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ひとりで家を買った話

34歳の時、家を買った。

なんで?早くない?結婚諦めたんですか?など、周りからは様々なリアクションを頂いた。なんでかと問われると、一言では説明が難しい。でも簡単に言ってしまえば「心から安らげる場所がほしかった」それだけかもしれない。


若い頃、人生の計画表のようなものを作成していた。とはいえ、かの有名な大谷くんの夢ノートとは程遠い、かなり大雑把な走り書きメモだ。
その存在すら忘れかけていた頃、偶然にもそのメモを見つけた。28歳の欄には「マンション購入!」と元気よく書かれている。どんな仕事に就いたらその年齢で買えるのよ…と過去の自分に突っこんでしまったが、夢だけは大きく持っていた当時の自分が、今はすこし羨ましい。

数年遅れで、図らずとも夢は叶った。そのメモのことは忘れていたし、絶対に叶えるぞ!と意気込んでいた訳でもない。それなのに、他の計画もなんとなくだけれど、そのメモの通りになっているから不思議だ。

例として、私は40歳を前にして独身なのだけど、その計画表の中に「結婚」や「出産」というワードが一切入っていなかった。当時付き合っていた恋人もいたはずなのに、そのゴールをガン無視というのは一体どういうことなのだろう。「将来結婚したらさ、犬飼いたいよねぇ〜」という彼の甘い問いかけに、地声よりも数オクターブ高い声で「そだねぇ〜」なんて答えていたはずなのに。

計画表のトピックスは、主に仕事のことばかりだった。思えば仕事が楽しくなってきた時期で、休みやプライベートの時間も費やして、徹夜で作業なんてこともざらにあった。そんな調子だったから、恋人との約束よりも自分の事を優先して、相手を怒らせてしまうなんてこともしばしば…。

良いように言えば、仕事に邁進してきた20代。これといった趣味もなかったので、単純にお金の使い道がなかった。「ひとりで家を買うなんてすごいね〜」なんて言ってもらえることもあるのだけど、仕事ばかりしていたら使い道のないお金が自然と貯まっていた、というだけの話なのだ。



今の家との出会いは、突然だった。
当時住んでいた家の更新をするかどうかで悩んでいた時、ドアのポストに投函された一枚のチラシ。物件との出会いは縁とタイミングだなんて聞くけれど、本当にそうなのかもしれない。そのチラシに直感めいたものを感じた私は、すぐに内見の予約を入れた。

内見は、兄についてきてもらった。「いや、別に買うつもりはないんだけどね?どんなもんか、見るだけだから…」と、まるで自分に言い聞かせるように無駄に兄に話しかける。

道中、ベテランの風格がある不動産屋のSさんは、いかに住みやすい地域であるかを軽妙なトークにのせて説明してくれた。そうこうしているうちに目的地へと到着し、内見予定だった六階の部屋へと案内してもらった。

今まで決して広いとは言えない部屋に暮らしていた身にとっては、魅力的にもほどがあった。十分すぎる広さと最新の設備、何よりも一番の売りは眺望だ。

私は、眺望に弱い。

眺望に弱くない人なんていないかもしれないけど、その中でも群を抜いて弱い自信がある。廊下を抜けてリビングの扉を開けると、大きな窓からは燦々と光が射している。引き寄せられるようにベランダへと向かうと、遠くの山々と富士山までもが一望できる雄大な景色が広がっていた。

これは、堪らないな…。
まぁでも、夢のまた夢だ…。
鈴木雅之もそう言ってる。

夢見る気持ちをグッと抑えて、内見を終えようとしたその時「これって、最上階まで上がれます?」と、兄がSさんに尋ねた。

Sさんからは事前に、この日は諸事情により最上階の部屋は内見できないと言われていた。しかし兄の問いかけにSさんの顔つきが変わる。「実は状況が変わって、今日ご覧頂けるようになったんです!」と、目の前に鍵をチラつかせてきたのだ。

