小説を「才能」だけで書こうなんて恐ろしい!(執筆メソッド確立のススメ)
「小説は『才能』で書くもの」――そんな思い込みに囚われた方、結構いらっしゃるのではないでしょうか?
ですが「才能」なんて「あやふや」なものに頼って小説を書くなんて、恐ろしくはないですか?
有るかどうかも分からない…有ったとして、いつ枯れるとも知れない「才能」に振り回され、枯渇したらそこで「おしまい」…そんな物書き人生、嫌じゃないですか?
そもそも「才能」って何なのでしょう?
そんな正体すらロクに分からないモノに縋って生きるなんて、人生ギャンブラー過ぎやしませんか?
少なくとも自分は「才能」で小説を書こうと思ったことは一度もありません。
小説は「才能」ではなく「技術」と「メソッド」で書くもの…そう思い、最初からスキル獲得とメソッド確立に励んできました。
■天才肌より「職人気質」の方が圧倒的にラクできる
レアなケースなのかも知れませんが、自分は「天才肌」というものに憧れたことはありません。
それどころか「天才って、言うほどカッコイイか?職人の方がよほどカッコよくないか?」なんてことを思ってきました。
だって、天才って「ムラっ気がある」「波が激しい」イメージがありませんか?
時に「他者を圧倒する物語」を難無く書いてしまえる一方、スランプに陥ると全く筆が進まなくなってしまう…
ステレオタイプな「文豪」にはありがちなタイプですよね?
なぜ、そんなことが起こるのか?
→答えはカンタン。
天才は「意識せず」「意図せず」に高品質な作品を作ってしまうからです。
「無意識にハイクオリティーなものを作る」というと、一見「スゴいこと」のように思えますが…
「無意識」ということは逆に「意識して」それを作ることは出来ないということです。
そして、その「無意識」が少しでも狂ってしまえば、途端に今まで出来ていたものが出来なくなるのです。
それに比べて「職人」は「意識して」高品質な作品を作ることができます。
…と言うより「意識」を研ぎ澄まし、鍛え上げて「技術を確立した人」が「職人」なのです。
普通の人が「無意識」にやってしまっていることを「意識」し、己のコントロール下に置いているのが「職人」なのです。
ただの天才なんかより、職人の方が数段「格上」だと思いませんか?
たとえば工芸・芸能を極めた人の中には「人間国宝」と呼ばれる「存在自体が宝と認定された人」が存在します。
自分はそういう「普段の仕事の全てが宝になる」人物像に憧れてきました。
「まぐれ」でも「会心の出来」でもない「通常運行」で、「当たり前」に高クオリティーのものを生み出した挙句「いつも通りの仕事をしたまでです」なんて言ってしまえる――その方が、よほど人としてカッコイイと思いませんか?
それに何と言っても、クリエイター本人にとっては「職人気質」の方が圧倒的に「メンタルがラク」なのではないでしょうか?
一度技術を確立してしまえば、後はそれに従って仕事をするだけで、自然と高品質な作品が出来てしまうのですから…。
■スキルアップは普通に楽しい
「技術を磨く」「研鑽を積む」と言うと、大変な労苦を強いられそうなイメージがありますが…
楽しんで出来るスキルアップって、実は普通に存在します。
…と言うより「いかに自分に合ったやり方で、楽しくスキルを磨くか」が、そもそもの上達のポイントなのではないかと思っています。
皆さん「ゲーミフィケーション」という言葉をご存知でしょうか?
ビジネス(特に社員教育)の現場では主に「ゲーム感覚で楽しく何かを身につける(あるいは効率化や改善を行う)」という意味で使われています。
古から「好きこそものの上手なれ」という「ことわざ」があるように…
何事も「好き」という気持ちで「楽しんで」こそ、上達が進み、スキルが自分の血肉となっていくのです。
たとえば自分は執筆スキル向上のために「1つのスキルにこだわって1作書き上げる」「あえて要素を封じて1作書き上げる(例:シリアスに挑戦するためコメディ要素を封じる)」ということをやってきましたが…
それを嫌々やるのでなく「縛りプレイだぜ!ィヤッフー!」という感覚で行ってきました。
そもそも執筆のためのスキルアップに関しても、ゲームの「スキル育成」の感覚で「次はこのスキルを上げたいから、この要素を特訓しよう」と思いきり楽しんでやっています。
いわば、自分が主人公の「小説家育成SLG」をやっている感覚です。
自分はおそらく思い込みにかかりにくい人間で、先入観というものが他人より薄いタイプなのですが(←そこもちゃんと理由があるのですが、長くなるのでここでは語りません)…
そもそも「スキル上げは辛いもの」「スキルアップは面倒くさいもの」という固定観念が、自分には最初からありません。
なのでごく自然に「スキル上げるのって、楽しい!」「出来なかったことが出来るようになるって、快感!」と思えるようになりました。
物事を上達させるために必要なのは「才能」よりも、実はそういう「努力を楽しめる精神性」なのではないでしょうか?
