美味しいコーヒーの愉しみかた Acidity and Bitterness 第8話
屋台は18時前に閉め、通常の定食屋営業をして、もうすぐ閉店時間になる。
「おーす、利津。打ち上げ行くぞー」
祥太がガラガラと店の引き戸を開けた。幸いお客さんはいない。
「お父さん、もう行って来ていい?」
「いいよ。おい祥太、帰りちゃんと送り届けろよ」
「勿論ですよ。朝まで飲んでしまったらスイマセン」
「えー? 私、オールできるほど体力ないよー」
私は祥太に続いて店を出た。ナツさんの店はまだ電気が点いていて、閉店作業中らしい。
あたりは真っ暗で街灯の頼りない光が商店街を照らしている。外は、歩いているとじんわり汗が浮かぶくらいの気温だ。
「祥太、夏祭りでは役立たずだったんじゃないの? ずっとお店はおばさんに任せてたんでしょ?」
「ばーか、チラシ配りと各店の呼びこみやってたっつーの。俺がぼーっと遊んでたと思うなよ」
実は祥太はマトモだ。
見た目も美容師という職業だからいつも明るい髪色になっているだけ。
服装も、スマートで背の高い彼に似合うシックな服に、ごつめのアクセサリーをあわせるのが好きらしい。
「祥太ってさあ、今、彼女いるんだっけ?」
「珍しいな。利津、そういうの全然聞かないタイプじゃなかった?」
「なんとなく」
同い年の腐れ縁が、その辺どうなのか気になったのは久しぶりだった。
私と違って祥太は器用だから、そういう人の存在がチラホラ見えることも多い。
「いないよ。つーか、なんか疲れたから当分はいいかなーって」
「ええ? 珍しい。仕事のし過ぎ? 女の人と話し過ぎた?」
「はは。女の人と話すのは好きだよ」
疲れた、ということは最後に付き合っていた人と何かがあったらしい。
そういう事情を深く聞くことはしないようにしていて、だから祥太がどんな恋愛をしてきているのかは分からない。私たちにとってはそれが普通だった。
「私は、恋愛ってちょっと分かんないや」
「ナツさん?」
「あ、いや……」
違うよ、と喉元まで出かかっていて、それを飲み込むようにした。
祥太相手に、いまさら何を取り繕うのだろう。この気持ちをどこかにぶつけたくてモヤモヤしていた私は、打ち上げ会場の居酒屋が見えてきているというのに話を続けた。
「祥太に言われて、ナツさんと向き合ってた時の私は恋だったのかなあって改めて考えてみただけ」
「つーか、利津みたいに耐性ないタイプの前にあんなイイ男が現れたら普通はそうなるわな」
「えー? 『あんなイイ男』?」
「人の欲しいものとか欲しい言葉をサラッと用意できるだろ、ナツさんて。そういう仕事してっから、まあそうなんだろうなあって思うけどさ」
祥太の言葉がガツンと私の頭を殴って行った。
私の欲しい言葉を用意……。確かに、ナツさんはそうだったのかもしれない。
誰に対しても自然にやっている行動。私はそれに浮かされたらしい。
「やだなあ」
居酒屋の入っている建物の前でポツリと言った。
祥太は、ここに来て私が行きたくなくなったのかと心配そうにこっちを見ている。
「誰にとってもイイ男なんて、そんなのやだなあ」
私が振り絞るように言ったからか、祥太は私の手を引いて2階の居酒屋まで階段を上る。
「そうだよ。それが普通。好きな人が、他の人にも同じような顔をしてたら普通は嫌なもんなの」
