沖縄戦の『眼』となった軍史家、その後の思想と影響力
前ポストで触れたジェームズ・M・バーンズ軍曹(のちに博士)。若き日の沖縄戦では敵側米軍従軍史家として、民間人と兵士が入り混じる激戦地で三か月にわたり惨状を地上の視点から記録するという、過酷な任務を担った。
戦後はハーバードで博士号を取得し、政治学者・哲学者として米国大統領の周辺で大きな影響力を持つ存在へと成長していった。倫理や人間の尊厳を重んじるリーダーシップ論の根底には、沖縄で目の当たりにした民間人の苦悩と喪失の記憶があったためかもしれない。
敵側であった米軍の従軍史家が、戦後このような軌道を歩んだ事実には、日本人として『深い戒め』を感じずにはいられない。
戦争追悼八十年
〜 平和を願い、黙祷と合掌 〜
幼年時代を過ごした沖縄の人々への思いとともに。
前のポストで触れたジェームズ・M・バーンズ軍曹は、若き日に第二次世界大戦中の沖縄戦で従軍史家として民間人や兵士の戦状を克明に記録した人物だった。

仏独公共放送ARTEで知り、英語文献をいろいろ調べてみたところ、この人物についての驚くべき事実がわかったのでここに記しておきたい。ちなみに、日本語資料では、ほとんど見当たらない情報のよう。
このバーンズ軍曹、いや、バーンズ博士は、のちに米国帰国後、大統領の周辺で活躍する著名な政治学者・哲学者となり、人間の尊厳や倫理を重視するリーダーシップ論を築いた。沖縄戦では、まだ若かった彼は軍属として戦場の惨状を三か月間にわたり目撃、現地民間人たちと同じ地上レベルで戦闘の生死を記録するという、過酷な任務を担った。
バーンズ軍曹(のちに博士)は、米国帰国してすぐ、1947年にハーバード大学で政治学博士号を取得、同年からウィリアムズ・カレッジで教鞭をとった。のちの著書『ルーズベルト大統領:自由のための戦士』でピューリッツァー賞を受賞し、民主党員として活動、1958年には下院議員候補となった。

戦後、彼はフランクリンとエレノア・ルーズベルトの歩みとリーダーシップを研究し、人間性と理想に根ざす指導や、ファーストレディの人権意識と民衆への共感を高く評価した。

エレノア・ルーズベルト婦人は、著名な人権活動家でもあり、国連の女性権利担当特使としても活動。
夫ルーズベルトが、1941年に示した「4つの自由」は、婦人の使命となり、起草に関わった1948年の世界人権宣言(国連総会決議217A)の土台となった。そこでは「言論と信仰の自由、恐怖と欠乏のない世界の実現」が、人類共通の願いとして掲げられている。
このうち「恐怖からの自由」とは、戦争や暴力、軍事的脅威におびえることなく暮らせる状態を意味する。たとえば、軍備縮小や国際協力によって他国からの攻撃の危険を取り除くことなどが、その具体例。

また、(ささやかな追悼として)上の動画は、1939年、当時ファーストレディだったエレノア・ルーズベルトが、ワシントンD.C.のリンカーン記念堂で黒人歌手マリアン・アンダーソンの人権コンサートを主催した時の音声録。公立施設での公演を人種差別で拒まれたアンダーソンを支援する象徴的な出来事となる。
以前のポストでも触れた、JSバッハの音楽史上最高レベル傑作「マタイ受難曲」からのアリア、「神よ、憐れみください」をその人権コンサートから。
この曲は、最後の晩餐後に連れ去られたイエス・キリストと、弟子ペテロの葛藤。彼は「あなたも、あのイエスと一緒だったはず?」と問われ、3回否定する。やがて鶏が鳴き、イエスが「あなたは私を裏切り、鶏が鳴く前に3回、私を知らないと言う」と予言したことを思い出し、許しを乞う。
神よ、どうか私をお憐れみください
この涙のゆえに
どうかご覧ください、心も目も
あなたの前で深く泣いています
神よ、私をお憐れみください
エレノア・ルーズベルト主催によるリンカーン記念堂での人権コンサート(1939年)より
このバッハのアリアは宗教曲の枠を超え、普遍的な人間の愚かさへの赦しや慈悲を嘆願する祈りとして歌われる。ささやかに沖縄のひとびとと世界平和への追悼の思いを込めて、リンクさせていただく。
前のポストでも触れたが、私の家族は70年代返還直後、安保関連の日米軍事施設インフラ整備のため沖縄に渡った。父との相容れぬ思想で家族は永く分裂。このザマも前戦争の残響だろう。
ただし、このような苦悶も、沖縄の人々が受けた悲劇には到底及ばない。
話を戻す。
また、このバーンズ博士はジョン・F・ケネディ前大統領とも個人的な交流があり、伝記ではその人柄を批判的かつ敬意をもって描いている。この反戦で知られたケネディは、暗殺直前にベトナム戦争終結を模索していたともいわれる。
そのような人物の友人だったことを思うと、もしかしたらこの同博士が沖縄戦の惨状を語っていたのではないだろうか。もちろん、あくまで個人的な推測だけれども…。
また、政治学者としては、理想を掲げ、ひとびとを理解し、刺激を与え、模範で導くリーダー像を提示し、前述のルーズベルトや反戦で知られるケネディ、ガンジー、黒人人権活動家キング牧師らを分析して「変革型リーダーシップ理論」を説いた。

