灰原日誌7『ピーベリーとフラットビーン…』に寄せて その③
ベルは何度も読み返していた。
「 ピーベリーとフラットビーン 」
豆から例えたものは、資質、在り方、存在そのもの。
到底看過することのできない圧倒的な他者。他者という言葉で切り離したくもない存在。
アイツ、アナタ。
私とは。私達とは。
アナタは貴方?貴女?
何度も反芻して練り上げられた恨み節。
何に対して。誰に対して。
名前も性別も、立場も場面も分からない。
心臓をギュッと鷲掴みにされ身を捩らせるようにして悶える様子が痛いほど伝わってくる。慕情が全てを包み込む。
これをどう朗読していいのか、皆目見当が付かない。これが脚本だとしたら、演劇だとしたら役者さんはどう演じるのか。心の底から愛おしいものに対して相応しいのは自分ではないと気づいてしまう。受け入れがたいのは相手ではなく自分自身。置かれた立場、環境に抗う術はない。
ベルの中に、ふと漫画で読んだ1コマが思い浮かぶ。樋口一葉のたけくらべ、いづれ僧侶となる信如と遊女となる定めの美登利。到底添えることなどない。舞台の上で美登利演じる北島マヤは首を傾け下駄の爪先をトンッと地面に打ち付ける。後ろ姿からえもいわれぬ哀愁と色気が漂ってくる。
ほんの少し、ほんの少しだけ
力を逃がす
そうして漸く前を向ける
もっともコニシ課長の作品は、心に秘めた仄かな恋心というような端から手に入らないという類いの諦めを描いたわけではなく、その相手により、手にしていると思っていたものが手のひらをすり抜けていくような焦りや自分の身がすっぽり抜け落ちてしまうような怖さを抱えながら、尚も諦めきれない情念とこの身から沸き上がり矧がすことのできない思慕がもはや自分の大部分を占めており相手を認めることことでしか自分を認める術がなく、受容へと向かっていくその移り変わりを描き出しているように感じる。
「をかし」ではなく「あはれ」
コニシ課長の新たな境地をみた気がする。
でも、困った。
こんな作品、どうしたら朗読できるというの。
とにかく朗読のヒントが欲しい。
読んでどう感じるのか誰かの意見も聞いてみたい。
ベルの中には読んで欲しい人が浮かんでいた。
*
土曜日の午後
ボイトレのあと、奈良先生に相談するとノリノリで時間を作ってくれた。ノリが良くて人情味のある先生はいつも明るく相談に乗ってくれる。
誘った先はもちろんいつもの喫茶店。
コーヒーがくるのを待つ間に、朗読用に作品を書き下ろして頂いた経緯を説明し、印刷してきた原稿を奈良先生が読み終わるを静かに待ちながらベル自身もまたその作品を読み返す。
運ばれてきたコーヒーの濃く深く澄んだ表面を見て、奈良先生は潤む瞳を上を向いてギュッと一回しっかりと瞑った後で口を開いた。
「泣きそうになったわ。」
「人間も豆もおんなじなんやね。」
一呼吸おいてゆっくりと言葉を声に出す。
※そして、提示してきた幸せのカタチが不正解だと突然に突き付けられる。それは普通であって普通のカタチではないと突き付けられる。それを簡単に認められる理由が私にあるはずがない。
「もうここ、」
「いかん、泣けてくる。」
奈良先生は用紙を指差しながら真っ直ぐな声で言う。
※なぜ、私の番でそれが来てしまったのか。もっと他の人の番で良いではないか。
「 “番” タイミングなんだよ!そして、つがいでもあるんだよ…。相手は自分の鏡なんだ。」
奈良先生の口から出る言葉はどこまでがコニシ課長
の書いたもので、どこからが奈良先生の言葉なのか分からなくなる。それぐらい、同一化してる。
凄い。
ボイトレだけじゃなく演技指導も出来るのかしら。
それともそんな想いを抱いたことが…、とふと奈良先生のことを聞いてみたくなった。
コーヒーを一口飲んだ奈良先生は、
ほんの少し、
ほんの少しだけ
力を逃がしたように
すっきりとした顔になって言う。
「これがピーベリーのコーヒーね。」
その手は愛おしむようにカップを包み込んでいた。
(つづく)
#なんのはなしです珈
『ピーベリーとフラットビーン』に寄せて その③
この創作記事は、なんのはなしです課を会社のひとつの課とした『なんのはなしですか』の非公式ストーリーで、なんの役にも立たない灰原がたまに力なく夢だけ語って空回りをしている様子をドキュメンタリー風にしてお届けしております。
お付き合い頂きありがとうございます。
コニシ課長とその作品はこちらです。
奈良先生はこちらの方です。
感想ほぼそのまま引用させていただきました。
ありがとうございます。
引き続きどうぞよろしくお願いします。
