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政治家は「世界史」をどう使ってきたか? その2

1947年以降の衆参の会議録の検索システムで、おおよそ高校世界史レベルの単語を検索し、検索のヒット数と発言を紹介する。
明らかに間違った知識だったり、無茶な文脈だったり、そもそも内容がどうかしていたり、様々な批評が可能ではあるが、素材の味だけでも楽しめるので引用のみを貼り付けていく。
お急ぎの方はベスト3だけでも見ていってやってください。

代議士でない参考人・証人の発言は、件数に含めたが具体例としては取り上げない。民間登用の大臣は取り上げる。
検索の都合上、たとえば「セネカ」だと、~せねか、という古風な日本語表現もヒットしたりするため、そのような事例は除外し実質数で表記した。

なお、戸叶武参議院議員(任期は1953~1982)はあまりにも世界史を延々と喋っているので殿堂入り扱いとして原則除外。資料が少なくてどういう人物か分からないので、旧社会党マニアの方がいましたら情報をいただきたく。

政治家は「世界史」をどう使ってきたか? その1
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政治家は「世界史」をどう使ってきたか? その3


ビザンチン(11件)

茂木敏充

ペストは近代以前の欧州でも少なくとも二回流行しておりますけれども、これによって欧州のパワーバランスというのはかなり変わっていった。
一回目、六世紀のペストのときは、ギリシャ、ビザンチン、ここが感染の中心になりましたから、ここから文明というか政治の中心というのが西欧の方に移る形になります。
さらに、十四世紀のペストにおきましては、西欧でも地中海側が感染の中心でありましたから、むしろパワーの方はそれより北の方に移っていく、こういう大きな変化が起こっているわけであります。
そして、十四世紀のペストにおきましては、欧州の人口の三分の一が奪われる結果になりまして、絶望した人々が既存の絶対的な権威、すなわち、当時でいいますとローマカトリックになるわけでありますが、それに対する信頼を失い始め、これがルネサンスであったり宗教改革、さらには絶対王政、この誕生につながっていった。

麻生太郎

そういった意味で、地歴に分かれて世界史を必修すれば、必然的に西ヨーロッパのギリシャ以外の系列からのギリシャ文明を基本にしたものを黙ってでも覚えるだろうし、また同じく東ヨーロッパに出ていった文明は発祥をしているもとがビザンチン文化を引き継いだということもわかっているから、基本的に東ヨーロッパと西ヨーロッパに出ていった文化のもとのもとが違っているということを含めて何となく理解がいけるし、いろいろな国にそれぞれ違った文化、文明が紀元前から既にあったものが幾つかに分かれていってというようなこともわかれば、黙っていても、自分の、日本人の考えているこれがええと思っていることもほかの国から見たらそうではないかもしらぬというようなことも、歴史地理というものを通して自分で覚えていきますので、

東ローマ(4件)

高鳥修

傭兵で国を守ればいいんだということで、みずからの血を流すことをやめた。ところが、その傭兵の隊長さんたちが反乱を起こして、皇帝を片っ端から殺してしまう。そして、おしまいには自分たちが皇帝になるというようなことを繰り返して、あっという間にローマ帝国は滅び去った。東ローマ帝国はその後がなり生き残りましたけれども、事情はやや似たり寄ったりであります。それが滅びた一つであります。

コンスタンティノープル(2件)

榛葉賀津也

オスマン・トルコ帝国のコンスタンティノープルだったトルコ

モスクワ大公(1件)

緒方林太郎

キエフ公国が存在をしていて、その後そこにモンゴルが入ってきて、そして、その後モスクワ大公国というのができて、それが今のロシアを形づくっていったというその歴史的経緯があるんだと思います。ロシアにとって高天原という表現がいいかどうかわかりませんけれども、非常に、自分たちの原点だ、この地域が原点なんだという思いを持っているように思うんですけれども

シャルルマーニュ(8件)

麻生太郎

ヨーロッパの場合と東アジアの場合において、これはかつてヨーロッパのシャルルマーニュ大帝のあの時代においては、少なくとも今の地域はほぼ同じ帝国の中におった時代というのがありますが、日本の場合は、アジアの場合は、そういった経験は、過去、ジンギスカンのときでも日本は違いましたし、一国でまとまったというそんな歴史がこの地域にはありませんので。