「へえーー……」
大人になってから人を好きになったのは、初めてだった。
「祥太さあ、いくら私を引っ張るためでも、そんな簡単に手を繋いだら駄目だよ」
「あっそ。でも彼女がいるわけでもないし、利津は家族みたいなもんだし、関係ないんじゃね?」
「商店街で誰が見てるか分からないでしょ」
噂が広まったら、お互いかなり気まずい。都合が悪いことに私たちは他に恋人が居るわけでもないから、お節介な大人の餌食になりかねないのだ。
「いーじゃん、別に誰が見てようが」
「いや、よくないよ」
店に入る前に、私は祥太の手を払うように解いた。
誰に知られたらまずいとか、そういうのよりも。私は祥太に対して恋愛感情を持っていない。
だから、こういうのはダメな気がする。
私たちはちゃんと適度な距離を保って来たはずだから。
祥太は居酒屋の扉を開けて中に入る。店内は商店会の人たちで貸し切り状態で、見知った顔がこっちを見て「お疲れ!」と声をかけてくれた。
「お疲れ様でーっす!」
大きな声を上げて中に入って行く祥太の後ろを、私は「お疲れ様です」と普通の声でみんなに挨拶しながら付いていく。
ナツさんはまだ到着していなくて、なんだかほっとしている自分がいる。
祥太と私は、まずは最初の飲み物を注文した。食べ物はその辺にあるものを適当に摘まめばいいか、という状態で、ひと通りのご飯が並んでいる。
「りっちゃん、今年の売上どうだったよ?」
商店会長さんが、私のところにビールを持ってやって来た。
「去年より良かったです。バカ売れはしませんでしたけど」
「そーかそーか。実はさ、どの店もそうなんだって。去年より良かったらしい」
商店会長さんがニコっと笑って祥太の背中を叩いた。
「おめえ、客引き上手くなったなあ」
「いや、そうでもないっす」
「ナツさんのポスターも良かったし、祥太の客引きも良かった。今年は成功だ」
祥太はへへ、と笑った。そこで私たちのお酒が到着し、祥太はビール、私はウーロンハイを持って会長と乾杯をする。
「ナツさんはこれからか?」
「多分あと30分もすれば来ると思います」
「あの美人さんは?」
「あー……来ないんじゃないかなー……」
商店会長までもが日葵さんを気にしている。
「日葵さん、すっかりアイドルですね」
私がしみじみと言うと、会長が「りっちゃんだってアイドルだろう」と笑って祥太に同意を求める。祥太は明らかに納得できない顔を浮かべ、お世辞でもここは私を立てるところだろうとつい睨んでしまった。
その後は他愛もない話をしながら私と祥太は目の前の食べ物を適当に摘まんで、これからも夏祭りはこんな感じかなあと話す。
祥太が「毎年美容室から締め出されるのはなあ」と苦笑いをしていたら、ナツさんがお店に入って来た。
「お疲れ様ですー」
腰の低いナツさんに、周りの人たちが「お疲れー」と声をかけている。すっかり商店会の中でナツさんは有名人だ。日葵さんの姿はない。
「あ、祥太くんー。利津さんもお疲れ様です」
ナツさんは、私の隣に居る祥太を目指してこちらに来た。
隣に私が居るから嫌がってこちらに来ないかもしれないと思っていたけど、あまりにも普通だ。
これまでナツさんのお店に行くのすら控えていたというのに、私の考えすぎだったのだろうか。それとも、人前だから?
