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「あたり前のことを、褒めてもらえた日」

前回の最後に書いた「少し楽な生き方」。
その核心は、「どもってもいいや」と思えるようになったことです。
ではなぜ、そう思えるようになったのか。


自己肯定感が低いまま、大人になった。

中学・高校のころ、テストで良い点を取っても、自分なりに工夫して困難を乗り越えても、親からは決まってこう言われた。

「もっとできるでしょ」

「本気でやってないでしょ」


できたことへの評価はほとんどなかった。
今思えば、期待の裏返しだったのかもしれない。
でも10代の自分には、ただ「認めてもらえない」という事実だけが積み重なっていった。
やがて「努力しても無駄だ」という思考が根づき、自己肯定感はどんどん下がっていった。

社会人になってからは

電話が鳴るたびに胃がぎゅっとなる。

会議で発言を求められると頭が真っ白になる。

話すことへの自信のなさは、やがて仕事全体に広がっていった。

メールを送るにも何度も見直す。

資料を作っても「こんな出来で出していいのか」と不安になる。

上司に報告するだけで身構える。

1社目では、そんな状態で満足に働けなかった。



転機は2社目に塾講師として働いている中での出来事だった。

僕は心配症で、授業の準備のために毎日ほかのどのスタッフよりも早く教室に来ていた。
出社時間は決まっているが、いつ行くかは自由。
それでも同僚のスタッフが、ある日こう声をかけてくれた。

「毎日一番に来てるんですね。すごいですよ!」


ただそれだけのことだった。
誰にでもできることを、たまたま自分がやっていただけ。
でも、その言葉が思いのほか胸に刺さった。

「あたり前のことを褒めてもらえる」


——それが、自分にとってどれだけ必要だったか、そのとき初めて気づいた。

これは僕の経験則ですが、自己肯定感が低いと吃音は悪化しやすい。
逆に言えば、自己肯定感が上がれば、話しやすくなることもある。

特別な訓練や治療だけが答えではなく、日常の小さな「認められる経験」が、意外と大きな支えになる。

それを、誰かはちゃんと見ている。 自分では気づいていなくても、その行動は必ず誰かの目に映っている。

そしてある日、思いがけない言葉として返ってくる。
それが、自分を認めるきっかけになる。


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