小説と音楽の交差点で
Vol.5 one song diary
『エイリアンズ』
キリンジ
音楽を聴くのと同じくらい本を読む。
つまり、フィジカルでCDやレコードを所有しているのと、ほぼ同じ分量の本が家に、在る。
我ながら少々問題ある物量だと思う。
そんな自分の密かな趣味は、
「あの小説には、あのミュージシャンが」
「あのアルバムが」
「あの曲が」
登場している、というのを見つけては付箋を貼り、ときどきアーカイブしていくことだ。ここ最近は忙しさにかまけて、その作業もすっかり滞っているのだけれど。
そんな中で、ストレートにアーティスト名や曲名が出てくるわけではないのに、明らかに“ある曲”へのオマージュとして書かれたであろう小説を発見すると、嬉しさは格別だ。気がついた自分を褒めたくなる。
しかもそれが、とんでもないクオリティだったりすると、この上なく幸せな気持ちになるし、同時に、その作家への尊敬の念で心が一杯になる。
今回は、そんな
一冊の本と、一曲に、
まつわる話。
キリンジ 『エイリアンズ』

日本のポップスを代表する名曲、
キリンジの『エイリアンズ』。
おそらく「知らない」「聴いたことがない」という人を探すほうが難しいのではないか、と思うほど有名な曲だ。
曲とメロディと歌詞が、驚くほど素晴らしいバランスで調和された、日本語で歌われるポップス史上、類稀な完璧な1曲だと思っている。おいそれと陳腐な言葉で評することは、できれば避けたい。
そんな『エイリアンズ』にオマージュを受けて書かれた小説があることを、みなさんはご存知だろうか。
それが、直木賞作家・伊与原新さんの短編集
『月まで三キロ』に収録されている
『エイリアンの食堂』という短編だ。
結論から言ってしまえば、この小説に収録されている全ての短編、涙が出るほど素晴らしい作品ばかりだ。
一人でも多くの人に読んでもらいたい。
そんな物語だ。

小説というものの武器は一つ。
それは言葉だ。言葉でしか表現する術がない。
かたや音楽は言葉(歌詞)、メロディ、歌、楽器と武器は多様だ。やや言葉足らずでも、メロディや歌がそれを補うことだってできる。
それなのに『エイリアンズ』という曲は、言葉だけを抜き出しても、すでに一篇の物語として成立してしまう。
いや、成立してしまうどころか、その余白の心地ゆえに、読み手(聴き手)の心を静かに侵食してくる。
この曲は、昼の曲じゃない。
街が寝静まり、自分の輪郭がぼやけ始めるような時間帯、つまり深夜にこそ生きてくる曲だ。
伊与原さんは、その“夜の温度”を物語として書いた。
『エイリアンの食堂』は、その『エイリアンズ』が内包していた夜の温度、孤独とやさしさが同居する世界観を、言葉だけで見事にすくい取ってみせた物語だった。
音楽を小説にする、という行為は、ある意味で翻訳に近い。しかも、原語にはメロディも歌声も含まれている。普通なら、なかなか成立しないと思う。
それでもこの短編は完璧に『エイリアンズ』だった。
同じ、バイパスの澄んだ景色を見て、
同じ、寝付けない長い夜を歩き、
同じように、少しだけ世界からズレた場所に立っている。まさに、「僕らはエイリアンズ」だったんだ。
本を閉じたあと、無性に聴きたくなった。
久しぶりにCD棚から取り出し、何度も聴いてきたはずのその曲を再生すると、不思議なことに、少しだけ違って聴こえた。
今までそれほど気に留めなかった、
「ないものねだり…」
という言葉が、自分の中でリフレインする。
変わったのは、曲じゃない。
小説から影響を受けた、僕のほうだ。
こうして、音楽はときどき、
思いもよらない形で更新される。
愛してやまない本があり、
愛してやまない曲がある。
幸せな僕は、
だから今日も、
CDも、本も、
なかなか手放せずにいる。
ではまた次回。

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