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見過ごされた個性をさぐる~展覧会「アンチ・アクション 彼女たち,それぞれの応答と挑戦」@東京国立近代美術館

図も背景も奥行きも構図もない。薄い灰色の地に密に描き込まれた白い網目が、横長の大画面の隅々まで広がっている。

草間彌生《No.AB.》(1958)を覆う無数の細かい網目は、あるテレビ番組のワンシーンを思い起こさせた。俳優の本仮屋ユイカがイギリスで編み物を習うという内容で、彼女が手ほどきを受けた英国人女性が毛糸と編み棒を規則的に操る姿が、画面に映し出されていた。《No.AB.》を眺めるうちに、絵筆を小さく動かす草間のイメージが湧き、毛糸を編む女性が重なり合った。「編み物をしていると落ち着く」と番組で本仮屋が語ったように、この手仕事がいざなう無心は瞑想に近いものがある。創作=自己救済だった草間は、絵具と筆で「編み物」をして精神の安定を得たのだろう、と合点がいった。

アンチ・アクション 彼女たち,それぞれの応答と挑戦」(東京国立近代美術館)は、1950〜60年代のいわゆる「前衛の時代」に現れた女性美術家の作品を「アンチ・アクション」という視点で見直そうという企画である。

前衛美術の世界では、戦前、男性同士の強い連帯感や男性中心主義的雰囲気が女性の参入を阻んだらしく、桂ゆきのような作家もいたが、稀有な存在だったという。

しかし戦後、男女平等が法制化され、女性解放を追い風に状況は変化していく。東京美術学校(戦前は男子校だった)をはじめとする美術大学も女子に門戸を開いた。日本が独立を果たした1952年頃より海外から美術の最新動向が届き、抽象絵画運動「アンフォルメル」が「旋風」を巻き起こす中、これを先導した美術批評家ミシェル・タピエが福島秀子、田中敦子など無名の「新人女性」を評価、戦後世代の美術批評家も彼女らの作品を取り上げるようになっていく。こうして注目された彼女らは海外進出も果たす。だがタピエに対する評価が失望に変わるや否や、批評家の関心は、次いで流入した「アクション・ペインティング」、すなわち動作、行為、身体性が強調される絵画へ移っていった。この抽象表現に期待される身振りの激しさは男性の身体性に結びつくが、女性のそれとは親和しない。次第に批評の言説から女性美術家が消えていき、記録も残らなかったという。

《No.AB.》の向こうに筆を動かす草間が透けて見えたように、作品に顕在する身振り、身体性は女性美術家の場合にも見出せる。ただ、アクション・ペインティングに倣った男性作家のそれが前面に出ているのに対し、わかりにくい傾向にある。私は作品に刻まれた身体性を意識しながら展示品と向き合い、自分なりに各作家の個性を探した。

本展では明確な区分はないものの、導入として各作家の作品を1点ずつ(多田美波は2点)披露してから、作家ごとに作品をまとめて紹介する構成になっている。

最初の展示室には、真正面に上述の草間彌生《No.AB.》が、その手前に田部光子《繁殖する(1)》、福島秀子《作品 109》、田中敦子《金のWork A》が展示されていた。彼女らは以前から関心を抱いていた作家たちである。

代表作に《人工胎盤》(1961)がある田部光子は、フェミニズム・アートの先駆とされ、福岡で結成された前衛美術集団「九州派」で活動した。

《繁殖する(1)》(1955-88)は、竹ぼうきの柄を輪切りにしたものをアスファルト液(接着効果あり)で画面に貼り付け、さらに石膏の破片を周りに配した作品である。すじこに似た中央の塊から丸い粒が抜け出て、周囲に広がっていくさまを見ているかに感じられる。

田部光子《繁殖する(1)》1955-88


本作において田部はほうき、アスファルト、石膏を取り入れ、しかも竹の輪の周囲にアスファルト液と石膏(液)を流し込んでいるので、表面はほとんど異素材で占められている。アクセントになっている赤い絵具はチューブから直接乗せたようである。とにもかくにも物質感がすさまじい。アンフォルメルを超えている気がする。加えて画面のありようから、ジャクソン・ポロックと同じく支持体を平置きして作業しただろうと推察された。アクション・ペインティングの手法を知って、活用したのかもしれない。

