見出し画像

【新米から中堅先生へ】途上国での研修で変わった教育観✨ | 国際理解教育への目覚め🏫すべて無料

🏫新米先生シリーズをお届けしています。

⬇️前々回の記事はこちらです。

教員1年目を走り抜け、2年目こそ担任を持ちたいと強く願った私。


しかし、校長から告げられたのは「女性だから担任は持てない」という信じがたい言葉でした。


性別や年齢、未婚であることを根拠に希望を否定され、悔しさと無力感に打ちのめされた日々。

しかし、私は「絶対にいつか担任を持つ」という誓いを胸に、立ち上がるのでした。

⬇️前回の記事はこちらです。

⬇️今までのキャリアに関する記事はこちらのマガジンをどうぞ。

教員生活を25年送ってきた私が、これまでのキャリアを振り返る記事を連載します。

教員を退職し、フリーランスになった現在にどうつながっていくのかを知ることで、読者の皆さんのキャリア形成の参考にしていただけたら、嬉しく思います✨

毎週1本ペースで更新していきます。最初の5本は無料です。

では、本編はこちらからです。
今回の記事は、無料ですので、ぜひ、最後まで読んでいただけたら嬉しいです✨



🏫東南アジアの国に研修に行く機会が!

2校目(都市部の大規模校)に赴任した年(今から15年以上前になります)に、チャンスが訪れました。35歳以下の教員を対象に、東南アジアの視察研修が実施されるという案内があったのです。


都会の学校あるあるなんですが、教員の平均年齢が高く、50代だったと記憶しています。当然、校内で対象になるのはほんの数人。


もちろん、全国の小中高すべての教員対象だったので、道内枠も狭き門だったと思いますが、その時からすでに、後先考えない猪突猛進な性格が確立されていた私ですから、すぐに志望動機などの応募書類を書き上げ提出。


いまだに、なぜ選ばれたのか謎なんですが、奇跡的に全国10名の枠に選ばれました✨


この研修が私の教育観を大きく変えるきっかけになりました。


🏫10名の参加者と東京で顔合わせ

5月の大型連休に合わせて開催された研修。勤務校では、「みんな仕事(部活指導)しているのに、あいつは遊びに行くらしい(50代男性教員)」と陰口をたたかれましたが、「何言ってんの?私は勉強に行くんですよ」と、全く気にせず東京へ。(ホント、足の引っ張り合いでしたよ)


全国から集まった、「積極的に世界について学びたい」という気持ちにあふれた仲間と出会いました。今でも、その中で仲良くなった2人とは連絡を取り合っていますよ。


担当者から、研修内容について説明を受け、ディナーで打ち解けて1泊し、翌朝、成田からみんなで飛び立ちました。



🏫窓ガラスがない学校

北海道は、5月というと、まだ札幌のスキー場がオープンしていたりする時期でしたので、研修先の国に降り立った時は、太陽光線の強さと、息苦しい湿度にびっくりしたのを覚えています。


空港、ホテル、車内、すべて冷房が効いていて、寒いくらいでした。そんな中、最初に訪問した公立高校。うだるような暑さの中、多くの生徒達が横断幕を持って玄関前で待っていてくれました。


横断幕には「日本の先生、ようこそ」という言葉。感激しました。校内で冷房の効いている部屋に案内され、生徒による歓迎の民族舞踊や英語でのスピーチが披露されました。


その後、10人の研修団一人一人を、1名ずつの生徒が案内役としてエスコートしてくれ、校内を案内してくれたのです。


そこで見たのは、窓ガラスのない狭い教室で、ぎゅうぎゅうになった生徒達が、必死に勉強している姿でした。私を案内してくれた生徒は、流暢な英語でこう言いました。


「僕たちの学校は、みんなが官僚を目指している進学校です。教室の数が足りていないので、午前と午後で生徒が入れ替わります」


びっくりして、「じゃあ、半日しか勉強できないの?」と訊くと、「だから僕たちは塾に通っています。親が塾への送迎をしてくれます」と言います。


🏫国のインフラを整えるという夢を語った少年

懸命に勉強をしているという案内役の生徒に、「あなたの夢は何?」と尋ねてみました。


すると、「僕はいつか日本に行ってみたいです。日本の道路は素晴らしくて、道端にゴミが落ちていなくて、みんながルールを守っていると聞きました。車のクラクションの音が聞こえないんですよね?」と少年は答えました。