神聖ローマ(12件)

吉良州司

ドイツが、プロイセンを源流とする国、プロイセンと、ある意味ではオーストリアを除く神聖ローマ帝国が合体した国であるとするならば、プロイセンが源流、そういう意味では、日本でいえば奈良、京都に当たる、プロイセンの誕生の地を放棄してまで東西ドイツの統一を成し遂げたということです。これをもってしても、固有の領土論というのは残念ながら北方領土交渉においては意味を成さないと思っています。

茂木敏充

第三次十字軍のとき、ヨーロッパ側、英国のリチャード一世は地中海を通ってエルサレムを目指したわけでありますけれども、一方で、神聖ローマ帝国、今のドイツですけれども、ここのフリードリッヒ二世は黒海、このジョージアの辺りを通りながらエルサレムを目指す。

選帝侯(1件)

枝野幸男

日本も鎖国以前はそうでありましたけれども、国民国家というレベルではなくて、一つの国家の中で紛争が行われていたり、あるいは、ヨーロッパは地続きでありますから、いわゆる民族、国家を超えた、例えば何とか選帝侯とかいろいろな領主間によって紛争が行われたり、こういうことがむしろ歴史的に当たり前であった中で、近代以降、国民国家、主権国家による国際紛争という中に秩序立って整理をされてきたと受けとめることができるのではないかと私は見ております。

カノッサの屈辱(2件)

茂木敏充

価値観が変わるというのは結構時間がかかるんです。それから見ると、私は、速い部分もあると。
例えば、一〇七七年にカノッサの屈辱がありました。圧倒的なキリスト教の権威でありました。それが、八次の十字軍を経て、一三〇九年にアビニョンの捕囚、全く違った状況が生まれる。この間には二百年かかっているんですね。

騎士団(3件)

石破茂

昔の王様同士の戦争なんというのは、これはもう民間人が犠牲になるなんということはなくて、王様と騎士団同士がやっておればよかったわけでございますが、これが第一次世界大戦になり第二次世界大戦になり、第二次世界大戦では民間人と軍人の死者というのはほとんど同じになったと言われております。朝鮮戦争に至っては、初めて民間人の方の犠牲が増えた。ベトナム戦争に至っては、何倍も民間人が犠牲になった。九・一一などというのは、すべての犠牲は民間人ということでございました。

上田哲

大体の通説は、古い騎士団から始まって傭兵の段階、そうしてナショナルアーミーというようなことになってくる。それが言われるような経済、外交、文化、すべての問題の最優先の位置づけを得るというようなことを軍国主義と言うのだというふうになっております。私はこれはまことに前近代的な定義にすぎないだろうと思います。こういう形の中では、近代国家構造というようなもの、そういうものを踏まえた国際社会の中でのミリタリズム論争は、これは意味がない。

サラディン(2件)

茂木敏充

第三次の十字軍を率いましたリチャード一世、獅子心王と呼ばれたわけでありますけれども、小さな軍でありながら、当時のイスラムのサラディンの大軍を破る、こういったところもやはりイギリス人のスピリットなのかな、こんなふうに私は感じたりもいたします。

黒死病(11件)

竹中平蔵

人口が減少して繁栄した社会はあったと。これは十四世紀のイタリアなんだそうであります。これは、黒死病で人口がどんどん減っていく中で、イタリアは当時どうなったかというと、正に耕地、農地で言うと非常に効率の高い農地に集中して、そこで生産を集約させることによって一人当たりの富が高まった、一人当たりの所得はむしろ高まって、それがルネサンスを生み出す重要な経済的な基盤になった。こういう事例も私はやはりあり得るのだというふうに思っております。

メディチ(8件)

遠藤宣彦

例えばイタリアとかに行くと、ああ、このルネッサンスというのはメディチ家の援助とかこんなので盛り上がったんだな、あるいは、フランスの文化、ブルボン王朝がバックアップしたんだな、こんなことを痛感します。一見、見かけ上、奔放なラテン系のフランス人とかイタリア人。ああいう文化を見ると、やはりこの人たちは相当立派な民族なんだなという思いを持ってしまいます。

