蟹谷は興奮してかプルプル身を震わせてモエコをベタ褒めしはじめた。彼はいかにもインテリらしく小難しい事を言ってモエコを褒め上げ、そしてモエコ君は現代のナナだと捲し立てた。猪狩がそれはエミール・ゾラの小説の主人公の事ですかと聞き返すと、彼は鼻くそが飛び出しそうな程鼻を鳴らしてそうだと答え、続けてこう言った。

「まぁ、本物の女優であるモエコ君を語るのにあの娼婦上がりの素人女優のナナを引き合いに出すのは不適当だとわかっているが、だが二人とも無自覚に男を狂わせてしまうところがあるから並べてしまうのは仕方がない。だからだね……」

 このクソ長い一人語りが終わった後、蟹谷は猪狩にモエコ君はいつから芸能活動を初めているのか聞いた。猪狩はそれに対して三ヶ月ちょっと前からですと答えると、彼はそんな最近なのかとビックリし、続けて猪狩が「でも学生時代はずっと演劇をやってたみたいです」と舞台でカルメン役を演じた事を話すと蟹谷は、「カルメン⁉︎」と今度は鼻血が出そうなぐらいに激しく鼻を鳴らして目を剥いた。最後に蟹谷は猪狩に向かってモエコ君のことをいろいろ聞かせてくれてありがとうと礼を言い、それから彼は念を押すようにいずれ共演するだろうから私のことをモエコ君によろしく伝えてくれたまえと言って猪狩の元から去った。

 ああ!なんて事だ。もはや南など全くどうでも良くなるぐらいの危険がすぐそこまで迫っていた。モエコが大物俳優の二人に目をつけられるとは!猪狩はこれからモエコを待つ数々の危険を想像して床の底が抜けるような気持になった。ああ!一刻も早くモエコのそばに行かなくてはと彼は思った。


 だが当のモエコはまだ南とベッドの上にいた。モエコはすでにバスローブを羽織って席に戻ろうとしていたのたが、南狭一の方はまだショックから立ち直れないようで布団から出ず上体を起こしたままずっと下を向いていた。やがて立ち上がったモエコは未だ項垂れている南に向かって「今日はありがとう。お陰でいい演技ができたわ」と微笑みかけた。それを聞いた南は急に顔を上げて泣きそうな顔でモエコに言った。

「モエコちゃん、ボクをダマしていたんだね。あんな純真な身振りしてるから、つい処女だって思い込んじゃったじゃないか。ヒドイよ、ヒドイよモエコちゃん。ボクをこんなに惨めな気分にさせるなんて!」

 南の問いに対してモエコはただ冷たくこう言い放った。

「バカじゃないのあなた。全部演技でしょ?」

 そのモエコは言葉に完全に打ちのめされたのか南は布団をつかんで泣き出してしまった。その泣き声で先程まで泡吹いて気絶していたあのものすごい顔した南の女マネージャーはやはりものすごい顔をして目覚めた。そしてさらにものすごい顔して南の元に駆けつけて、泣き喚く南の首を締め上げながら「キョウちゃん、さっき何があったの?ちゃんと答えなさい!」とものすごい顔で南を問いただした。

 モエコは南を完全に放置して出口に向かって歩き出した。猪狩はモエコのそばに向かいベッドで泣いている南の方を向いて大丈夫なのかと問いかけた。しかしモエコは「もう撮影は終わったのよ」と言って歩き出してしまった。スタジオにいた人間はそのモエコのオーラに恐れをなしてか一斉に傍に退いて彼女を見送った。皆がモエコを見つめていた。その中にはモエコを熱くガン見する海老島権三郎や蟹谷新三もいた。この驚異の新人女優をいろんな意味で歓迎して不適に笑う三添薫もいた。そして自分の数々の妨害や嫌がらせに負けず見事ベッドシーンをやり遂げたモエコを激しい憎しみをこめて睨みつける三日月エリカもいた。

 皆の視線を浴びてモエコはまるで戴冠式のエリザベス女王のように堂々とした身振りで歩いた。猪狩はその後に近衛兵のように付き従っていた。出口付近でスタッフがドアを開けながらモエコに向かって一斉に「お疲れ様でした!」と声をかけた。後ろからはまだ南のシクシク泣く声が聞こえてくる。猪狩は南を見ようと足を止めかけたが、モエコがすかさず私の手を引っ張ってもう撮影は終わったんだからとっとと帰るわよ!と怒り気味に言ってきたので慌てて彼女について行った。

 モエコはスタジオを出ると急に早足で歩き出した。モエコが足を速めたのを見て猪狩は追いつかんとしてほとんど駆け足で彼女に着いて行った。楽屋の前には先程スタジオに向かう際に楽屋に入れ忘れた差し入れが山と積まれていた。猪狩はそれを見て早く楽屋に入れないとなどと呟いたので、モエコは鋭い目で彼を睨みつけ「こんなものどうだっていいわ!誰かにくれてやりなさいよ!」怒鳴りちらした。するとそこに女性のスタッフが駆け足でやってきて後は自分たちが預かりますので火山さんは安心しておかえりくださいとモエコに言った。

 猪狩はスタッフに礼を言ってモエコと外に行こうとしたのだが、その時彼はモエコが家から出る時にバスローブしか身につけていなかった事を思い出した。彼はそれをすぐにモエコに指摘したのだが、モエコはあくまでバスローブて帰るとか言って聞かなかった。しかしそこに先ほどの女性のスタッフがやって来て、服なら余っているものがあるから今からそれを持ってくると言ってくれた。猪狩はそれを聞いて感謝した。流石のモエコも自分のために尽くしてくれているスタッフを無視して帰ることは出来なかったようで、ブツクサ文句を垂れながら服の到着を待っていた。服は黒の厚手のロングコートと真っ赤なワンピースでガキのモエコにしては大人っぽ過ぎると彼は一瞬思ったが、冷静に考えればモエコは先程まで大人の役を演じていて、そして、悲しい事にその役を演じる中で自らも大人になってしまっていたのであった。

 早速モエコは着替えるために楽屋に入ったが、一瞬で着替えて楽屋から出てきた。そしてスタッフに「ありがと」と短く礼を言うと早足で外へと歩き出した。モエコは歩くごとにどんどん速度を早めて行った。猪狩は声をかけようとしたが出来なかった。先程からのモエコの珍しく苛立った態度、彼女の何かを耐えているような顔、そんなものを見たら気安く声などかけられるはずもなかった。モエコはスタジオの駐車場に入ると車を停めてある場所まで走っていき、激しく車を叩いて早く車を出せと怒鳴った。猪狩はモエコのこのただ事ではない態度にすぐに車へと向かいドアを開けてモエコを乗せるとすぐにスタジオから出たのだった。

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