Uomini,non Angeli.天使ではない ただの男達! 修行僧エッシェンバッハの美学を見習いたまへ!🇵🇱

以前エッシェンバッハについて、色々と御託を並べてみたら、「エッシェンバッハをモーツァルト弾きとして考えた事はない」とか、「女性を寄せ付けない筋肉質な音のイメージがある」に対して、《意味がわからない》という反応を示された事があるのだけれど、私の言葉は、“男性にはあまり刺さらない言葉” だろうと認識している。

それは、ド.ストレートに書いてしまうと、「男」だから。
男性だから、私の言葉が刺さらないのである。
私はモーツァルト弾きとして、エッシェンバッハを「最高峰」として評価している。次いで、クララ.ハスキルと内田光子様。
それは、甘々ではなく正統派で、どこまでも美しく詩情豊かで、あまり気分のムラが感じられないからである。
クララ.ハスキルも内田光子様も、同じ様に好きだけれど、3人とも最高峰で、少しエッシェンバッハが上を行く感じ。

エッシェンバッハは、1940年にポーランド.ブレスラウに生まれ、10歳の時にハンブルクのスタインウェイ.コンクールで優勝している。
ケルン音楽大学でハンス=オットー.シュミット=ノイハウスに師事した後、ハンブルクでエリーザ.ハンセンにピアノを学び、ヴィルヘルム.ブルックナー=リュッゲベルクに指揮を学んでいる。


1962年にミュンヘン国際コンクールで1位無しの2位、1965年にルツェルンのクララ.ハスキルコンクールで優勝し、世界的な注目を浴びる事となる。
ベートーベンやドイツロマン派、ショパン、バルトークの作品を中心に演奏活動を行い、カラヤンとセルに認められ、度々共演している。
1968年にドイツのピーレフェルトで、ハンス.ヴェルナー. ヘンツェが書いたピアノ協奏曲第2番を初演している。
1972年にはブルックナーの交響曲 第3番で指揮者としてデビューし、1988年にはヒューストン交響楽団の主席指揮者となり、1998年からは北ドイツ放送交響楽団の主席指揮者も務めている。

エッシェンバッハ音色は決して暗いというものではないのだけれど、どこか影のあるもので、輪郭のハッキリとした中に誠実さが感じられる美しい演奏だと思っている。
それは、エッシェンバッハの辛く悲しい出来事から生まれたものだったのかもしれない。
エッシェンバッハの母親は彼を産み落とした直後に亡くなり、父親は戦争で命を落とし、エッシェンバッハの心に暗い影と複雑な心理が見える様になったのである。
両親を亡くした為、エッシェンバッハ家の養子として育てられている。

両親を亡くしたその苦悩から、失語症を患った過酷な幼少期を経て、音楽で自分を取り戻したいという背景がエッシェンバッハにはあったのかもしれない。

エッシェンバッハは、モーツァルトだけではなく、シューマンやシューベルトも美しく、硬質で女性を寄せ付けない音質であると、ヨーロッパで評価されており、ヘンツェは、「レガートを遥か遠くまで運んでゆく」とエッシェンバッハの才能を高く称賛している。

エッシェンバッハは独身を貫いており、音楽そのものに一生を捧げているイメージが極めて強い。
エッシェンバッハは、「私は音楽と結婚している。」と語る事もあり、その人生は極めて孤独であり、音楽に対して献身的なスタイルを貫いている。
又、社交界や、パーティー等派手な事よりも、静かな暮らしを好むタイプである。

硬質で筋肉質な音質で、甘えや情緒に流されない修行僧の様なストイックさが、女性の影を感じさせないと思える要因とも言える。
修行僧エッシェンバッハは、クラッシック界でも稀有であり、スキャンダルとは無縁のストイックな人物だろうと思う。
よく、「エッシェンバッハの演奏は、上手いのだけれど、あまりそこまで魅力を感じない」という御意見を男性マニアの方から頂くのであるけれど、当然である。
男性から見たエッシェンバッハと、女性から見たエッシェンバッハでは、かなりの差が出るのは当たり前。


又、クラッシックを語る時、「魂の叫び」とか仰る方が多いけれど、個人的な意見としては、そんなものは「無い」と思っている。
一見ある様に見えても、実は、無いと。
彼らも普通の一人の人間。
普通の一人の男。
芸術がどうだの、魂の叫びがどうだの、そんな事は、一日の仕事が終わってしまえば忘れている人もいらっしゃるはずである。
出来れば、仕事で成功して裕福になり、レコードも一杯売れて、演奏会も御客が一杯入り、不美人よりも若くて美しい女性を常に側に置いておきたいと思うのが本音であろうと。
つまりは、La bella vita!💎

