美味しいコーヒーの愉しみかた Acidity and Bitterness 第9話
今、ナツさんは頭を下げて私に謝っているわけだけど。これはなんかおかしい。
「なんでナツさんが嫌がったのかがずっと気になっていました。きっと聞かれたくない事なんでしょうけど、このまま知らずにいたら同じようなことを繰り返すだけのような気がして……」
私は、以前店に来た3人の話を思い出していた。
ナツさんは、本当に人を殺しかけたことがあるのだろうか。
「そうですよね。祥太くんにも話したかったので、いい機会かもしれません」
ナツさんはそう言って頭を上げ、私と祥太を交互に見た。
「利津さんは、僕の元同僚から何か聞いたんじゃないですか?」
どきり、と私の心臓が音を立てたような気がする。
ここで嘘をついても、仕方がないのだろうか。
「実は……。ナツさんが、人を殺しかけたというような話を聞きました」
「は??」
祥太が素っ頓狂な声を上げて目を丸くしている。まあ、こんな普通じゃない話、日常会話で聞けるようなものではない。
ナツさんは対照的に冷静で、ただ頷いただけだった。
「その話は、事実ですよ」
ナツさんが想像していた通りの反応で、動揺した。
こんな優しい笑顔をしている人が殺人なんて。
「それも、ものすごく残酷な方法で」
「いやいや、ナツさんがそんな」
祥太は想像もしていなかった告白に混乱している。
「僕は、会社に責任をとる形で前職を退職しました。それまでは名物社員だなんだと持ち上げられていたけれど、会社っていうのは社会からの目を一番大事にしますから」
「犯罪を犯した社員は雇ってはいられないとか、そういう……」
ナツさんは諦めたような顔をしながら頷いた。祥太の顔が歪む。
初めて聞いた事実に、どう向き合っていいのか分からないという顔をしていた。
「まず、僕は……利津さんにも話しましたけど、会社に不利益をもたらしました。当時若手人気俳優だった波野耕平を起用してお客さんである企業の映像を作り、その後、耕平くんのスキャンダルが発覚して」
「でもそれはナツさんのせいではないはずです」
「僕のせいですが、百歩譲って完全には僕のせいではないかもしれないとします。でも、僕は当時迷惑をかけたお客さんの信用を取り戻すために急遽映像の作り直しを急ぎました」
私と祥太はナツさんの言葉に真剣に耳を傾ける。ただただ頷くことしかできずに。
「僕の下には後輩の女性がひとり付いていて。彼女に新しい候補の俳優さんを探してもらい、一刻も早く撮影をし直す段取りを依頼したんです」
「いや、それは……ナツさんが正しいっていうか……」
「でも、僕は分かっていなかった。普通はそういうのって業務時間内だけでやるものらしくて。僕にとってはそんな生ぬるいもんじゃなかったんですよ。駆けずり回ってでも一秒でも早く何とかしたかった」
徐々に、ナツさんの話の終わりが見えてきた気がして、私は息を呑む。
「それが、彼女にプレッシャーを与えていたみたいなんです。何しろ、耕平くんは僕と友人関係で条件良く出てくれることになっていたから、代わりで見つけてきた俳優さんが見劣りしてしまうのは必然で」
「……もしかして、お客さんは納得してくれなかったんですか?」
祥太の問いに、ナツさんは困ったように頷く。
「耕平くんのことがあった2週間後、後輩は非常階段から飛び降りました。自殺未遂でした。遺書も丁寧に用意されていました」
「そんな……」
自殺未遂、ということは……。それほど、追い詰められてしまったんだ。
「彼女は首の骨を折る重傷でしたが助かって。そうしたら、今まで味方だと思っていた同僚が次々、僕の問題点を告発し始めたんです」
「……」
「彼女と親御さんへのポーズも、会社には必要でした。僕は会社を退職して、もうクリエイティブの仕事から足を洗うつもりで。もっと別の、人を純粋に幸せに出来る仕事を探すことにしたんです」
「それが、コーヒーショップだったんですか?」
ナツさんは寂しそうな顔で笑う。
「適性があるなんてちっとも思えなかったけど、コーヒーショップなら自分のクリエイティブも少しは活かせるんじゃないかと期待をしました。この町の人たちは優しくて、こんな僕にも居場所をくれた」
「ナツさんは、優しいですよ。私はそう思います」
きっと、ナツさんは仕事に真摯に向き合っていたんだろう。
その必死さが後輩の子を追い詰めてしまったのかもしれない。
どちらが悪いとかではないのだ。きっと世界はそんなに単純にできてはいない。
「今も彼女は心に傷を負ったままです。大怪我を負った後の世界を生きている。僕は、人ひとりの人生を滅茶苦茶にしてしまった」
「でも」
「自分の犯した罪を背負って生きるしかないんです」
そこで、祥太がキレた。
「いや、その後輩はナツさんが必死だったのを側で見てたんじゃないんですか? そんなに辛ければ、そんな追い詰められる前に会社になにか言うことはできたんじゃないですか? 別にナツさんひとりが悪いはずないじゃないですか。ナツさんは、お客さんのためだったのに」
完全にナツさん擁護の姿勢で、やり切れないのだろう言葉を紡ぐ。
ナツさんが充分傷付いていたのを、祥太は分かっているようだった。
「でもね、祥太くん。誰のためとかは関係ないんです。彼女が自ら命を絶ちたくなるほどに辛い思いをしたのは事実で、その原因になっていたのは僕で、側にいながら気付けなかったのも僕なんです」
祥太は小さな声で「そんなのって、納得できない」と言って項垂れていた。
ナツさんはこの事実を知られたくなかった? それとも、もっと別の理由だろうか。
「僕は、無意識のうちに人を利用して傷付けてしまうんです」
「そんなわけないじゃないですか。急に拒絶される方がよっぽど傷付きます。日葵さんは普通にナツさんと仕事してたじゃないですか!」
「おい利津、お前、今それぶっこむ?」
祥太のツッコミを私は無視した。
どうして日葵さんはずっとナツさんと一緒にいられたのに、私だとダメなのだろう。そこに特別な感情があるから?