ここで、「新しい権力」を論じつつ、権力だけでなく『人道的信頼』こそがひとびとを動かすと説いた。
このように大統領周辺、思想的に大きな影響を与えたバーンズ博士が、若き日に沖縄戦という過酷な激戦地で、民間人や兵士と同じ地上レベルに立ち、従軍史家としてその惨状を徹底記録していたことには驚かされる。
三か月以上も続いたこの過酷な任務で、彼はまさに沖縄戦の「眼」となった存在だった。


どうしてこの事実があまり知られていないのだろうか。本人の自己紹介プロフィールやWikipediaでも沖縄戦については、ほとんど触れられていない。
沖縄での経験は、ハーバード大学進学以前、まだ若き日の戦時体験であったということも理由の一つかもしれないが、それだけではないようにも思える。
前配偶者の証言によれば、沖縄戦の目撃体験が深刻なトラウマとなり、不眠や悪夢、夜中に泣き叫ぶことも頻繁にあったという(下、前ポストより)。

(個人的な見解だけれども)こういった痛ましすぎる記憶のため、プロフィールに記せなかったのではないだろうか、とも思う。
また、それ以上に……、『戦後の歩み』でこそ語られたいという強い決意、こちらも、ひしひしと胸に迫る。国からの勲章という名誉を得ながら、沖縄戦の軍歴は恥じるかのように経歴から消されている。
バーンズ博士は2014年7月15日に95歳で逝去。この追悼記事(英文)では従軍史家だったことがわずか1行だけで触れられている。
多感な若き日に、激戦地で目撃したこの悪夢の体験が、のちの彼の倫理的で人間尊重のリーダー論に深く影響したことは間違いないように思える。
下に、博士の格言集を紹介させていただきたい。そのことばの中では、権威主義や強制・搾取的に人を扱うことへの批判、すべての人を人として扱うことの重要性が繰り返し語られている。(原文:英語はこちら)
『真の指導、つまりリーダーシップとは、権力の行使を超えたものだ。』
『人を駒として軽んじず、王子を王子として持ち上げることもせず、あらゆる人をひとりの人間として尊重することが、もっとも重要だ。』
『権威や権力は結果を生むものだが、一番重要なのはその「意図」のあり方であろう。』
『おろかな権威主義者は人間をモノとして扱うかもしれないが、真の指導者はそうではない。』
『指導者が役に立っているかどうかは、政策のためのメディア・マネージメントによるものではなく、社会の変化や人々のニーズ・期待がどれだけ満たされたかで判断すべきだろう。』
『かつての豪華客船は戦時用に改装され、舷窓は塞がれ、灰色の迷彩塗装が施されていた(反戦的な意味を含む)。』
原文:英語はこちら

画像出典:格言壁紙ダウンロードサイトQuoteFancyより
これらのことばは、まさしく沖縄戦の壮絶さから人間の尊厳の大切さを学んだかのようにも響く。こう感じるのは、私だけだろうか…。
だとすれば、これらのことばは、熾烈な沖縄戦の地上で彼が目撃し、心に留めていたであろう戦没者たちへの静かな追悼となるかもしれない。

「沖縄戦の目撃証言そのもの」ともいえることばたち。それらは戦後、1948年の国連世界人権宣言の草案者たちのもとに伝わっていたかもしれない。博士は軍歴を誇らず、ただ行動を遺した。
追悼の思いを込めて、ここにささやかながら投稿させていただく。
かつて敵側だった米軍従軍史家が戦後、人道的・倫理的リーダーシップを問いながら論じた事実に、日本人として深い戒めと重い示唆を感じた。
軍歴勲章を誇らなかった博士の教えを受け、家族の断絶が消えなくとも父の軍国・右翼思想には絶対に加担しない。誰かの犠牲の上にしか成り立たない思想だから。世界平和と沖縄のひとびとの幸せを願い、この立場を静かに示す。
戦争追悼八十年
〜 平和を願い、黙祷と合掌 〜