どんなに「才能」があろうと、その才能を磨くための努力は必要です。
そんな時、その努力を愛せるメンタルが無いと苦しいばかりなのではないでしょうか?
■「スキルを盗む」は創作系では「裏話」や「制作秘話」から
職人の世界ではよく、先輩から「技術を盗め」と言われますよね?
料理や工芸の職人さんは、実際にその技術を目で見て「盗む」ことができるわけですが、小説などの創作分野はそうは行きません。
では、どうやって執筆スキルを盗めば良いのか?
→答えは「メイキングを分析する」です。
世の中には「どうやって作品を作り上げたのか」という「裏話」や「制作秘話」を語ってくださっている方が多々存在します。
そういう「メイキング情報」から「使えそうなノウハウ」を盗むのです。
メイキング無しでも作品本体から「分析」ができれば、それに越したことはないのでしょうが…。
それだと間違えてヘンな方向に分析してしまいかねないため、自分は「本人の語る言葉」に注目しています。
他人様のメイキングの中には、自分が考えもしなかった視点、思いつきもしなかった方法論がよく隠れています。
それを見つけていくのは「宝探し」のような感覚で面白いのです。
ただ、注意すべきなのは「盗むスキル」は「自分に合ったもの」でなければならない、ということです。
クリエイターには様々なタイプがいて、好む作風も様々ですよね?
たとえば、ライトな作風が好きな作者が「重厚で本格的」な作者のノウハウを参考にしても「時間の無駄」になってしまう可能性があります。
作風に関係ない「プロットの書き方」や「執筆スケジュールの管理法」など、部分的に参考になる部分はあると思いますが…。
「人気の作者のノウハウ」と言うと、何も考えずに飛びついてしまう方もいらっしゃるかも知れませんが…
そのノウハウが「本当に『自分』の役に立つものなのか?」「『自分』の作風に合ったものなのか?」は、きちんと見極める必要があります。
自分は普段から「小説家」に限らず、映画監督やアニメーター、漫画家やコピーライターなど、様々な「クリエイター」のメイキングを漁っています。
それは「他コンテンツ」のノウハウであっても、部分的に小説に「応用」できるものがあるからです。
むしろ、昭和の有名漫画家たちが「映画」などの他コンテンツから着想を得ていたように、自分も他コンテンツから「小説コンテンツに無い新しい何か」を得たいと思っているのです。
■執筆の「手順」を確立する
創作活動の一番の敵は「スランプ」…そんな思いから、活動当初から取り組んでいたことがあります。
それは「執筆メソッドの確立」――ネタ集め、アイディアの練り方、設定作り、本文の執筆…その手順の全ての「方法論」をしっかり固め、何度でもなぞれるようにしておくことです。
具体的には、それぞれの工程で「一番上手く行ったやり方」を文章として書き起こし、後で繰り返し読めるようにしています。
「文にしてまとめる」ということは、自分のたどった手順を「意識する」ということです。
自分の技術、自分の手クセを「自覚する」ということです。
そのこと自体が「職人」としてのスキルアップ、高クオリティーな技術の「通常運行化」に繋がります。
何より、普段から自分の執筆手順を「意識」しておけば「無意識のうちにそれが狂ってスランプに陥る」ということがなくなります。
実際自分は「メソッド作り」を始めて以来、スランプらしいスランプ(書けなくなる)に陥ったことがありません。
スランプには陥らなくなっても、スケジュール管理やクオリティー面での問題は残されますが…。
自分の場合「他人に見せない」モノにしてしまうと「適当」になってしまうことが分かりきっているため、ブログに載せ「他人に見せる」ことを前提とした文章に仕上げています。
「他人に見せる」ことを意識した文章にすると、後で読み返した時、不思議と自分でもハッとすることがあるのです。
今でも時々、自分の過去記事を読み、自分のメソッドを見つめ直します。
過去に作ったメソッドをそのままなぞり続けるだけではなく、さらにバージョンアップして「より良い技術」に進化させられないかと、考え続けています。
…ちなみに、このnoteにもいくつか「メソッド」を上げていますが…
「どうせ読む人なんてそんなにいないだろう」と「適当過ぎる自分用(他人に見せないつもりだった)のネタ帳」のページ画像をそのまま上げたら、結構見てくれる方が多くて後でアワアワしています…。
(絵心とか本当に無いので、図や資料の模写がヒドいのです…。今はもう「そうは言っても急には上手くならんから仕方ないやろ」で開き直っていますが。)
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