🇵🇱愛国者イグナツ.パデレフスキのショパン(祖国への静かな愛の旋律から見える三島由紀夫の愛国心との違い)ムーンライト.ソナタ貴重映画付き.🇵🇱


 


 
1860年にポーランドのクリウフカに生まれたパデレフスキは、1941年にニューヨークで死去している。🇵🇱


⚜️ ポーランド ⚜️


パデレフスキという人間は、非常に特殊な音楽家である。
ワルシャワ音楽院で、ルドルフストロプル、ユルウシュ.ヤノタ、パジェウ.シュレーザー、に就いてピアノを学ぶ。
1878年にワルシャワ音楽院を卒業した後、18歳でピアノ教授に任命され、24歳の時にベルリン経由でウィーンへと旅立ち、テオドル.レシェティツキに教えを請うたけれど、年齢的なものから考えてみたら遅いので、この年齢になってからピアニストとしてのキャリアを始める者など誰もいなかった為、レシェティツキを驚かせてしまう。レシェティツキはこの若いポーランド人がその技術的な問題を克服出来ないだろうと感じて、「渋々ながら入門を許した」というところが、他のピアニストとはかなり異なり面白いと思っている。
普通なら、教える側が将来性を見込んで、積極的に関わろうとするところを「渋々」というのは、どう考えてみても面白い。


 

そのうち、パデレフスキは経済的な苦境に陥り、休暇をもらってストラスブールへ行き、そこで才能のない学生達に和声を教える事を余儀なくされた。
一年後にウィーンへと戻り、パデレフスキの偉大なる才能を確信したレシェティツキは、自らの影響力を使ってウィーンの上流社会のうちに、彼に対する関心を引き起こした。

でも、初めてパデレフスキのショパンを聴いた時、派手さが全くなく、静かで穏やかで、どこか、“まったり” としていて、他のショパン演奏家とは、まるっきり違うものを感じた。
他の誰とも違う、「この感覚は何なのか?」と思った。
正直、「この演奏で本当に良いのか?」と思ってしまったぐらいである。


 

パデレフスキの数々の栄光の始まりは1887年の事で、ウィーン、パリ、ロンドンでセンセーションを巻き起こしている。
ロンドンでは、神の様に崇められたそうである。

パデレフスキは、ベルリンでフリードリヒ.キールのもとで学びながら、作曲の技法も学んだ。
どうやらパデレフスキは、ピアニストとしてよりも作曲家として有名になりたかったようである。
キールは、自分がパデレフスキほどの才能に恵まれた生徒を持った事がないと断言している。


 


第一次大戦の勃発とポーランド独立回復の望みが、パデレフスキを政治と政治家との結びを密にする事となる。

パデレフスキの愛国的演説は、パリとロンドンにおけるポーランド委員会の設立、フランスにおけるポーランド軍の結成に繋がっている。
パデレフスキの言葉に、「私は音楽を崇めるが、それ以上に私の祖国を愛している。」というものがある。

パデレフスキは、偉大な音楽家で政治家であるけれど、「熱い勇気と祖国へ向ける愛情の塊の人間」だったのだろうと思う。


 


クリストフ.エッシェンバッハの様に、音楽以外の事には一切の関心を示さなかった修行僧のような演奏家とは又、違った魅力があるのかもしれない。

パデレフスキの演奏は、独特の響きの柔らかさが確かにあると感じている。

1891年にスタインウェイ社はパデレフスキの大々的なアメリカ演奏旅行を企画している。
この演奏旅行は、パデレフスキに空前の成功をもたらしている。
この様な大成功を納めた演奏家は、パガニーニとリストだけであった。

第一次世界大戦後に芸術の潮流が合理主義、客観主義、新古典主義へと向かってゆくと、パデレフスキのスタイルを “マンネリズム” と指摘する者が現れた。


⚜️ ヴィクトリア女王 ⚜️


ヴィクトリア女王は、パデレフスキの演奏に深く感動して、パデレフスキの肖像画はヴィクトリアの娘であるアーガイル公夫人ルイーズや、他の多くの画家によって描かれている。