いや、絶対にダメ…。そもそも半ば勢いで来てしまった内見だ。具体的に試算したら、現実的な問題にぶち当たることは目に見えている。住めない家に心を奪われたくないし、正直これ以上、好きになりたくない。最上階を知ってしまったら、私は最上階を忘れられず、最上階の夢を毎晩みて、最上階に溺れていく…

頭を抱える私を尻目に「お、見れるんすか。じゃぁお願いしまーす」と、Sさんと兄は部屋を出ていく。ていうか、買うの私なんですけど…

感想は言わずもがな、ほんの数階あがるだけで景色の広がりが全く違う。空の奥行きが尋常じゃない。これこそまさに理想の眺望。

「どうしよう、ここに住みたい…」そう思ってしまった。

帰り道「ほんと、余計なこと言うからさぁ…」などと兄に軽く八つ当たりしながら、高まる気持ちを抑えつつ、その日はひとまず内見を終えた。



ひとりになり、これまでのこと、これからのことを考える。そもそも、なぜ家がほしいと思っていたのか。これには、自分が育ってきた環境が影響している。

私の母は心の病を患っていて、家の中は常に緊張感が漂っていた。母を刺激しないよう気配を消して生活する中、一切の音を立てずに玄関の鍵を解錠するスキルなんかも自然と身につけてしまった。

SASUKEならぬNINJAがあったら、きっと一度は優勝していたと思うが、こんな風に冗談にしなければやっていけないくらい、私にとって「家」という場所は、決して安心できる場所ではなかった。

でも、その環境のおかげで、早い段階から自立心が芽生えた。これまで仕事を頑張ることができたのも、そのことが原動力になっていたような気もする。計画表に書かれた「マンション購入」はイコール「心から安心できる場所を手に入れたい」という潜在的な意識もあったのだろう。

今が、その時なのかもしれない。

自分の心と向き合いながら、購入に向けて心は決まりつつあったのだけど、最後にひとつだけ引っかかっていることがあった。

その年の春、父が突然亡くなった。それだけでもインパクト大だったのに、団信保険に入っていなかったという特大の置き土産付きだった。残された家族に負担のないよう、家主が亡くなったら残りのローンは相殺される。一家の大黒柱なら誰もが入るであろう、愛のある、愛しかない保険だ。

今でこそ入ることは必須らしいが、当時は選択できたらしい。当時の制度、うらめしや…。父は生命保険にすら入らない人だったので、団信保険なんてアウトオブ眼中であったことは容易に想像できる。

私は、選択を迫られていた。今手元にある貯金を、置き土産の返済にあてるか、自分の家を購入するための頭金に使うか…

直接的に、何か言われた訳ではない。けれど、近しい人たちと父の団信ネタで盛り上がるも「まぁでも、お子さんがなんとかしてくれるでしょう!」みたいな雰囲気があったし、それを期待されているようでもあった。それも当然だろう。父が死に、残された家族で力を合わせなければならない時なのだから。

でも、ふと思ってしまう。
自分の人生は、なんのためにあるんだろうかと。

私には反抗期がなかった。グレてもおかしくない環境だったと思うけれど、その道は選ばなかった。ただ本音を言えば、盗んだバイクで走り出し、窓ガラスをぶち破りたい衝動に駆られたことだって幾度もある。けれど家の中心は常に母で、私たちは脇役。反抗期なんてやっている場合ではなかったのだ。

これまで誠実に我慢強く、家族に向き合ってきた自負はある。ここでまた自分が懸命に働いて稼いだお金さえも返済に使ってしまったら、さすがに自己犠牲がすぎやしないだろうか…

そんな想いを、正直に兄に話してみた。兄は「んなこと気にするな。お前の人生なんだから、お前の好きにしたらいい」と言ってくれた。

母にも、ありのままの想いを伝えた。
すこし面食らっていたけれど、納得してくれた。

二十年遅れでやってきた、初めての反抗期。なるほど、こんな風に胸がスーッとするのか…。物も壊さず、誰のことも傷つけず、なにより自尊心が守られる。私なりの、支配からの卒業だった。