↓↓ その他の展示作品(例)

右の作品は《人工胎盤》を彷彿とさせる。
花びらはアイロンの跡(キスマークも付いている)
ピンポン玉は《人工胎盤》でも使われている

鮮やかな赤が目を引く福島秀子《作品 109》(1959)にも、田部のそれより大きい、コップを置いた後にできる輪じみのような円の反復ないし増殖が見える。「実験工房」に参加するなど「前衛の時代」にひときわ注目された福島の、ビンの蓋などに絵具を付けて「捺す(スタンピング)」技法は彼女の特徴とされている。

福島秀子《作品 109》1959


連なる円の下には、黒やニュアンスの異なる数種類のグレー、赤、青、白の絵具が勢いよく走り、そこからたれたたくさんの筋に加えて、筆から落ちたしずく、飛び散ったしぶきなどが混ざり合っている。さらに絵具を意図的にたらし込んだらしい箇所もあれば、幾何学模様が刻まれたモノで捺したような跡も見える。盛り上がった銀色の絵具の表面はブツブツして、何かが混ぜられているようだ。本作は面的で、全体に絵具が薄いため物質感は控えめだが、画面は変化に富み、福島がさまざまな動きをしたことを伝える。まさにアクション・ペインティングではないか。円やたれた絵具の後ろに隠れて見えにくくなっている向きはあるものの、動作の多様さは、アンフォルメル、アクション・ペインティングの影響を吸収して編み出した彼女ならではの手法だろう。

↓↓ その他の展示作品(例)

最初は顔をモチーフにしていたらしい

《作品 109》の横に置かれたのは、前衛美術集団「具体美術協会」に参加した田中敦子《金のWork A》(1962)。田中を代表する《電気服》(1956)に基づく平面作品群の一つであり、共通点は複数の円を線がつなぎ、複雑かつ執拗に絡まりながらネットワークを形成している点である。カラフルな色彩も特徴的で、本作で使われているのは水性顔料だが、多くは合成樹脂エナメル塗料で描かれ、見た目はてらてらとしている。油彩と違う質感は当時新しかったのかもしれない。

田中敦子《金のWork A》1962
こんなすごい絡まり方をしたものも。
田中敦子《地獄門》1965-69(部分)

また一見、田部、福島にみられた円の反復・増殖を本作にも見出せそうな気がするが、円はネットワークの中に囲い込まれて自由な動きを奪われているように映る。あるいは、円が一つ欠けても全体が成り立たず、同時にそれぞれの円は全体の中で生かされているようでもある。このような画面の中で、田中の身振りを最も感じさせるのはではないか。だが引いて眺めると、円と線のかたまりは一個の生命体を思わせ、その強烈な存在感が田中の介入を見えなくさせた。が、それで構わないのだろう。

↓↓ その他の展示作品(例)

この部屋になかったが、宮脇愛子の作風も反復性・増殖性において共通している。宮脇の代表作は1979年から制作された金属ワイヤーを用いた野外彫刻である。本展にも彫刻があったが、今回は「ペインティング」に注目。《作品》(1962)は緑色の絵具をたっぷり含んだ筆跡を規則的に連ねた作品で、絵具が層をなしてふっくら盛り上がっているところに目がいく。

宮脇愛子《作品》1962


一見シンプルだが、画面に置いた絵具を乾いた後に磨き、その上にまた絵具をのせる行為を繰り返しているという。大理石粉を混ぜた絵具を使用しているからだろう。絵具の表面は硬さとなめらかさが感じられ、艶の柔らかさから丁寧に研磨したことがうかがえる。物質感はかなり強いものの、手をかけたぶん表情は洗練されている。アクション・ペインティングと呼べる造形であるが、荒々しさとは距離を置いた格調の高さが宮脇作品の特徴であり魅力であるように思う。

