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1.友達は彼方【去り際は犯行予告】1/13

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あいつと私は男同士だったので、どれほど長く、親しく過ごしてきたとしても、互いに写真を撮り合うような事はあまりしなかった。

時々、釣った魚と一緒に撮ってやる事があったくらいだ。

他にも、共通の友達に、
「今、俺らこんな事やってるぞ。」
という自慢のようなLINEを送る為に撮影した動画が、少し残ってるだけ。

だからあいつが死んでから、私はほんの数枚の写真だけで、あいつの記憶が失われていく事に抗っていた。 




あいつが死んだのは、2年前の9月。

当時、私は39歳だった。


あいつの死因は、心不全とかいうよく分からない理由だった。


心臓が不全を起こした結果、死亡する。

そんなもの、どんな状況でも、どんな因果でも起こりうる結末に違いなかった。

人間は、心臓が止まれば、死ぬ。

そんな当たり前の死因を言われた所で、

なるほどな。

なんて思える訳がなかった。


私は、あいつが心不全に至ったストーリーを想像しては、その輪郭を明らかにしようと試みた。

最後の日に、どんな時間を過ごしていたのかを知ろうとした。


だけどそんなもん、ただの仮説に過ぎなかった。

そしてどんな仮説も、確証には至らなかった。


そんな事はやる前から分かっていたけれど、やらずにはいられなかったんだ。





彼が死んだ頃。

ちょうどその頃の私は、妻や子ども達と別居していた。


別に、妻とは不仲だった訳じゃない。

理由は、私の精神的な病気の回復をはかる為だ。


その頃の私は、母や姉妹との決別から立ち直りきってない頃だった。

彼女らとの決別は、その時をさらに遡る。





12月。
私が38歳だった冬。

私は、母たちと縁を切った。


母や姉妹が妻を邪魔者扱いして、私たちの子どもを愛してくれなかったからだった。 

今は4歳の娘も、その頃はまだ2歳だった。
妻のお腹には、春に産まれる予定の赤ちゃんもいた。


母は妻の事を、嫁にやってきた小娘みたいな扱いをしたので、妻は不自由な思いをした。


そんなザマでもやっぱり母親だったし、情があった。

だから私は、みんなに幸せであって欲しいと思った。


けれど価値観が違うから、バランスなんて、取れる訳がなかったんだ。


次第に、私たち夫婦は疲弊した。

この生活が続いたら、妻は私から離れていくだろうと感じるようになっていった。

そうなったら、子ども達はどちらかの親を失うだろう。

これ以上は無理だった。

私は、自分の親と姉妹を、切り離した。

それから少しすると、私は心療内科で処方箋をもらい、仕事を休職する事になる。




母との断絶の後、私が39歳の春。


妻は、次女を出産した。

出産の影響でホルモンバランスは乱れ、感情をコントロール出来なくなっていた。

その事に、妻は苦しんでいた。

2歳の長女は、イヤイヤ期と愛情不足が入り混じり、癇癪を起こす事が増えた。


私は、母たちを切り離した事に罪悪感を感じ、塞ぎ込む事が増えた。

そして、妻や子ども達と向き合おうとせず、寝室に閉じこもるようになっていた。


ある時、このままではいけないと思って、娘のお世話をしようと起き上がった事があった。

0歳の娘を抱き、その名を呼ぶ私。


そんな私を見て、妻が言った。


『この子が産まれてきたのに、あなたはぜんぜん笑ってくれない。』




このままだと、みんな長くは持たない。

そう思った私たちは、どうしたら良いのかを話しあった。


その結果、まずは私の精神的負荷を下げる事を、最優先事項にした。

そのために、妻と子ども達は、半年の間、妻の実家に帰る事に決めたんだ。




あいつと出会ったのは、私が高校1年の、16歳の時だ。

同じクラスの同級生だった。


でも私は、中学校が同じだった友達とつるんでいる事が多かった。
だからあの頃は、接点がなかった。


ただのクラスメイト。

お互いに認知はしてたんじゃね?
っていうくらいの関係だった。


私があいつをちゃんと認識するようになったのは、ある日の帰り道だ。

私と友達は、本屋に向かって歩いてた。


すると、自転車に乗ったあいつが、私たちを追い越した。


隣の友達が、

『おーい!』

とあいつを呼ぶと、あいつは振り返って、


『ぶっころーす!!』


と言った。



何だこいつ。
俺、お前の事とか知らねーし。

私は、おもしれー奴だなって思った。


しばらく経って、席替えがあった。

あの時のぶっころす君は、私の前の席になった。


そいつは背がデカくて、黒板が見えない。

私は内心、

(邪魔だなぁ…。)