そこからは、あっという間に話が進んだ。
生涯の買い物を直感で決める人なんているんだろうかと不安になったが、「全然ありです。物件はご縁とタイミング!」というSさんの後押しもあって、決断した。

無事にローンの審査も通過し、ついに契約の日。
数時間に及ぶ書類の手続きを終え、家の鍵が引き渡された。もう外は暗くなっていたけれど、はやる気持ちを抑えられない。あの日、この家へ向かう時の高揚感は、今でもよく覚えている。

玄関のドアを開け、中へ入る。
「お邪魔します…」と思わず口にしてしまうほど、自分の家だという感覚はまだ全くない。一目散にベランダへ向かうと、昼間の様子からは一転、目の前には綺麗な夜景が広がっていた。夜景と言っても、決して派手ではないものだ。家の灯りがぽつぽつと灯る、心が落ち着く風景だ。

実家にいた頃、忍者スキルで鍵を突破するも、鬼門であるチェーンがかかっていることがあった。玄関のチェーンを前に、人はあまりにも無力だ。そんな日はもう潔く諦めるしかなく、マンションの屋上で夜を過ごすこともあった。

私が眺望に弱いのは、きっとここからきている。
学生の頃はSNSもなかったので、遠くに見えるひとつひとつの家の灯りを眺めながら、ひたすら想像するしかなかった。

もしかしたらこの世界に、私と同じ想いをしている人がいるかもしれない。同じように、こちらを眺めているかもしれない。だったら私も、もう少し頑張れる。そうやって想いを巡らせることで、心が楽になったのだ。

あれから、長い月日が経った。
目の前の景色は、こんなにも見え方が変わるのか。

その眺めを写真に撮り「ついに家、買ってしまいました〜」と陽気なテンションで友人に連絡をした。「ねぇ、マジで言ってんの?独身街道まっしぐらじゃん!」なんてテンションで返ってくると思っていたのに、友人からの返信は思いもよらぬものだった。


「あんたさぁ、本当、今までよく頑張ったよ」


なんでか急に、ぼたぼたと涙が溢れてくる。
くそー、ずるいずるいずるいずるい。
そんな不意打ちの「よく頑張った」なんて、反則でしかない。

消えてしまいたいと思う夜なんて、数えきれないほどあった。それでも、子供だった私はあの屋上で、まだ見ぬ未来には光があるのではないかと、諦めきれずにいたのだ。だから早く大人になって、それを自分の目で確かめてみたかった。

諦めが悪くて、本当に良かった。
光は、あったみたいだ。
今それは私の目の前で、きらきらと輝いている。



この家で暮らし始めて、今年で五年目になる。

「ただいまー」とひとりで大きな声を出す。「おかえりー」と迎えてくれる旦那さんも可愛い子供も、駆け寄ってくる愛犬もいない。それでも私は、この家に帰るのが待ち遠しい。正真正銘、わたしの帰りたい場所だ。

自分のために料理を作り、掃除をして洗濯をする。時々花を買って、好きなようにいけて飾る。友人から教えてもらったお店で自分用のお土産を買って、ほっと一息ついたタイミングでそれを愉しむ。

そんな暮らしを、この家でひとり、淡々と送っている。

計画表に書いていたような威勢のいい夢は、もう描けない。今後の人生に待ち受ける大きなトピックスも、おそらくないだろう。でも、今が十分だと思っている。

きっと一般的な幸せではないのだろうし、自分が変わっているという自覚もちゃんとある。それでも多分、この暮らしはこれからも続くだろうし、それをこの家で続けたいというのが、今の私のささやかな夢だ。


テーブルの上からポテチ(大袋)をどけたのは内緒


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