「ナツさん、ずっと店内で作業してたってホントですか?」
「思った以上にアイスコーヒー作るのに時間がかかっちゃって……。来年は前日からコールドブリューも検討しないとダメかな。改善の余地有です」
「コールドブリューってなんすか?」
「水出しです」
祥太とナツさんが話している側で、私は借りて来た猫になっていた。
久しぶりのナツさん。どんな感じで接したらいいのか分からなくて、顔をまともに見られない。
祥太と話している時のナツさんは、本当にリラックスしているのが分かる。この雰囲気を壊すのも悪くて、私はその場で固まってやり取りをただ聞いていた。
「ああ、そうそう。利津さんが監修して下さったブレンドコーヒー、評判良いですよ」
「えっ……ほんとですか?」
ナツさんがさらりと私に言う。急に話を振られたから、私は自分でも驚くくらいに動揺した。
「香りが良いから豆で売って欲しいって言われることもあって。今、商品化に向けて準備中です」
「わあ……」
「これを機に、商品名を『リツブレンド』にします?」
「いやだからそれは……」
私が苦笑いをしていると、祥太が何の話なのかを聞きたがった。
ナツさんはブレンドコーヒーの配合を私の意見で決めたこと、そのためブレンドコーヒーに私の名前を付けた方が良いのだと語る。
「まあ、リツブレンドは大したことなさそうだよな」
私は「失礼な」と突っ込む。ナツさんは「祥太くん、思ってないくせにそういうこと言わないで」とフォローをしてくれた。
もう何か月も話していなかったナツさんが、普通に目の前にいる。
まるで私に対して怒った日などなかったかのように。
それがありがたいやら不思議やらで、いつもの調子が出そうにない。
周りの話に相槌を打っているだけで、時間があっという間に経って行く。
お店のラストオーダーが来た。時間は22時半。
「利津、今日これからウチくる?」
「え?」
「ナツさんも泊まるから、飲み直さねえ? おじさんには俺から連絡しといてやるし」
その時にしっかりナツさんの顔を窺ってしまった。
私が行くと知って嫌がるんじゃないかとか、祥太と2人の方がいいんじゃないかと表情を探る。
ナツさんも「いいですね」なんてニコニコしていた。
「じゃあ……」
すぐに祥太は自分の携帯電話で私の家に電話をかけてくれる。「祥太です。そう、利津を2次会に連れて行きたくて。はい、大丈夫ですよ。はは、はい。ええ」と話しながら、祥太は私の方を見ながら親指を立てた。
「おじさん、良いって。羽目を外させすぎるなって釘さされたけど」
「ありがと祥太」
「祥太くんかっこいいー!」
私が電話すればいいところを律儀に連絡してくれるのは、祥太が真面目で責任感が強いからだろう。
祥太の家にはおばさんーーつまり祥太のお母さんも、恐らくお父さんもいるはずで、むしろ私が祥太の家にお願いしますの連絡をすべきなのに。
あと10分程度でこの場はお開きになり、私たちは祥太の家に向かう。
きっと、祥太は自然にナツさんの個人的なことを聞いたりするんだろう。
それは楽しみでもあり、やっぱり不安でもあった。
日葵さんがナツさんの特別な人だと知ったら、私はその場で普通にしていられるだろうか。
祥太の家は美容室の2階と3階だ。この辺りの家は1階に店、上に住居を構えている建物が多い。
一軒ずつがほんの数十センチしか離れておらず、家と家の間は猫くらいしか通らない。美容室の隣にはクリーニング屋があり、その店の2階も住宅になっていた。
『美容室 前田』の脇にある階段を上り、2階に向かう。前田は祥太のお祖母さんがもともとやっていたお店だった。
祥太のお父さんはサラリーマンで、お母さんの実家に住んだ。だから、祥太はお父さんの「坂田」姓だ。
階段を上った先に住居の扉があり、祥太は鍵を出して開ける。
「ただいまー」
扉を開けるとふんわりと何かの料理が香る。21時までお店にいる祥太のお母さんは、夕食が遅い。きっと食事を済ませてからあまり時間が経っていないのだろう。
「おかえりー。りっちゃん、久しぶり」
祥太のお母さんが奥から出て来てくれる。
肩まで伸びた黒髪に緩めのパーマをかけている祥太のお母さんは、年齢よりも大分若く見える。やはり髪は女の命なのだろうか。
「お久しぶりです。最近お店行ってなくてすいません」
