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片道5kmとドクダミの旅(前編)

※連載作品です 第一話はこちら



この道の先には、何があるんだろう?

幼い頃、私はいつもそんな事を考えた。


一人ではどこにも行けない。

帰り道も分からない。

けれど知らない道の向こう側は、手招きをするんだ。

(ここまでおいで。)


けれど私は振り返って、家に帰る。

何度もそうした。


思えばそれは、私の一本目の道だったのだろう。


あの日憧れた、あの道の先。

そこにはきっと、二本目の道があったんだ。


この向こう側には、何があるのだろう。

私はその事を確認できないまま、大人になった。




「今日は歩いて帰りたい。」


保育園の帰りに、4歳の娘が言う。

同じ園の仲良しのお友達は、いつも歩いて帰る。
家が近いからだろう。



娘は、いつも張り合った。

歯磨きをするのは一番がいい。

お風呂に入るのは一番がいい。

寝室に到着するのは一番がいい。

そのくせご飯を食べるのは遅くて、遊んでばかりで一番になれないけど。



それでも、何でも人がやっている事を、

「4歳ちゃんもやりたい!」

と言いたくなる年頃に違いなかった。



保育園から私の家まで、車でおよそ7〜8分。

大人の足なら一時間。

この子の足なら、下手をすればその倍はかかろうというものだ。


だから私は言う。

『パパ達の家は、ここからとても遠いんだ。
今日は時間が足りないから、また今度にしようね。』



そんな【また今度】をいくつも積み重ねていくうちに、ツバメは巣立ち、紅葉が来て、雪が積もり、花が咲いて、緑がまた濃くなっていった。




「今日は歩いてお家に帰れる?」

私は次第に、

(また今度を、嘘にしてはいけない。)

と思うようになっていった。




ある曇り空の日曜日。

少しだけ湿気が身体にまとわりつくような、生暖かい日だ。


二人の子ども達と、妻、そして私。

4人でお昼の外食を済ませ、私たちは家路についていた。



2歳の娘はチャイルドシートで首をもたげ、うとうとしている。

4歳のお姉ちゃんは、カーオーディオに映し出されるトムとジェリーにぼんやりと顔を向けていながら、何も目に映らない様子だった。


「午後はどうしよっか?」

私は助手席でスマホをいじりながら、妻に問う。

別に、答えを期待した訳じゃない。
雰囲気だ。


『えーわかんない、どうしよっかー。』

運転をする妻から返ってくるのは、そんな気だるげな言葉。

大体は予想通りだった。


今日の一日、私たちの家族は朝からそんな感じ。

何をやるにもサッパリしない。


私はスマホを置いて、景色を眺める。

田植えが終わった水田には、細い稲の苗が揺れていて、やがて実る頃には、この子は5歳になってるだろう。



「4歳ちゃん、保育園から歩いて帰ってみない?」


私は、【また今度】を、本当の事にしようと思った。






20lのバックパックに、お水とお菓子、ウインドブレーカーを詰め込んで、娘と私は保育園の駐車場に降り立った。

事、歩く事に関しては、私の脚力は常人のそれを凌駕している。

野を歩き、海岸線を歩き、あの山の向こうにさえ歩いた。

そして毎日、ホテルのレストランサービスでは、1万5千歩の歩行労働。


走る事は得意でない。

特段運動神経も良くはない。

けれど歩く事なら負けないぞ。

父親の冒険心に、小さな火が灯った。


そして4歳の娘。

半袖のお洋服に長ズボン。

毎日履き慣れたスニーカー。

リュックはない。

荷物は全て私持ちだ。

トレイル終盤には、君そのものが荷物になる事だろう。


そんな私の計算を露知らず、喜び勇んでスキップを始める娘。



ママは言う。

『本当に歩けるの?』


私は答える。

「俺がついてるんだから、大丈夫だよ。」


少し心配そうな妻。



「あっ!」

私は思わず、声を出す。


『どうしたの?』


「クマスプレー忘れちゃった。」



妻は呆れたように、

『街中でそんなもん持ち歩くのやめてよ。』

と言った。



私は、

(この町にもクマはいるんだぞ。)

と思ったけど、心配性の自分がまた非常識な事を始めようとしてるんだと考えて、クマと出会ったら命を懸けるしかないと思ったのだった。




妻と4歳の娘を乗せた車が、走り去っていく。

いよいよ二人の冒険は始まった。


『早くいこう!』

楽しい気持ちを抑えきれない娘は、やや駆け足、スキップ混じりで、どんどん先に進んでいく。

あんなペースでスタートを切ってしまったら、半分も持たないぞ。



そんな事を思ったけど、

(楽しむ事が大切だな。)

