見出し画像

美味しいコーヒーの愉しみかた Acidity and Bitterness 第7話

 それから、私がナツさんのお店に行くことはなくなった。
 恐らく、ブレンドコーヒーの提供も始まっているはずで、本来なら私はそれを確認したり、新メニューの話を聞いたりしていたに違いない。

 祥太曰く、商店会のお祭りに関してもナツさんが色々とアドバイスをしているらしく、すっかり会長や年配者に気に入られているよ、と嬉しそうだった。

 祥太もナツさんに心酔しているようだ。そんな様子を横目に、私はずっとナツさんに会えずにいた。

 何がナツさんを傷付けたのか、未だに私は分からない。
 ナツさんは、私の毎日に刺激をくれると言ったのに。

 私の日常は以前に戻っただけだった。隣にナツさんのお店はあるけれど、そちらとは関わらずに時間だけが過ぎて行く。

 それが当たり前になり、もう私は隣の店の存在もなるべく考えないように過ごしていた。そんなある日のことだった。

 夕食の営業を始めていた「定食まなべ」にいつかの3人がやって来た。
 そう、ナツさんのお店に朝来ていたらしい、あの3人だ。

「いらっしゃいませ。3名様ですか?」
「そうでーす」
「お好きな席にどうぞ」

 20代後半~30代くらいの3人は、空いているテーブル席に着く。
 なんだか大きな黒いプラスチックケースのような鞄を持っていた。まるで、画材でも入りそうな……。

 水を席に持って行くと、話をしているのが聞こえる。

「どうします? ナツさんの仕事が終わるまでどこかで待ちます?」
「あと1時間半くらいかかるって言ってましたけど」

「えっ……」

 私は思わず声を上げてしまって、3人の男性に同時に見られた。

「あっ……すいません、話が聞こえてしまって。ナツさんて、お隣の店長さんですよね?」
「ああ、確かにお隣さんですもんね。そうっす。ナツさん、夏木さん。店終わるまで待てって言われちゃって。まあ、あの人厳しいんでそりゃそっかーって感じなんすけど」

 ハンチング帽を被っていた、ほんのりふっくらした体形の男の人が頷いている。黒縁眼鏡に、黒髪短髪。この人も髭……。

「この辺、時間潰せるところもありませんし、閉店作業していても良ければ、座っていてもらっても構いませんよ?」
「まじっすか?」
「お姉さん! 神様ですか!」

 いや、別に夜の営業は比較的空いているし、1時間半くらい3人の席を潰したところでなんてことはない。ランチ営業の場合はそうもいかないけれど。

 キッチンにいるお父さんにもこの辺の話は聞こえているだろうに、別に何も言ってこないことから構わないってことだろう。
 3人は、定食とドリンクを注文してくれた。飲み物無くなったらまた頼みますんで、と律儀なことを言いながら。

 本日の魚定食はぶりの照り焼き定食で、3人ともそれを注文した。全員魚っていうのは珍しいなとキッチンに向かう途中、「ナツさんは魚がお薦めって言ってたよな」と後ろから聞こえて来て、なるほどと思う。

 肉も人気なんですけどね? ナツさん?
 でも、確かに魚定食の方がお薦めだ。なんだか嬉しい。

 3人は、私の運んだ魚定食を見て、「こういうの食いたかったんだって思い出したー」とか言いながら嬉しそうにしている。
 私が思わず笑いながら「ごゆっくり」と席を離れると、「うっま」という大袈裟な賞賛が上がった。

 なんだか嬉しいなあと思わず頬をゆるめながら他の席の片づけをして、洗い物をキッチンに運ぶ。

「あれ、お前の知り合いか?」

 お父さんは不思議そうに聞いてきた。確かに、私にしては親し気に話をした気がする。

「ああ、隣のコーヒーショップのお客さん」
「へえ」

 それ以上は何も言わず、お皿を洗い始めていた。
 店内には他のお客さんはいなかったので、3人の話し声がよく響く。

「いやでも正直、ナツさんなしでプレゼン乗り切るのって無茶じゃないっすか? だからVコン(※ビデオコンテ、映像イメージで企画を伝える手法)作るってのは分かるにしても」
「まあ、先方にしてみたら、大好きなナツさんがいないってだけでも結構大ごとですよね」
「マジで、ナツさんなんでフリーランスのCDクリエイティブディレクターになってくれなかったかなー……」

 話を聞いていて、ナツさんがコーヒーショップの店長さんになったので3人は困っているらしいことがうかがえる。
 やっぱり、ナツさんには才能があるんだなあ……。

「いやでもさ、俺がナツさんだったらもう仕事続けられないってなるよ」
「まあ、そうですね……」

 3人は、途端に暗くなった。急に話をするのを止めて、黙々と食事に専念している。ナツさんの過去に何かあるらしい発言に、気になった私はわざわざ近づいてコップの水を足しに行く。