「日葵は……同期で僕の一番足りないところを知っているから。いまさら僕の言動で傷ついたりはしません。でも利津さんは人間関係が原因で仕事を辞めたことがあるのに、また僕みたいな無意識に人を傷付ける人間に深入りしちゃダメだと」
「そんなの……おかしいです」
日葵さんは「日葵」で私は「利津さん」呼びなだけでも私は傷つく。
それに、日葵さんはあんなに綺麗で、愛想も良くて、接客業にも向いていて。
「これから、私はナツさんに深く関わらない方が良いんですか? 私では、役に立ちませんか?」
「いや、そんなことは……」
「私も祥太も、ナツさんを尊敬しているし、慕っています。だから見くびらないで欲しいんですよ。きっとナツさんが私を傷付けようとしていたら、その時はハッキリ言います。嫌なことは嫌と言います」
「そうですよ。前は会社で上下関係があったから、きっと後輩の子も追い詰められて行ったんじゃないですかね。ナツさんは有名で先輩だったから言いにくかった、とか。俺とナツさんの間にはそういうの無いし、なんならこの町の先輩は俺と利津ですし」
私たちが必死だったからだろうか。ナツさんは根負けしたように「分かりました」と困ったような顔を浮かべる。
「この話をしても変わらない祥太くんと利津さんを見ていたら、僕も覚悟を決めました。2人を信じて、色々相談したり、仲良くしてもらうことにします。じゃあ、とことん付き合ってもらっても良いですか?」
ナツさんに言われて「当たり前じゃないっすか」と祥太はちょっと鼻をすすった。私は隣のナツさんの腕に向けて拳を繰り出す。
「いたっ。ちょっ、利津さん暴力反対です」
「私だって、こうやってナツさんを無意識に傷付けるかもしれません」
「無意識ですか?! ホントに??」
「ナツさん、そいつ口より先に手が出るタイプ」
ナツさんは「利津さん暴力は止めてください」と言いながら笑い、私たちは他愛もない話をした。
この町で育ってきて、この町で見て来たことやちょっとした事件のこと。
下町という場所の人の距離について。
きっとナツさんはお節介な人たちに囲まれて、嫌でも人付き合いに巻き込まれるに違いないと私たちは予言する。
祥太は冷蔵庫から発泡酒を3缶出してきて、もうこうなったら飲むぞと0時前からお酒を勧めて来た。
しょうがないなあと言いながら私とナツさんはそれを飲む。
暫くして私は眠くなったのかリビングの床に横になったところまでは覚えている。
私が横になったので、祥太はタオルケットを私に掛けた。
そして、ナツさんに話を振る。
「日葵さん、ナツさんの元カノですよね?」
「……まあ、祥太くんには、バレバレですよね」
意識が途切れる前、それだけは聞こえた。
目が覚めると、見覚えのない床が目の前にある。
ラグが敷かれていて、その上に寝転がっていた私は慌てて起き上がった。
「よー。よく寝たなあ」
祥太の声でハッとする。そういえば、昨日私は祥太の家に来てナツさんと語っていたのだ。
周囲を見回して、祥太の姿だけを目に入れる。
「ナツさんなら、始発で帰ったよ」
「うそっ。ちょっと、起こしてよ!」
「いや、別に起こすほどのことでもないと思って。どうせまた明日から利津とナツさんはお隣さん営業だろ」
「そうだけど……」
まんまと寝過ごしてしまったのが恥ずかしいやら、昨日はついでにナツさんの連絡先を聞こうと思っていたのにと焦る。
「良かったな。これでもう、普通に話せるようになるだろ」
「……祥太のお陰か」
「そんなことないけど、まあ感謝させてやってもいいぜ」
「ナツさん、日葵さんが好きなんでしょ?」
昨日寝付く前に聞こえた会話の続きを聞こうと思った。きっとあの話の続きは、そういうことだったのだ。
「多分、違うと思うけど」
「なんで?」
「雰囲気……? おい、まなべの朝定食ってねえの? 朝、定食が食べたい」
明らかに話を逸らした。下手くそめ。もっと話題は無かったのか。
「いいけど、私がお店のキッチン使ってお店の材料で定食用意するだけの話だよ」
「ちょうど利津んち送ってくついでだから、よろしくー」
