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『観測外―警視庁A種事案:シュレディンガーの叛逆―』 第八章◆点が線となって繋がる瞬間 【1】

第八章 点が線となって繋がる瞬間 【1】


 時計の針は、正確なリズムを刻み続けている。
 その音だけが、やけに耳についた。
 この日、灰瀬は机の前に座っていた。

 そこに置かれているのは前回と同じ数枚の写真だった。ネットは使えない。監視されていることが予想される以上、アナログが安全だ。

 「警視庁爆破事件の現場」、「焼けた床。歪んだ鉄骨」、「フードを被った男の、後ろ姿」。
 灰瀬はその写真を指で押さえた。
 わずかに、紙が音をだす。
 全てが同一人物だった。あの夜、「134号」で見た男。

橘寛見たちばなひろみ
 
 いま灰瀬の部屋に寝泊まりしている男だった。

「……」

 灰瀬は再び机に視線を戻した。写真の横には、別の資料が置かれている。
それは古い事件のコピーだった。そして、灰瀬の両親の事件だった。
 ページの端は少し擦れていた。何度も見返した証拠だ。
 灰瀬はその一枚を手に取った。

『事件概要・死亡時刻・現場状況』。

 そして――

 そこに書かれた文字に目が静かに留まる。『担当部署』。

「……公安」

 小さく呟く。
 それは変わらない事実だった。あの事件には、最初から公安が関わっていた。理由は明かされていない。説明もなかった。

 ただ「そういうものだ」として処理された。重大事件であれば通常のことだからだ。だが、遺族に説明がないのは?
 灰瀬は紙を机に戻す。指先がわずかに止まる。

 橘寛見たちばなひろみ。頭の中で名前が浮かぶ。公安の人間であり、任務の記憶はある。だが、最後だけが欠け、なぜか本人には爆発の記憶がないという。

 あの破壊は、爆薬じゃない人間の“力”。灰瀬は椅子に深くもたれ、視線を天井へ向ける。
 思考が、ゆっくりと動き出す。

 この事件には共通点があった。
 一見、全く別物にみえていた事件全てに理由があった。
 
 “爆破事件”に関与しているとされる“橘”の存在。
 その橘が所属する公安。そして、灰瀬が学生の頃に起きた両親の事件。

(今まで点だったものが線になり、自然と城崎へと繋がっていく。これが佐伯の言っていた“因果”なのか?)

 あの男の顔が浮かぶ。穏やかな表情。だが、その奥にある興味の対象は……ただ一つ。

「観測」

 あの言葉を聞くと思い出すのは……。
 灰瀬は静かに目を閉じる。

『Case-A17』

 使い捨てられた少女と保管されたデータ。
 あの日城崎が放った感情が感じられない冷たい言葉。

「対象」
「経過」
「変化」

 実験対象を総じて“現象”として呼び……モノとして扱う視線。
そして昨日。

《壊れる過程は美しい――》

 ――あの一言が脳裏を離れない。

 灰瀬の指が、わずかに動く。

(同じだ……橘も、あの少女も、そして“俺”も扱われ方が、同じ人間としてではない、ただの道具だ)

「観測対象」

 灰瀬はゆっくりと目を開けた。
 視線が机の上をなぞる。
 写真、資料、記録。すべてが、バラバラに見えていたもの。

だが――

 いま繋がっていく……。一本の線が、浮かび上がっていく。
 ある意味、時間をかけながらここへと導かれたように――。
 佐伯が送ってきたあの短い、たった一通の「メール」が全てを大きく動かし、そして変えたのだ。

 橘は、公安の人間だ。だが今は、追われる身だが理由は不明のままだ。そして記憶の一部が欠落している。能力はあるが本人自身に制御するほどの技術がない上に、そこまで強い力でもない。

 だからこそ――

(制御されていた?)

 その考えが浮かんだ瞬間、思考が止まる。
 灰瀬は静かに息を吐いた。

(……ありえるな)

 あの時語った橘の言葉が蘇る。

《“見せられた気がする”》
《“自分じゃない視点”》

(あれはただの混乱じゃなかった。そこに何かの構造があるはずだ)

(誰かが、脳に触れている――)

 灰瀬は指で机を軽く叩いた。コツ、コツ、と乾いた音が思考を鮮明にしていく。

(じゃあ、誰だ。――考えればすぐに判る。城崎しかいないじゃないか)

 そうあの男しかいない。

だが――

 これには証拠が存在しない。いまの時点ではただの推測でしかなかった。
 しかし、いま最も高い可能性のあるものだ。経験上、否定できるものではない。灰瀬は再び視線を紙に落とした。個人的に追い続けてきた両親の事件資料。
 ここにも出てくる公安の関与。

『理由不明 / 説明なし / 処理済み』

(これも……)

 そこまで考えて、止まる。ほんのわずかな躊躇い。
だが、再び動く思考は止まることを拒否した。

(同じ構造なのか?)

