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「私には出来ない」は捨てるじゃなくて、置いていく 学びと感謝を伝える

コーチングの学びとクライアントさんと出会うの両立を実験中のなほです。

毎日楽しいが向こうからやって来るし、楽しいをもっと私にさせちゃおうと思います!

先月、私は「私には出来ない」を捨てるって決めた機会がありました(「人生春の捨て祭り」にて)。

ただ、今日、自分の歩いてきたコーチングスクールでの学びの旅路を完了させることをして、「捨てる」じゃないや、置いて行くんだ。

がはっきり分かった!

「次々に壁が現れる。」

授業が始まった当初、ずっとそう感じていた。
それは授業でも練習でも変わらずそういうことが起きていると感じていた。

けれど、今はその壁が小さくなっている。
壁として存在しているのかもしれないけれど、壁と思わなくなったような…

というようなことを話した。

なぜ壁は小さくなったの?

と聞かれると、

自信がない。人と比べることが起きていたけれど、今はそうじゃないって分かっている、みたいなことを話したと思う。

今日からの私は、バージョン2になる。
本で言うと、第2章が始まる。

としたら、何を置いて行く?
を問われた。

そう問われたら、私は、「私には出来ない」を置いて行く。

まず、私の中からそっと「私には出来ない」を取り出して両手ですくいとった。

そして、左側が過去だよ、という認識をした上でそっと置いた。

「そっと」が大事だった。

(メモ:人間の認識として、時間の流れは左→右に流れていくのか?)

本当に置いて行って良いの?って疑問というか、ちょっと不安な私もいたけれど(しばらく視線がその置いた場所を見ていた)、

次に未来に持って行くものは?を考えた。
未来は右側。

「私が私を信じる力」を持って行く。
と答えた。

未来に何を持っていくのか?を考えて、

改めて、
ではそっと置いた過去の私に何て声をかける?
何を学ばせてもらった?
感謝の気持ちとともに伝えてみてをしたら、

ありがとう。あなたのおかげで私は、自分を信じることが大事だと学べたし、私が私を一番信じてあげることが大事だって分かったよって、言えた。

そう言えたら、そっと置いた「私には出来ない」は置いて行くことが出来るに変わった。

ほんとに置いて行けるのかしら?のちょっと不安な私から、置いて行けるよって言えるになった。

私がこの学びの時間を通して、未来に持っていくもの

「私が私を信じる力」

これをコーチの前で、ちゃんと宣言した。
儀式を行いますってコーチから提案されて、宣言した。

コーチが「私は私が私を信じる力を未来に持って行きます」を言葉に出して宣言してみて下さい。
私が証人になります。って言ってくれた。

私は、「私が私を信じる力」を未来に持って行きます。

って宣言した。
ちゃんと聞いたからねって声をかけてもらった。

話してみて、感じたことをその場で言葉にした。

自分を「信じられない」と「信じる」を行ったり来たりしていて、それは今まで比較する対象がいなかったのに、クラスメイトと比べるが授業が始まった当初は起きていて、だから余計にずっとゆらゆらと揺れていた。

けれど、今日こうやって言葉にして私の旅を定義する・完了させることによって、もう「私には出来ない」という自分に自信が持てないではなく、「私を信じる」の方に振り切れるって思った。

と話しました。

多少は、自信を失うに振れることはあると思う。
人の成長は右肩上がりではなくて、ギザギザしながら成長していく。

誰よりも「私が私を信じる力」を私はこの旅を通して手に入れていて、未来に持って行くんだ、と決めた。

「決めた」ことによって、それは現実になる。
宣言したことで、私はちゃんとこれを持って歩いて行ける。

まとめ

「なほバージョン2」になりました笑

儀式として「宣言」をしたことで、「決める」をただ私の中でするだけでなくよりエネルギーの宿った私の言葉になったと思う。

言葉の力を信じているけれど、より近い手触りの分かる言葉になった。

卒業式や入社式など、ちゃんと儀式として時間を区切ることで、その意味を受けとることが出来る。
流れて行かずに受けとることが出来る。

そういう物理的な完了や始まりもあるけれど、コーチングでは内的な意味での完了を扱うことがある。

私は考えるのが好きなので、私の中での意味づけは何だったのか?という視点で振り返っていることがしばしばあります。

けれど、コーチがいることによって、より深く本質的な意味に近づく。

そして、コーチがともにいてくれる。
そのことの尊さを感じた時間でした。祝福し、ともに完了させる、それを見届けてもらう。

新しい旅が始まろうとする小さな足音を聞こうとしてくれたり、新たに芽吹こうとしているものを一緒に見つけてくれる。

「ともにいる」をしてくれるコーチがいること。
どれだけ私にとって心強くあたたかいことであるか、それを感じた。

ちゃんと言葉にすることで、固定されていく、定義されて、規定されて、完了されていく

それを自分の体験として感じさせてもらいました。

1人でも振り返ったり、私がこれを経験している意味って何?を考えたり探すことは出来るかもしれない。

けれど、コーチングセッションという場の力、コーチがそこにいてくれることはどんな時間でも力を感じるけれど、その力を改めて感じたし、尊い時間だと思った。

毛布のようにそっとくるんでくれるやさしさを感じていて、対等であること、尊重することをとても感じさせてくれるコーチです。大好きです!

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