「すいません、でも飲み物頼むんで大丈夫ですよ」とか「あと1時間くらい居座らせてもらっちゃいますがすいません」と言って申し訳なさそうにされた。

「あと30分くらいしたらお店を閉めるので、閉店作業中ですけど座っててくださいね」

 私が水を足して席を離れたら、後ろからボソボソと「若いよね」「定食屋の女の子ってなんかぐっとくるの分かります?」「分かるよ、分かる」と居心地の悪いひそひそ話が漏れ聞こえてくる。

 ああ、そうだ。男の人ってこういう話をよくするイメージ。
 ナツさんがそうじゃないから忘れていた。ナツさんの仕事仲間だからといって、ナツさんと同じような人だとは限らない。

 私は何となく落胆しながら、テーブルを拭いてまわる。いちいち、こんなことで落ちこんでいたって仕方ない。
 けれど。やっぱりナツさんは他の人と違っていたんだなあと暫く会っていない顔をぼんやり思い出す。

 そのうち、顔もよく思い出せなくなって、アゴ髭だけしか想像できなくなってしまうんだ、きっと。
 そう思っていた時だった。

「やっぱ、人をひとり殺しかけてるってのは……相当な経験だよな」

 3人のうちのひとりがそう言った。
 私は耳を疑って、その後に続くと思っていた冗談を待った。
 だけど、黙ったきり重い空気が漂っている。

 予想に反し、それ以上の会話はされなかった。


 人を、ひとり、殺しかけたーー。

 私の人生で、そんな犯罪めいた話は聞いたことがない。
 それに、あの穏やかなナツさんが人殺しなんて想像が付かない。

 けれど、今まで凄惨な事件が起きるとニュースに出てくるインタビューを受けた人たちが口々に言っていたのを思い出す。

『そんなことをする人だとはとても思えないような人で』『挨拶をしてくれる感じの良い人でした』

 ナツさんにはそんな過去があるのだろうか。
 それに、私自身がナツさんは人を殺すような人だとはとても信じられなかった。
 
 そんな怖い人だったらここにいる3人もわざわざナツさんを頼ったりしないだろうし、これまでの言動を取ってみてもナツさんは優しかった。

 ただ、最後に私を拒絶した時に明らかに知られたくない過去に近付いた気配があって、もしかするとそれが……と思ってしまう。

 そんな余計なことがぐるぐると頭を巡っていたら、店内で静かに携帯電話をいじっていた3人が「お会計お願いします」と声を上げる。

「はーい」

 私は3人分の会計を済ませると、「ありがとうございました」と見送った。

「本当に美味しかったです」
「また来ます」

 そう言って出て行った3人は、その足でナツさんのお店に向かったようだ。

 私は今日、聞いてはいけないことを聞いてしまったのだと思う。
 人にはそれぞれ知られたくない過去や失敗があるものだけれど、そういうのとはまた次元が違う「前科」みたいなもの。

 そういうものを背負った人に会ったことがないから、まだよく分からないけれど。
 ナツさんはこの町で新しい人生を歩み始めているのだから、それを妨害するようなことはしたくない。

 私はナツさんのことを知りたい。知った上で、一緒にいることができないだろうか。

 ねえ、ナツさん。
 苦味の強い豆は、ミルクに合わせると甘みが増すじゃないですか。
 過去の苦さだって、違う形にできていい。
 どんな過去を語られたって、今のナツさんを嫌いになったりしないのに。

 今週末、夏祭りがある。

 「定食まなべ」は店の前で鮭とばとエンガワの炙り焼を売りながらビールを販売することになった。なんというか、色気どこに置いてきたのだろうという品揃えが定食屋らしい。

 ナツさんのところでは、この日に限定のコーヒーフロートを出すらしい。祥太から聞いた。

 ああ、コーヒーフロートに合わせるアイスコーヒーって、どんな味なんだろうと気になってしまう。

 ナツさんと話をしなくなって、もう1ヶ月が経っている。
 今日くらい、お店にコーヒーを買いに行ってもいい頃かもしれない。
 会話は出来ないかもしれないけれど、ナツさんの元気な姿が見たかった。

 挨拶だけでも、できたらいい。
 隣同士なんだから、自然に……。

 そう思っていた私は、どれだけ自分が楽観的で何も考えていなかったのかを思い知らされることになる。

  *

 夏祭りの日。
 私は店の前に屋台用の炭焼き台を設置して、缶ビールを冷やすためのクーラーを置く。

 ナツさんの店はもともとテイクアウト用に外に面したカウンターがあるから、そこで対応するようだ。

 私が外でセッティングをしていると、ナツさんのお店の扉が開いた。
 ナツさんが出てくるだろうと思ってそちらを凝視してしまう。

 そこに現れたのは明るい色のカールヘアをすっきりとまとめた美女で、デニムエプロンをしてスタンド看板を立てていた。
 
 『コーヒーフロート販売中』と書かれた看板は、黒板に綺麗なチョークアートでイラストも美味しそうに描かれていた。ナツさんの絵なのかもしれない。

「あ、おはようございます」

 よく見ると、以前ナツさんを訪ねてお店に来ていた綺麗な女の人だ。

「お、おはようございます。今日はよろしくお願いします」

 格好からしてナツさんの店を手伝うことは間違いなさそうだ。

「お隣さんは、お魚を焼くらしいですね」

 控え目な唇に笑みを携えて、長い睫毛を揺らしながら私に向かって微笑んでいる。
 ああ、こういうのが、本物の美人なんだ。
 男の人の心を掴む人って、この人みたいな人のことを言うんだろう。