「そうですね。この国では、走行する車がクラクションを鳴らしながら走るのが普通だと思いますが、日本では、交通ルールを守っていればクラクションを鳴らすことはほとんどないです」と私が返答すると、


「僕は、この国を日本のようなインフラとルールの整った国にしたいんです。そのためには、日本に留学したい。そして政府の高官になって国を良くしたいんです」とまっすぐな目で彼は言いました。


雷に打たれたような気持ちでした。


自分は、高校生の時にこんなことを考えられただろうか。国を良くしたいなんて。窓ガラスのない教室を憂えたり、不遇な境遇に落胆するのではなく、笑顔で自分の夢に向かえただろうかと。


「あなたなら、きっとこの国をもっとよくできますね。窓にガラスのある、一日中勉強のできる学校ができて、きれいな道路を作ることができるといいですね!応援しています!」と、精一杯の気持ちを込めてコメントしました。


🏫滞在先のホテルを訪ねてきてくれた少年

案内役の生徒達と別れ、学校の調理室で、生春巻き作り体験をして、先生方とも交流しました。不衛生で粗末な調理室でしたが、そんなことが全く気にならないくらい、先生方が心からおもてなししてくださいました。


訊けば、先生たちは、学校の給料だけでは暮らしていけないので、授業が終わると夜遅くまで塾で働いていると言います。


絶句しました。なぜそんなに頑張れるのかと。


「生徒達が頑張っているからです。これから国を良くしてくれると思います」と先生方は言いました。


悲壮感は全然なくて、みんな笑顔でした。「日本の先生方にお会いできるなんて、本当に嬉しいです。日本人を尊敬しています」と皆さんから声をかけていただきました。


🏫別れ際に、サプライズ

学校訪問の日程を終え、玄関から去る時も、多くの生徒や先生が手を振って見送ってくださいました。感激でした。


すると、あの案内役の生徒が私に駆け寄ってきて、「先生、どこのホテルに滞在されていますか」と言うので、「どうして?」と訊くと、「日本の先生とお話ができたので、お礼がしたいです。とても美味しいお菓子があるので、塾が終わったら親と一緒に買いに行って渡したい」と言うのです。


「そんなことはしなくていいですよ。気持ちだけでいいです」と伝えましたが、一歩も引きません。「日本の先生に会えたことは、僕の家族もきっと喜んでくれます。」とうとう彼に押し切られてホテル名を告げました。


社交辞令だろうな。高校生がホテルにお菓子を持ってやってくるなんてことはないだろう。


そう思っていたのですが、夜にフロントから電話があり、「高校生がロビーに来ていて、あなたを呼び出して欲しいと言っています」と言うのです。


慌ててロビーに降りていくと、あの少年が、お菓子の箱を持って待っていました。「塾が終わってからだったので、遅くなってしまいました。お礼のお菓子です。」


「ありがとう!夢をかなえてくださいね」と声をかけると、彼は「はい」と言い、玄関前に待っていた父親のバイクの後ろに飛び乗って、去っていきました。


🏫この経験が私の教育観を変えた

去っていく親子の後ろ姿を見送りながら、思いました。


「このことを、日本の生徒に伝えなきゃ」と。


どう伝えたらいいのか。何を伝えるべきなのか。そう思ったあの日から、私の教育観は変わり始めました。



🏫次回は・・・

途上国での研修から日本に戻った私が、国際理解教育を実践し始めたことをお話したいと思います。


皆さんにも、人生が変わった経験はありますか?



最後まで読んでいただき、ありがとうございました!





いいなと思ったら応援しよう!

秋月みりーほ | 人生の選択を、自分の言葉で 最後までお読みいただきありがとうございます。 いただいたチップで、本や有料記事を購入して、自分の文章に磨きをかけたいです。皆さんに還元できるような記事が書けるよう、応援してください! あと、たまにスタバのコーヒーが飲めたら、舞い上がって喜びます✨