第二次世界大戦の勃発後、80歳のパデレフスキはスイスから何とか脱出し、スペインとポルトガルを経由してアメリカに到着した。

1941年6月29日にニューヨークで死去すると、パデレフスキの遺産は失われ始め、スイスジュネーブ湖畔の邸宅は取り払われ、自動車用高速道路となり、莫大な財産もほとんど無くなってしまった。
又、パデレフスキの遺骨はアーリントン墓地からポーランドへと移されるまでに、51年もの年月を要している。

パデレフスキが主演した有名な映画「ムーンライト.ソナタ」は1936年にロンドンで撮影されたものである。


⚜️ 貴重動画     映画  ムーンライト.ソナタ     パデレフスキ出演版 ⚜️  


1963年アーリントン墓地で、ジョンFケネディはパディントンは、パデレフスキを記念する碑板の除幕式を行って次の様に述べた。

「我々は今日はここに、我々の世紀の最も偉大な人物のひとりを称える為に集まった。その人物とはイグナツ.パデレフスキ、偉大なる音楽家で政治家であるが、それよりまず第一に、並外れた勇気と深い洞察力の持ち主だった。」


 


今年は、やれ、愛国心だの、武士道だの、肉体と魂とかばかりの「表面的な事ばかり」で盛り上がってる三島由紀夫様のお祭りみたいなものになってしまっているけれど、同じ愛国心であっても、パデレフスキの愛国心と三島由紀夫様のものとでは、「深さと質」の点でかなりの違いがあると思われる。


 

以前にも書いてあるけれど、武士にとって命の次に大切なものは、「刀」である。
その刀がなければ、三島由紀夫様は「首を落とす事は不可能」であったのである。 
三島由紀夫様が首を落とすのに必要な物は、刀であり、技術力の高い介錯人であり、三島由紀夫様が書いた作品や演説は死ぬ時には全く意味が無く、役には立たず、唯一役に立つ物は「刀だけ」なのである。

その刀に対しての「敬意に欠ける行動」は、無礼そのものであり、刀への「冒涜」に当たる。
つまりは、三島由紀夫様は、「侍の形」は模倣したけれど、「侍の質」までは、正しく理解はしていない。
三島由紀夫様という人間は、侍の質について何ひとつわかっていない。

それに、侍の質、刀の事を何ひとつ知りもしない人間の解釈、論評など全くもって、話にならない。
今まで言われて来た事は、子供の戯言みたいなものでしかない。
「刀への敬意」に対して何ひとつ考えようともしない解釈など、見たくもない。
腹立たしいだけである。


 


「侍の質」を甘く見るものではない。
表面的な形だけを真似てみたところで、それは武士道からは程遠く、「甘え」であり、「冒涜」でしかない。
本物の侍ならば、素人の介錯では、一回で首を落とせない事ぐらい知っている。
それを、心酔する学生に頼んだ時点で三島由紀夫様は、もう完全に侍でも何でもなく、「単なる農家出身の素人」でしかない。


 


本物の侍ならば、プロの介錯人を雇うのが「礼儀」である。
三島由紀夫様は、「無礼者」でしかない。
三島由紀夫様の行いは、「非武士道」である。
いくら、ボディビルで鍛え上げた肉体であっても、形だけを真似て「質」を考えない様では本物とは言えず、虚飾にまみれた矛盾だらけの「野獣」でしかない。

パデレフスキは、ポーランドの首相兼外相になった人である。

パデレフスキの祖国への愛国心と、虚飾にまみれた三島由紀様の表面的愛国心との対比から、何が見えて来るのだろうか。

それは、パデレフスキの遺骨と、三島由紀夫が使った刀の「現物」に聞いてみるしかない。

「真実は現物に宿る」
「現物こそが全知者」である。🇵🇱 🇯🇵


 



映画   ムーンライト.ソナタ  ベートーベン  月光


 


 


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