ピーベリーとフラットビーン
読まずとも聴けます。
補う形で私達は、成立していたはず。お互いを思いやることで、誰から見ても支えあっていると分かるように見せてきた。
そこに、多少の嘘も存在していたはずだけれども、二人だからこそ完全になれるのだと私は信じていた。
二人だから美しいのだとずっと長い時間をかけて示されていた。だからこそ、その美しさを競って生きてきた。
惹かれ合うことは、継続出来る。足らない部分を知っているからこそ納得出来る。そうやって補ってきた。私は、思いやり、補うことを美しいとさえ思えてしまえれば、それは幸せのカタチの一つだと信じていたし、そうやって受け継いできた。
受け継いできたものを進化させるのが、私達の存在意義だから。
お互いが、不完全を知っていて完全を目指すからこそ調和がとれる。そうやって世界に普通の在り方として幸せを提示することこそが、正しい解答で、正義で、受け継がれるべきもので、他人の目に映る安心を与えることだと思っていた。
それを疑うことすらしなかった。
美しいを一緒に形作ることで、歪な器でも正当化される。正しいと思われる目は、簡単に意図して作れる。一度作られたカタチには、人間はどんどん寛容になっていく。許容されていく。甘くなっていく。
それなのに、私達が長い間作ってきた安心は、簡単に崩れる。崩れることを本当は最初から知っていたように、強固だと思っていたモノほど弱い。その弱さを皆知っているのに、自分が崩さなければ良いと思っている。
そして、提示してきた幸せのカタチが不正解だと突然に突き付けられる。それは普通であって普通のカタチではないと突き付けられる。それを簡単に認められる理由が私にあるはずがない。なぜ、私の番でそれが来てしまったのか。もっと他の人の番で良いではないか。
アイツは、私達が嘘だとでも言うように、一人で最初から咲いている。悔しいくらいに咲いている。なぜ、今なのよ。
アイツが異質なだけだ。
違うことを知っていて、なぜ補うことをしない。なぜ一人でいる。誰だって同じように補って、支えあって、幸せを提示しているのに。
幸せを提示せずとも幸せだと言うな。
そんなに否定するように、咲かないで欲しい。一人でも大丈夫だと見つめないで欲しい。認めたくないものを見て、それを肯定してしまいそうになる私の気持ちがアナタにどれほど分かるのかしら。絶望に近い認めたくもない嫉妬よ。
それなのに、アナタは最初から私を認めている。そんなことが、許されるとでも思っているのだろうか。それを私が認めてしまったなら、私が築いてきたものは、すべて嘘になる。
なぜ、幸せを提示しただけなのに、それを否定するような違うカタチを見せて、幸せだと提示するの。そして、なお私を許そうとするの。
私が、アナタを認めてしまったならば、私でいる意味がなくなる。そんなこと知っているはずなのに。最初から許さないで。無理をしていたのは、私?私達?
私達のキレイな幸せの形は、まやかしではない。きちんと全員に提示している。
それなのに、違うアナタがそんなに優しい目で見ないで。
私に起き上がる感情の理由は、よく知っている。知っているの。新しく生まれるカタチは、まず否定しないと、自分の存在理由がなくなるから。
そして、すでに否定してしまっていることで、アナタのことを認めていることに私は気付いているの。
それでも、否定させてよ。お願いだから。
私が、私達の幸せのカタチになることにどれだけの時間をかけたか知っているよね。それを否定もしないで、認めた挙げ句に咲かないで。
ズルいよ。アナタがしていること全部。
それを美しいと思ってしまう私の気持ちを何も知らないで咲かないで。どうして私がアナタになれなかったのかなんて思わせないで。
アナタは、人と違うことをこれ以上誇らないで。
これから、どうなるのかなんて、想像しなくとも分かる。アナタの美しさを認める人が増えていく。それは、私達が最初に咲いた時と同じように。
全員知っているの。はじめから。
だから、これ以上咲かないで。
私達は、アナタを許したワケでも認めたワケでもない。それでも、知らないワケにはいられないから、そこで咲かせてやるわ。
いつ居なくなってもいいように。
それでも、認められてしまうのも知っている。
だからこそ最初から、キレイに咲かないで。
答えが提示されてきた↓溢れてる。
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