 橘と、あの少女、そして自分の両親の事件が、静かに次々と繋がり始めて赤く長い一本の糸となっていった。複雑に絡み合った一本の赤い糸。

(これは偶然じゃない。ここまで重なる理由がない。……誰かが)

 全身の毛穴が開くのがわかった。駆け上がるようにして鳥肌が身体中に立っていく。
 激しい戦慄が灰瀬を支配した。これ以上踏み込んではいけない領域だったのかもしれない。喉の奥で言葉が止まる。
 その先を、知ってはいけない。いや、知らない方が良かった。

 その時、ピリッとした感覚が灰瀬に触れる。灰瀬は立ち上がり、警戒しながらゆっくりと部屋を見渡した。
 特段何も変わってはいない。いつも通りの部屋だ。

 しかし――

 城崎の接触から、自分の捉え方だけが変わった。

(やはり、どこからか見られてる……)

 昨日から消えない感覚。「視線」「干渉」そして「観測」。灰瀬は小さく息を吐いた。
 そして、机の上の写真を一枚裏返す。
 両親に関する資料の進捗を知られないために隠す。

「この感覚……偶然じゃないな」

 小さく呟く。
 目には映らないが確実に感じる。それは灰瀬の能力に起因するものだった。否定はできない。

 灰瀬は窓の外を見る。昨日と同じ青い空。周囲に不審なものは何もない。

 だが、確かにそこに「いる」。
 
「並べている」

 言葉が、自然に口元から零れ落ちてきた。
 それはまるで、ゲームのように「誰か」が「事件」を、そして「人間」を配置している。
 
 楽しむように……。
 
 その感覚だけが、はっきりと残る。
 背後で、かすかな物音が聴こえ。灰瀬が振り返えるとそこに橘がいた。
 まだ意識の境界がはっきりしていない。瞳があの時とよく似ている。


『……刑事さん。真相に…近付いているかね? 』


微妙にかすれた声。そして、この聞き覚えのある単調な口調……。
 
(――!? )
 
「城崎――か?」
 
 そう言葉を発した瞬間目は元の色に戻った。橘は驚いた顔をして灰瀬を見た。
 
「――は? 」
「……ああ、すまない……なんでもない。どうした? 」
 
(橘は気付いてないのか? また……何も覚えていない)
 
「……夢を見た」
「……また寝てたのか? 」
「仕方がないだろ?やることないんだから」
「で? どんな夢だったんだ? 」
 
 呆れたように見つめられ、橘はムスっとした顔で続けた。

「知らない場所だった。でも、知っている気もする」

 灰瀬が心なしか訝し気な表情を浮かべているにも拘わらず、橘は話を続ける。

「……俺じゃない誰かが」

 言葉を選ぶように。

「俺を見ていた」

 その言葉は、あまりにも昨日と同じだった。
 灰瀬はその話を真摯に受け止める。なぜなら自分の仮定が正しければ、今この瞬間も「城崎」に観測されている可能性があるからだ。

 橘はいまその状況に身を置いている。

「なあ」
「なんだ」
「俺に何が起きているんだ? 」 

 その切実な問いに、灰瀬は少しだけ考えた。どこまで教えるべきか、と。仮に自分が知っていることを教えた所で、橘がどこまで受け入れることが出来るかもわからない。

 だから――

 灰瀬はその問いに敢えて答えることをしなかった。
ただ、橘も苦しんでいる事は確かだ。

「……昼飯、奢れ」

 橘が一瞬、ポカンと口を開け呆ける。

「は?」
「話はそのあとだ」

 淡々とした口調。
 橘は数秒固まっていたが―― 
 小さく息を吐いた。

「……わかったよ。あ〜、でも俺いま金ないから出世払いにしてくれ」

 ポケットの底を引っ張り出して苦笑いをする。
 その表情はまだ不安定だが、ほんの少しだけ、人間らしさが戻っていた。
 晴れ模様の空は今日も変わらなかった。
 窓の外に目をやると、桜が咲く時期はもうすぐ。

「そうだった――、お前が外に出れないの忘れてたよ。しょうがない、ウーバーでも頼むか」
 
 灰瀬は何も言わず、ただカップを持ち直した。
今は、何も知らなかったあの時とは違う。もう前と同じようには見れなくなってしまった。
 視えない線が、いまそこに横たわり自分の方に視線を向けている。

 闇色の瞳で、確実に……。

 そしてそれは――まだ、どこまでも続いていた。

 
 

次回金曜日21時(数分誤差有)更新:

『盤は、すでに整っていた……』

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