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【経営者 リーダー論】リーダーを育てようとしている。でも、本当に育つのか?

「リーダーは育てられる」という通説を疑う

リーダーとして機能しているとき、自分は何をしているか。

心配を直視しても何も生まれないので、あまり直視しない。不確実な状況に直面したとき、懸念事項を網羅的に検討するより、ビッグピクチャーを意識しながら動きながら考える。競合をいちいち観察しない。顧客を見て考える。関係者が全員納得するまで待てないので、ある時点で決めて動く。

これを「決断力がある」と言うのは少し格好よすぎる。
実態は不確実性への鈍感さだ。

感度が高いと、何が起きるか

では、感度が高い人間が同じ立場に立つとどうなるか。

リスクを察知するたびに、決断の前に検討すべき懸念事項が増えていく。全員の意見を聞くほど、方向が定まらなくなる。競合の動きを観察するほど、自分たちが何をすべきかが見えにくくなる。細かいことが気になりすぎて、ビッグピクチャーを見失いがちになる。

感度が高いことは、組織の中では優れた能力だ。リーダーの判断に現実的なブレーキをかけ、見落としを防ぐ。しかしその同じ気質をリーダーの椅子に持ち込むと、逆方向に作用する。感度の高さがリスクを取りにくくし、無難な判断に向かわせる。

「育てれば」という問いへの疑問

では、この気質は育成やトレーニングで身につくのか。

「リーダーは育てられる」というのが、現代の人材育成の通説だ。リーダーシップ研修、コーチング、経験学習。組織は毎年多くの予算をこれに投じている。

しかし、研究が示す現実は、少し違うようだ。

リーダーシップの先天的要素を調べた双子研究がある。一卵性双生児と二卵性双生児を比較することで、遺伝的要因の影響を推定する手法だ。ミネソタ大学のArveyらによる複数の研究が、リーダー職への就任確率の約30%が遺伝的要因で説明できることを示している。リーダーシップのスタイルに至っては、遺伝的要因の影響がさらに大きいという結果も出ている。

「30%が先天的なら、70%は後天的に変えられる」と読むこともできる。
だが、ここに重要な留保がある。

研修効果を調べた研究によれば、リーダーシップ研修で変わるのは主に知識や認識のレベルであって、職場での持続的な行動変容につながるのは研修内容の10〜15%程度に過ぎないという。つまり育成で変えられる部分の多くは知識であって、気質ではない。

断言はできない。しかし「育成で気質レベルは変えにくい」という方向を示す証拠は積み上がっている。

組織の行動が示していること

「内部からリーダーを育てる」ことを理想としながら、外部からトップを招く企業は珍しくない。ソニーのストリンガー、日産のゴーン、ソフトバンクのアローラ。ニデックでは外部からスカウトした候補が次々と去り、創業者の永守氏は「みんな逃げるのが早い」と語った。

この慣行自体が、一つのことを示している。内部で育てることには限界がある、ということを組織が経験的に知っているということだ。

うまくいっている組織に見られる早期選抜も同じ構造を示している。「育てる」のではなく、早い段階で見極めてルートに乗せる。これは育成ではなく「開花」に近い。もともとある気質を引き出すプロセスであって、ゼロから作るプロセスではない。

かつての上司のことを思う

ある組織に入ったとき、当時の上司を見て「優秀だが、人材育成には失敗してきた人だ」と思っていた。業界で著名なリーダーではあったが、彼の跡継ぎとなるような者は周りに育っていなかった。

生意気にも、その上司に直接聞いたことがある。
「後継者を育てていないのはなぜですか」と。

返ってきた答えはこうだった。
「育てられるようなものではなく、リーダーになる者は勝手に育つ。」

当時の私はその答えに納得できなかった。
私なら育てるのに、と心の中で思っていた。

しかし、同じポジションになって時間が経った今、気づくことがある。
自分も同じ状況にいる。意図して後継者となる人を育てようと、チャンスを与えるなどしてきた。しかし、いつまでたってもリーダーとして動ける感じがしない。

育てようと思えば育てられる部分はある。それは否定しない。しかし外部からの働きかけで変えられる部分は、それほど大きくはない。気質レベルのものは、簡単には変えられないように見える。当時の上司が人材育成に失敗したように見えたのは、能力や熱意の問題ではなく、結局、リーダーになれる気質があったかどうかで決まっていただけだったのかもしれない。

そして、自分自身も、何かリーダーのトレーニングがあったから今の立場になったとは、あまり思えない。当時の上司も、勝手に育っていた。

結局、私も当時の上司と、同じ壁の前に立っている。

問いとして残しておく

「リーダーは育てられる」という通説は、間違っているわけではない。知識やスキルのレベルでは育てられる。しかし少なくとも私の経験の範囲では、気質レベルでは変えられる部分に限界があり、育てようと思ってもなかなか育たないように見える。

だとすると、組織のリーダーを調達する問題は、育成論の文脈では解けない。育てることより、見極めることの方が本質的な問いになる。

誰かをリーダーに育てようとしているとき、それは本当に「育成」なのか。それとも、もともとある気質を開花させようとしているだけなのか。

私の後継者となるような者は、まだ育っていないように見える。しかしこれは、私のレンズから見た判断に過ぎない。私が組織を離れれば、組織は別の動き方を採用し、違った構造で仕事が回りだすだろう。今、不十分と思っている者が、その組織の中で立派なリーダーとして役目を果たしていくだけのことかもしれない。


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