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【成瀬 日本語・英語・翻訳講座】言語・認識編(26)SENTENCE/文での「動的理解」の本質的差異

ユーチューブに「週刊ことさきく」第3回をアップしました。今回は「なぜ英語を勉強するのか」について話しました。

(↑のつづき)

意味のかたまりをまず読み取り、流れのなかでその意味を理解しながら、次の意味のかたまりを予測していくという点では、日英ともに「動的理解」は同じである。

では、日英で違う点はどこか。

もっとも重要な点は、英語では意味のかたまりを前から順番に読んでいけば全体の意味を段階的につかんでいくことができるのに対して、日本語は文を最後まで読みきらなければ全体の意味はつかみきれないことにある。

もう少し詳しく解説する。

まず、英語センテンスの「動的理解」からみてみることにしよう。

次のセンテンスを読んでみていただきたい。

Many of the grammatical rules that some among us like to invoke are not linguistic fact, but classroom folklore, invented by eighteenth-century grammarians out of whole cloth, repeated by editors unwilling to determine whether those rules comport with reality, taught by teachers who teach what textbooks tell them, and ignored by the best writers everywhere.

とても長いセンテンスだが、

よくみてみると、最後まで読みきらなくとも意味は確定できることがわかる。

たとえば、最初のMany of the grammatical rules that some among us like to invoke are not linguistic factを読めば、そこまでで意味は自立的に充足されている。ここでピリオドにすることも可能だ。

その後の「意味のかたまり」は、このMany of the grammatical rules that some among us like to invoke are not linguistic factに対する補足説明であるといってよい。

また、invented by eighteenth-century grammarians out of whole clothやrepeated by editors unwilling to determine whether those rules comport with realityなども、前の意味のかたまりを後ろの意味のかたまりが補足説明するかたちになっているので、やはり前から順番に意味を把握していけばよい。

☆☆☆

いっぽう、日本語の動的理解では「皆さんはすでに日本語を読む心の構え方を身につけている。」という全文を読みきるまで、全体の理解はずっと宙に浮いたままである。

最後の「。」まで読まなければ、読みきったことにならない。

句点がなければ、このあとにいくらでも意味のかたまりを続けることができるからである。

☆☆☆

このように、

英語の場合には、意味のかたまりを前から順番に把握していけばよい。

意味を把するうえで

センテンスをすべて読み切る必要がない。

それに対して

日本語では、一文を最後まで読みきらなければ意味を確定的に把握することができない。

これが、日英の動的理解の最大の違いである。


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