図々しいなあ、と思ったけど祥太と私はこの位の関係でいい。
お互いが図々しいことを言い合って、嫌だと思ったらそれを遠慮なく伝える間柄。だから私たちは長いこと一緒にいられている。
「まあ、いいけど。お父さん今日、お友達と早朝からゴルフ」
「おじさんいねえの? うわあ、ちゃんと帰したか証明できないと恨まれる」
「平気でしょ」
お父さんは祥太のことを気に入っている。
祥太の実家でお世話になったと伝えれば嫌な顔はしないはずだ。
私たちは無言で朝の商店街を歩く。
どのお店も開いていない中、コンビニだけが営業していた。
視界に「定食まなべ」とナツさんのお店が見えてくると、随分遠くから帰って来た気分だ。
「ただいまー」
お店の鍵を開けて中に入る。奥にある家への入口を開けてみると、お父さんは既に出掛けた後だった。
「やっぱりお父さん、いないや」
「そっか」
祥太は店の席に着いてすっかり定食を待つ客状態だ。はいはい、と私は半ば諦めたようにキッチンに入る。
鮭の塩焼きでもして、朝定食として出せば良いだろうと出汁とお米から準備を始める。
暫くキッチンで支度をしていたら祥太が入って来た。
「何? 手伝いたくなった?」
「ああ、なんかやる」
私は祥太に大根をすりおろしてもらおうと頼んだ。この仕事は手が大きい男性の方が向いている。
祥太が大根をおろすシャリシャリという音がキッチンに響く。
「利津の夢って、何?」
「え? 急に何」
「社会人辞めてここに戻って来て、将来どうなりたいとか」
そういう意味かと納得して、将来か……と考える。
長い間、考えたことが無かった。
「なんだろうな。夢とか、考えなくなってたかも。祥太はあるの?」
「あるよ、そりゃ」
「えっ意外」
私が出汁を引き終わって味噌汁を作り始めると、祥太は大根おろしの手を止めた。
「可愛い奥さんがいて、俺は毎日美容室で働いてる」
「現実的な夢だね」
「毎日営業が終わると、奥さんがおかえりって抱きしめてくれんの。できれば犬も飼いたいな」
祥太の夢が思った以上に控え目で、「明日にでも夢の通りになりそうじゃない?」と笑ってしまった。
彼女を作らない割に、彼女がいなきゃ叶いそうにない夢だ。
「意外と難しい夢だと思うんだけど」
「いや、祥太なら叶うでしょ」
私は味噌汁の味噌を溶いていた。そろそろかなと塩を振っていた鮭を目視する。
「大根おろし終わった」
「ああ、ありがと……」
祥太は私の仕事をじっと見ていた。台所仕事を見られるのに慣れていないから、祥太相手だというのになんだか緊張する。
「大人になるとさ、夢って見られなくなるよな」
祥太は自分に向けて言ったのか、私に言っているのか。
私は確かに夢なんか見られない。現実を毎日やり過ごすのに精一杯で、できればこのまま何も考えずに終わって欲しいとすら願う。
私はうまく返事すらできずに、約束通り鮭を焼いて焼鮭定食を仕上げた。
「鮭が旨そうだな」と喜ぶ祥太に、「うちの魚はそれなりにいいやつだから」と答える。こんな風に祥太と一緒にいるのは、いつぶりだろうか。
小学校の頃は、当たり前のように毎日一緒にいた。中学校に入ると、やけにモテ始めた幼馴染の側にいることが攻撃対象になっていった。
兄妹のようだった距離の近い私たちは、思春期の女の子から見ると異様で理解ができないものらしい。
男女の幼馴染という人間関係は、属する組織の影響で形を変えなければならないのだと思い知ったけど、恐らく私がそんなことに悩んでいたことを祥太自身は知らない。祥太はいつだって、人から好かれてうまいこと生きていた。
お盆に並べた鮭定食。
祥太にも運んでもらい、店の席で向かい合う。
「いただきます!」
「……どうぞ」
自分の料理というほどのものではないけれど、最初から全部私が準備した料理を他人に振舞うのは久しぶりだった。
「うま。ほんと利津の味噌汁って世界一」
「……立派なお世辞をどうも」
褒められると、悪い気はしないな。
そう思っていたら、店の電話が鳴った。
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