「はい、鮭とばとエンガワの炙りです。酒のみ向けのメニューばっかりでお恥ずかしいのですが」
「うわー美味しそう。そういうの大好きです」
「じゃあ、是非。ビールも売ってますし」
「あはは、飲んだら仕事にならなくなっちゃうなあ」

 前に見た時は、ナツさんが怒っていたからきつい人なのかと思っていたけど、社交的な雰囲気だ。
 もう……お店の調査はこの女の人と一緒に行っているのかもしれない。

「今日、コーヒーフロートを出すって聞いたんですけど」
「そうなの。だからヘルプ呼ばれちゃった。人使いの荒い店長に」
「後で、買いに行きたいです」
「来て来て!」
 
 その後、何やら店内から声が掛かったらしく、その女性は「あ」と言って私に笑顔を見せてくれた後で「また」と店内に消えて行った。

 人懐こい笑顔って美人にも浮かぶんだなあと、その人の後ろ姿を見送る。
 多分20代後半くらいの女の人で、私に勝てるところがあるとしたら「若さ」しかないだろう。

 隣のお店は、全てがお洒落で売り子さんも美人で。
 魚の煙と炭火にまみれてビールを売る私は、あの人の様な上品な化粧すら足りていない。

 圧倒的な美人は、老若男女みんなを幸せにするらしい。
 突然下町に現れたその女性の噂が、一気に広まった。

 祥太なんかはわざわざ私のところで「マジで綺麗だなあ。ナツさん位の人になると、連れてる女性も半端ないなあ」と私に同意を求めて来た。
 「そうだね」としか返せない私は、鮭とばを炙る音で会話もところどころ聞こえづらい。

 その女性ーー日葵ひまりさんはナツさんの前職の同僚らしい。

 コーヒーフロートを売る日葵さんは、分からない事があると「ナツー」と店内に声をかけては「店長って呼んで」と怒られている。
 その、気の置けなさが2人の親密さを表しているようで、見てはいけないものを見ている気分だ。

 私の売る鮭とばもエンガワも、それなりに売れている。
 商店街の人たちは日葵さんを観察するためだけに鮭とばを片手に私の店先に居座った。

「やっぱり、あの女の人ってナツさんのアレなのかな」
「仲良さそうでしたよ」
「やっぱりアレだよなあ」

 そんな会話をひたすら聞かされる私の身にもなって欲しい。
 ここの人たちは、噂話が大好きだ。

 忙しそうなのに笑顔を絶やさずに接客している日葵ひまりさんは、接客業にも向いていそうだった。

 午後の2時を過ぎた頃、私の店は客足が止まった。
 隣を見てもお客さんが並んでいる様子はない。私は隣の店のカウンターに向かう。

「すいません、コーヒーフロートをひとつ」
「あ、お隣さん」

 日葵さんはキラキラした笑顔で「トッピングはチョコレートソースかベリーソースかキャラメルソースが選べます」とイメージ写真のメニュー表を見せてくれた。

「じゃあ、ベリーソースで」

 日葵さんは「はい」と返事をしてコーヒーフロートを準備していた。

「ありがとうございます。500円です」
「はい」

 お祭り価格なのだろうか。普段のコーヒーが500円のお店にしては安い気がする。

 私はお金を払ってコーヒーフロートを受け取る。店の奥にいるらしいナツさんの姿は見えなかった。

 自分の屋台前に到着して、パイプ椅子に座った。ストローで下の方のアイスコーヒーだけ吸い込んでみる。
 苦味が強いコーヒーは、まだ氷と混じっている最中なのかほんのりぬるかった。

 ストローを引っ張り、ソフトクリームをコーヒーに混ぜるように動かす。赤紫のベリーソースも、黒い液体の中に溶けて行った。
 ソフトクリームの純白に黒っぽく見えたコーヒーが混ざるマーブルの模様は、明るい茶色になっている。その液体にストローをさして吸い込むと、苦いコーヒーに甘みと酸味が加わっていた。

 コーヒーは、コーヒーチェリーという果実の種なんだそうだ。

 苦味メインのアイスコーヒーに、別の果実の酸味を加えたフロート。
 なるほどね、と、その酸味が今の私には強く感じてしまう。

 酸っぱいなあ……。

 そう思ったら、ちょっぴり泣けて来た。


いいなと思ったら応援しよう!

碧井夢夏 創作活動の時間を捻出して、より多くの作品を作る原動力にします。