「そうよ、若いのに伸ばしっぱなしなんて。美容室から足が遠のいた女は現実から目を背けてるものなんだから」
あははと笑って誤魔化してしまったけど、ぐうの音も出ない。
まさに私は現実逃避の産物となっていたし、隣にナツさんがいて現実を見るのがつらいなんて思っていた。
「どうぞどうぞ、狭いけど」
祥太のお母さんはナツさんと私をリビングに案内してくれる。私とナツさんは必然的にソファで隣り合ってしまった。
「どうします? お酒もあるし、お茶でもコーヒーでも。あ、ナツさんにコーヒーを淹れるのはなんか違うか。それに夜だし」
祥太がリビングの隣にあるキッチンで気を遣ってくれている間、おばさんは寝室に向かったようだ。おじさんは朝が早い仕事のはずで、だから生活リズムは朝型だった気がする。もう、寝ているのかもしれない。
「私は……コーヒーがいいかな」
「じゃあ、僕にも」
何故かナツさんも祥太にコーヒーを頼んでいる。「なんで俺がナツさんにコーヒー淹れることになってんですか!」と不満げだ。
「僕、人が淹れてくれるコーヒーって好きなんです」
「がんばれ。どうせインスタントでしょ?」
「ばーか。俺だってコーヒーぐらい淹れられるっつーの」
祥太はやかんでお湯を沸かし始めると、その辺に売っているコーヒー豆をコーヒードリッパーにセットした。ふんわりと豆の香りがする。
「利津さん、香りで豆の種類が分かったりしますか?」
「ええと……ブレンドコーヒーだと思うんですけど、コロンビアがメインの豆……でしょうか」
なんとなく思った産地を上げると、祥太が「お前すげえな」とキッチンで声を上げた。
「やっぱり、利津さんはすごいな。羨ましい」
「別にそんなことは……」
私が隣に視線をやれずに謙遜していると、もしかしてナツさんは香りで産地が分からないのだろうかとふと思った。
「これ、慣れたらみんな分かることじゃないんですか?」
「まあ、ある程度は慣れで分かりますけど、まだお湯を注いでもいない、挽きたてでもないコーヒー豆で分かるのは相当ですよ。それも市販の豆でブレンドで」
ナツさんにハッキリと言い切られて、そういうものなのかなと首を傾げる。
それなりに鼻が良い自覚はあるものの、それをはっきりと羨ましいと言われたことは無かった。
「おい利津、いつもの調子が出てないな」
「うるっさいなあ」
キッチンから祥太の野次が届く。そりゃそうだ。私はナツさんと話すのも会うのも久し振りで、それにしては距離が近い。
こんな気まずい思いをするなら来なければ良かった。
そんなことを考えていたら、祥太のコーヒーがお湯を注がれたようで、室内にふんわりと優しいコーヒーの香りが漂う。
フィルターからポタポタと雫が落ちていく音を聞いていると、不思議と気持ちが落ち着いた。
祥太のコーヒーがソファ前のテーブルに置かれる。祥太も自分用の黒い大きなマグカップを持って向かいのソファであぐらをかいた。
「ありがとうございます」
「ありがと」
私とナツさんもマグカップを持ち上げ、祥太の淹れたコーヒーを飲む。
「やっぱり淹れてもらったコーヒーが一番美味しい」
ナツさんはそう言ってニコっと笑った。
祥太は珍しく何も言わずに、ナツさんに何か含みのある笑みを浮かべた。
「で、お互い何か言いたい事があるんじゃないかと思ったんですよ、俺は」
私は祥太に何を言うんだと責めるような視線を送る。この期に及んで、ナツさんに何を言えばいいのか分からない。
「はい……。あの、利津さん、すいませんでした!」
隣に座っているナツさんが私の方に身体を向け、頭を下げている。
あまりに驚いて私は「ええ?!」としか反応できない。
「すごく失礼なことを言ってしまった自覚があります。あの後、利津さんはお店に来てくれなくなったし、姿も見せてくれなくなって……」
「だって、ご迷惑かと……」
「だから、本当にすいませんでした」
何が起きているというのか。ナツさんが私に頭を下げている。
確かに、最後に会った時のナツさんは少し怖かったけれど。
「ナツさん、利津は多分理解してません」
祥太がそう言ってあぐらをかいていた片足を抱えるようにして座り直す。
図星だけど、それよりもこの状況をどうすればいいのかが一番分からない。
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