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私の英語学習50年(85)学校英文法を使っての「英文解釈」にいくら精通したところで、英語を英語として読めるようにはならない

(↑のつづきです)

すでにお気づきの人もいるだろうが、ここまで「英語を英語として読む」ための条件として挙げてきたことは、じつは「英語を英語として聴く」ための条件でもある。

読む行為と聴く行為は、本質的に同じものなのである。


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「読む」と「聴く」は、本質的に同じもの


これまでの日本の英語教育では、読むことと聴くこととは別のものだという誤った固定観念があった。

おそらく

「英文解釈」という名の「暗号解読」が学校英語の世界で幅を利かせていた

からだろう。

問題は、この間違った固定観念がこれまでの日本人の英語学習を非常に大きく阻害してきたことにある。

その弊害がどれほど大きなものだったかということは、私自身がよく知っている。

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私は中学高校のあいだ、ずっと「英文解釈」が英語にとって最も「本格的な」勉強の方法だと思っていた。

読むことと聴くことが表裏一体の行為などとは夢にも思ったことはなかった。

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英文を読む(解釈する)際には、構文をとると称して英文テキストにいろいろな矢印を書き入れてみたり、英文法書を見直して文法事項を確認したりしていた。

意味がわからない単語についてはかたっぱしから英和辞書で調べて、それを単語帳に書き写した。

先生がそうしろといったからだ。

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そして、それらの情報をもとにして、英文テキストを日本語に「翻訳」した。そのうえで意味を「理解」した。

だから、1ページを読む(解読する)ために30分、時には1時間も2時間もかかったりした。

それで英語を勉強したつもりになっていたのである。


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いまから振り返ると、なんと愚かなことをしていたのであろうか。

はっきりといおう。

学校英文法を使っての「英文解釈」にいくら精通したところで、英語を英語として読めるようにはならない。

すなわち、英語ができるようにはならない。

こんなばかばかしいことは、もうやめようではないか。

(つづきは↓)

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