そう考えて、いたずらに体力を消耗させる喜びを満喫させる事にした。



少し進むと、アスファルトと側溝の継ぎ目から、黄緑色をした、ハートの形の植物が群生している。

カタバミだ。


一つの隙間からブロッコリーのようなドーム状の葉を広げている。

花は咲いてない。


娘はその根本を掴み、ブチっと引き抜いた。


そのまま片手に持って、数メートル移動する。

そして次の群れも、同じように引き抜いていく。


いくつかの株をまとめ上げた両手には、カタバミのブーケが完成していた。


『みてー!』

娘はそう言うと、カタバミのブーケを宙に放り投げた。

ブーケは空中分解し、他人の軒先にばら撒かれる。


『あははー!』

笑って駆け出す娘。


(人の迷惑になる事も、いつかどこかで覚えるさ。)

散らかったカタバミを歩道の脇に集めて、私はまた歩き出した。





住宅街を進むと、立派な庭を備えた瓦屋根の大きな家がある。

柵に隔たれた向こうには、色とりどりの花が植えられており、細かく手入れが行き届いた美しい庭が作られている。


そんな花々たちが、種を落としたのか?

あるいは、土の中を根伝いに進んできたのか?


野に咲くものではない花たちが、垣根の隙間から、整った顔をこちらに向けていた。

「かわいいー。」

娘はそう言って、手を伸ばした。



伸ばしたのだが、むしらない。

そして私を見て、尋ねた。


「これは取ってもいいお花?」



分からなかった。

人の敷地の垣根から、外に向けて飛び出した、きっと望まれた訳ではなく咲いた花。


向こう側には同じような顔の仲間が庭を彩るのに、彼は別に、ここにいなくても構わないのではないか?
という気がした。


採ったって、分からないさ。

必要とされていないさ。


そんな事も脳裏に浮かんだ。


だけど。


「これは、よそのお庭に咲いた花だから、採っちゃダメじゃないかな?」

そう伝える。


『えー、なんでー!?』

不満そうにごねる娘。


でも、私は知っている。

(本当は、君も採ったらダメな気がしたから、採るのをやめて、私に聞いたんだよね。)


カタバミは宙を舞った。

そしてその花は、ここに残された。


庭に咲く仲間の所に帰る事は叶わないが、花は咲ける場所に咲いた事で本懐を遂げるだろう。


「採ってもいいお花を探そうね。」

私がそう伝えると、娘は立ち上がって、駆けていく。

私はまた、娘を追いかけた。




ドラッグストアの脇道を通る。

道は狭く、でも整備されていて、車の通りは少なかった。

近所のお婆さんだろうか、手押し車を押しながら、微笑んで娘に目をやる。


そうやって見守られている事など何も知らずに、4歳の冒険家は新しい発見を求めた。

道の真ん中を蛇行し、右へフラフラ、左へフラフラ。



「車の道路は歩かないんだよ!」

私がたしなめると、娘は歩道に寄った。


歩道には側溝が敷いてあり、その上には鈍い銀色の格子が置いてある。


その格子の隙間から、部分部分が黄色みがかった、スペードのような形の葉が広がっている。

そして、白い4枚の花弁を太陽に向け、小さな塔のように立つ黄緑色のめしべを持った花が咲いていた。


これは、ドクダミだ。


こんな所に、良く根を張るものだ。

人通りの少ない道を、側溝伝いに根を伸ばして、飛び飛びの格子から、それぞれの群れを作って顔を出している。


「これは取ってもいい花?」

そう言ってしゃがみ込み、私を見上げる娘。



こんなものさえ欲しがるのか。

地味で、平たくて、さっき諦めた垣根の花と、比べる事も気の毒なこの花。


思わず私は、

「採りたいの?」

と聞き返す。


『うん。』


娘は、そう言った。


「わかった、いいよ。」

『やったー!』

娘は喜んで、ドクダミの花を毟った。


「やっとお花がとれたよー、可愛いねー。」

そうやって、手のひらに乗せたドクダミの花を、撫でてあげていた。


花の並ぶ景色。

それは誰のものなのだろう。


花はただ生きて、咲いてる。

その美を手に入れる許可を、私が出している。



(罪深いのかもしれん。)

そんな事を思ったけど、

(なんてね、アホくさ。)

いちいちめんどくさい事を考えてるとモテないって思って、考えるのをやめた。




「ドクダミっていうお花なんだよ。」

そう教えてあげると、


『かわいいね、ドクダミさん。』

そして、

『これ、パパが持ってて。』

と言った。


「…ええー…?」


早速、因果が巡ってきた。

罪の後には罰がある。


それを引き受けるのも父親の役割なのかと思うと、

(町の道路全てを、よその敷地って事にしちまおうかな?)

と思ったが、もちろん、そんな意地悪はしない。


(ああー、めんどくせぇ。)

そう思いながら、私はドクダミをポケットに突っ込んだ。



中編に続く

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