それが証拠に、ケルン市音楽総監督等を歴任しているフランス出身のフランソワ=グザヴィエ.ロトは、フランスの新聞ル.カナール.アンシェネの告発により、ロトの不適切行動が発覚している。
なんとも御粗末な事であるけれども、こういう事はきっと氷山の一角であり、残念ながら他にも沢山あったはずである。
有名な指揮者であろうが、芸術家であろうが、なんであろうが、男性はこういう問題を起こしやすい。
お陰で、2025年~2026年シーズンからの就任予定であったSWR交響楽団の主席指揮者の契約も取り消しとなっている。
これ以外でも、ダニエレ.ガッティや、クリスチャン. ティレーマン等、色々あるようだ。

それと比べて、エッシェンバッハはどうだ!
結局は、芸術だの何だのと言ったところで、本音の部分では、有名な指揮者であっても普通の人間であり、皆 同じという事である。
だから、クラッシックでよく皆様が仰る、「魂の叫び」なんていう気取ったものは、彼らは特に意識もしていないはずで、無いに等しいと思っている。

あぁ、早く帰って御飯食べたいな……
早く帰りたいな……
が、本音だろうと。
現実にヨーロッパの指揮者で、演奏が終わるや否や、そそくさと帰ってしまうので、話も何も出来なかったと聞いた事がある。
それより、「Vita de Casanova 」が “本音” だろうと。
エッシェンバッハの様な求道者は例外として、他の演奏家達は結局、《芸術に生きる巨匠というイメージは幻想でしかなく、中身はただの男なんじゃないの?》という事である。
絶滅危惧種の真の芸術家、エッシェンバッハの様な人を高く評価出来るのは、男性のクラッシックマニアではなく、絶体に女性の方だろうと思う。
こういう話が今まで出て来なかったのは、クラッシックの音楽評論家の大半が、男性だからである。
過去の大評論家である宇野氏にしても、吉田氏にしてみても男性。
男性は、そういうところまで考えたりはしない。
過去の評論文を読んでみても、男性目線でしかない様にも思えるところがある。
エッシェンバッハの演奏は、書で言うならば、「楷書の達人」だろうと思われる。
書でも、ある程度書ける様になって来ると、芸術性だの何だのを意識しだして、きちんとした楷書を馬鹿にするようなところが昔の書道界にはあったはずである。

だから、「エッシェンバッハの演奏は上手いのだけれど、差程良いとは思わないし、つまらない。」とかの御意見が男性に見られるのだろうと感じている。
結構、ベテランマニアの方に限って、そういう事を仰る。
この事は、「女性にしか書けない」はずである。
巨匠と呼ばれる演奏家達も、天使ではなく、ただの男達。
Uomini , non Angeli. 🇮🇹

エッシェンバッハは、「偉大な作曲家達が多くの旅を通じて、他国の音楽に触れ自国に持ち帰り、それを通じて新しいアイデアを生み出した音楽史は、ヨーロッパが多様な文化、言語、アイデンティティーを通じてヨーロッパの共作が可能となった事を証明している」と、SPDヨーロッパ賞受賞スピーチで、述べている。
エッシェンバッハの様な音楽の天使 (修行僧) は稀有で、他の演奏家達は天使の様な顔をして芸術を語るが中身は欲望まみれの人間である…..なんて言わせないでほしいと思うのは私だけだろうか。⚜️

ベートーベンピアノ協奏曲 第1番 カラヤン&ベルリンフィル盤
ベートーベンピアノ協奏曲 第3番 ヘンツェ&ロンドン交響楽団
シューマンピアノ協奏曲 カラヤン&ベルリンフィル ライブ録音 ザルツブルク音楽祭 (1970年録音 )
モーツァルトピアノソナタ 第12番 ベルリン.ミハエルスハイム
1969年12月録音 私が大好きな演奏
モーツァルトピアノソナタ 第14番
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モーツァルトピアノソナタ K. 46e
モーツァルト キラキラ星変奏曲
モーツァルトピアノ協奏曲 第23番
☆ モーツァルトピアノ協奏曲第23番 内田光子様バージョン ☆

シューベルト即興曲
シューベルトピアノソナタ 第20番


💮《 フランスの新聞 ル.カナール.アンシェネの告発について 》💮

フランスの週刊風刺新聞によると、カナール.アンシェネに対しての不適切行為を告発した記事を掲載している。
これにより、シャンゼリゼ劇場はレ.シエクルのコンサートの指揮者をロトからアドリアン.ペルションに交代させている。
(2024年5月23日 フランス新聞情報)






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