と思ったけど、余計な事を言ってぶっころされたら困るので、黙ってる事にした。


ぶっころ君は、どうやらゲームが好きらしい。

私もゲームが好きだった。


当時私は、
【面白いゲームBest10】&【クソゲーBest3】
みたいなシートを作って、クラスメイトに配布して書かせてた。

なので、前の席にいたぶっころ君にも、そのシートを渡した。


「これ書いてよ。
面白いゲームを10個ね。
あと、クソゲーを3つだよ。」


するとぶっころ君は、

『ふーん、まずお前の見せろよ。』

と言った。

まぁ当然といえば当然だ。
私は自分の書いたシートを、彼に渡した。


彼が注目したのは、面白いゲームの方じゃなかった。

ぶっころ君は、クソゲー1位に書いていたゲームを見て、言った。


『何これ?』



それは、ゲームボーイのソフトだった。

【レジェンド -明日への翼-】



『これ、どういうゲームなん?』
ぶっころ君は、そう聞いてきた。

私は、ゲームの内容を教えてあげた。

「主人公は、マントーを4つ探さなきゃならない。
なんかそれがないと、世界を救えないらしい。」


『マントーって何?』

「知らねー。

隣の街にたどり着くのが命懸けだから。
ガチで殺しにくるザコがいるから、必ず逃げなきゃならない。

逃げても1歩でまた出てきたりする。
移動すんのが命懸けのゲームだよ。」

『何だよそれ。』



ぶっころ君がそのゲームをじっくり遊んでみたいと言うので、貸してやった。

ちなみに、当時の私の面白いゲーム第一位は、
PlayStationのヴァルキリープロファイルというゲームで、それを貸すって言ったんだけど、

『いい。』
という事だった。

何でだよ。
クソゲーに興味を持つな。


それからというもの、ぶっころ君は後ろの席の私に振り返って、

『次の街に進んだぞ!』

とか、

『第2のマントーを手に入れたぞ!』

とか報告してくるんだけど、私はそんなに進める事ができてないのでよく分からなかった。


ただ、話ぶり的に、ぶっころ君は攻略に難儀している様子だった。

『スマン、もうしばらく貸してくれ。』

返してもらっても私は遊ばないので、

「いいよ、いつでも。」

って言った。

あんなクソゲー、よく真面目にやってるもんだ。

だんだんぶっころ君が気に入り始めていた私は、

(ヴァルキリープロファイルやればいいのに。)

って思った。

ぶっころ君とそのゲームの話ができたら、楽しいだろうなって思った。



しかし、そんなささやかな希望も虚しく、ぶっころ君は転校する事になった。

まだ高校1年目なのに、慌ただしい事だ。


銀行マンの父親が転勤となり、今の高校には通えなくなるらしかった。


ぶっころ君は、私に言った。

『長く借りちまってスマン、返すよ。』


私は思った。

(こいつ、いつもスマンって言うな。
恥ずかしくてありがとうって言えねーんだろうな。)

などと思いながら、

「それ、やるよ。」

と言った。

『いいのか?』

「うん、俺、やらねーし。」



その日の帰りのホームルームで、クラスメイトのみんなが、一人ずつメッセージを送る流れになった。

彼と親しかった人もあれば、どうでもいいウケ狙いする奴もいた。


そして、私の番。


「知り合って少ししか経ってないけど、僕たちの友情のレジェンドを忘れないで下さい。」

クラスの一部から笑いが起きた。

当然、ゲームボーイのレジェンドの事だったが、クラスメイトはそんなこと知らない。


まわりの反応はやけに覚えているのに。

その時、ぶっころ君がどんな顔をしてたのか、私はまるで思い出せないんだ。



2/13へ続く

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