↓↓ その他の展示作品(例)

今回初めて知った作家のうち、特に気になったのは毛利眞美だった。
展示の前半にあった《裸婦(B)》(1957)はキュビスムやアンリ・マティスの影響をうかがわせるが、裸婦の肌の色と質感、体の各部位の形や量感は、抽象的なのに生身の肉体を感じさせる。ふくらはぎなんぞ妙にリアルである。

毛利眞美《裸婦(B)》1957

絵肌は大きく2種類に分かれ、体のふくよかな部分は絵具を厚く塗り込めていて、触覚的エロティシズムを漂わせている。曖昧な輪郭線も効果を上げているようだ。
その一方で、本作には精神性も感じられる。頭から首、背中へ続く比較的肉付きの少ないところはマチエールを変えている。背中の右の白いパーツを腕とみるならば、後ろ手に体を深く折り曲げうなだれるその姿は、まるで拷問にあっているかに見え、ただれたような肌の質感と相まって彼女の痛みや苦悩を想像させる

背景の深く鮮やかな赤色とのコントラストが効いて、この裸婦は際立っている。背景を含め、画面にはいろんな筆触が見て取れるが、前面に出るべきは裸婦。作家の動きの痕跡は必ずしも一番重要とは限らない、と本作は伝えている気がする。

↓↓ その他の展示作品(例)


なお、会場の一角に、作品を読み解く鍵として相関図が掲示されていた。どの作家の作風も一つのキーワードでは語りきれない特徴を有していることが、この図を見るとよくわかる。

最後に、芥川(間所)沙織について。
私はこれまで、芥川の女性や神話をろうけつ染めにした作品も、シックな色合いの幾何学的な抽象絵画も観ていたが、両者がまるで別人の手になるもののような気がしてしまい、なかなか結びつけられずにいた。だから、本展で人物画の延長に抽象画があると知ることができたのは、大きな収穫だった。


芥川はもともと声楽家を志していたが、作曲家の芥川也寸志との結婚でその道を断念している。歌の練習が夫の仕事に差し障るという理由からだった。
同じように、結婚生活を維持するために女性が美術家を辞めるケースはままあったようである。上の毛利はアンフォルメル画家として活躍した堂本尚郎と結婚、妊娠を機に画業から身を引いた。白髪富士子は前衛美術を牽引した白髪一雄と結婚、やがて夫を支えることに専念した。榎本和子は批評家・東野芳明と結婚し、一時制作から離れた。

こうした事態は前衛美術家に限らない。私は先般、世田谷美術館のコレクション展「もうひとつの物語 女性美術家たちの100年」(2025年7月〜11月)を観たのだが、この展覧会で紹介された女性作家の中にも同様のケースがあった。森鴎外の次女・杏奴の場合は洋画家・小堀四郎と結婚した後画業を捨て、後に文筆活動へ向かっている。

戦前、女子への美術教育は「良妻賢母」を目指すものだった。美術家として技術を身に付けるよりも、母となってから子どもの教育に役立てることを目的にしていた。
戦後の高度経済成長期(1955年頃~)においては、「男は仕事、女は家庭」が当然視され、根強い性別役割分業意識が社会に共有されていた。

私は「アンチ・アクション」展を「もうひとつの物語」展とクロスオーバーさせながら観た。本展は、批評の言説から消された結果、美術史から抜け落ちた女性美術家の存在を伝えるが、美術制度や時代環境の影響を受けて消えていった女性美術家がいたこともまた忘れてはいけないだろう。


以下、展示風景


今回は、総勢14名のうち気になった作家のみ取り上げた。
多田美波も取り上げたかったけれど、8月末から展覧会が予定されているので、そちらに譲る(?)ことにしようかと……。



長文を最後まで読んで下さり、ありがとうございました。

これまでずっと「です・ます調」で書いてきたので、心機一転、変えてみました。当面、「だ・である調」でも読みやすい文章をめざして精進します!


<参考>
『美術手帖 特集 女性たちの美術史』2021年8月号


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