阿部弘樹

ダビンチの幼少というのはどういう幼少期だったかというと、フィレンツェの近郊に住んでおりましたから、メディチ家の支配下にある地域に生まれましたけれども、当時の貴族の方々というのはラテン語の学校に行くのが常でしたけれども、そういうものに行けなかった。
では、当時の非嫡出子の権利というのはどうだったのかということで、余り勉強はしていないんですけれども、イングランドなどでは、コモンローとカノン法というのが当時ございまして、土地の権利の相続だけはできたけれども、貴族の相続はできなかったということで、ははあ、そうすると、これは結局は共同親権ではないんだなというふうに自分なりに解釈したわけでございます。

マキャヴェリ(18件)

秦野章

日本ではマキアベリズムが非常に悪く言われますけれども、いまやもう学者によっては近代政治学のあれが祖だという人さえあるくらいなんだ。政治というものはいろんなそういうものがあるので、その政治は子供に教える政治じゃないよと、こう私は言っているんだ。社会科的政治はいいですよ、議会主義がどうの、民主主義がどうのという一般的な、原則的な社会科的なもの。われわれが言っている大人の政治なんというものは、とてもじゃないけど子供に教える——大人の芸で子供は関係ないと、私ははっきり言い切ったんだ。

バラ戦争(2件)

鬼木誠

海外の歴史を見れば、男系継承と女系継承を両方認めたがために、王位継承を争う戦争が起こっております。英仏百年戦争、イギリスのバラ戦争などです。こうした争いを防ぐためにも、皇位継承のルールをきちんとつくり、守り続けてきたのが日本の先人の知恵であり、偉大さと言えるのではないでしょうか。

無敵艦隊(実質2件)

西村眞悟

我が海洋国家の防衛戦争の戦場は、国内ではない、敵基地の背後。キャプテン・ドレーク、サー・フランシス・ドレークは、無敵艦隊を打ち破った男ですが、イギリスの防衛ラインは海岸ではない、海の上でもない、敵基地の背後がイギリスの防衛ラインであると。
いよいよ、音速の八倍で飛ぶミサイルが我が国に照準を当てておるわけですから、我が国のミサイルからの防衛ラインは、今やっているように、落下物がひらひら落ちてくるのを撃つんじゃない、ミサイルを発射する敵基地を破壊するんです。これが我が国の防衛戦略でなければならない。

三十年戦争(実質5件)

中川昭一

今お話があったような国際連盟のいろいろな問題点があって、その前にベルサイユ条約ができ上がって、その前にウィーン条約があって、そのもっと前にウェストファリア条約があって、ある人に言わせると、国家の、国際間の条約というのは、まさにウェストファリア条約の、三十年戦争の後からスタートしたんだというふうに言っている人があるのでありますが、そういう近代の法体系の一連の流れの中で現在が成り立っている。
ただし、ここに一つ大きな、我々が注目しなければいけないのは、これは西欧の一つの約束事であって、したがって、我々の数百年前のアジアやあるいは当時の我々の知らない世界にとっては、直接的には関係のない、当事者ではなかったという一つの流れがあると思うんです。

絶対王政(12件)

仙谷由人

究極の政治主導をイメージしてみますと、これは独裁政治とか専制政治とか言われるのが究極の政治主導だということになりますね。つまり、それとても政治ですから、これは絶対王政を見ても専制君主を見ても、政治は政治ですから、究極の形。ただ、問題なのは、この場合の政治主導は、結果としていい名君が出た場合には、あの尭舜ではありませんけれども、それが一番いいのかも分かりませんが、しかし、そういう制度はフィードバックする装置がほとんどない、あるいは期間を限られていないことによって永遠に続く、あるいは暗愚の帝王が出た場合にはもういかんともし難いことになるというような、そういう問題があるんだろうと思いますが、しかし、ここで我々が言っている政治主導は、これもまた国家公務員制度改革基本法五条に「政治主導を強化し、」という文言を入れ込んでしまったという、つまりルビコンを渡っているんですよ。

コルベール(3件)

例外的にやり取りを紹介。

楢崎弥之助
あなたはコルベールという方の言葉を引用して、税金の場合、「うまいやり方というものは、羊が鳴かないようにしてもをむしることだ、それが税の極意である、」「鳴かしてもをむしるのは下手なむしり人である、鳴かないようにしながら毛をむしるのが名人である、」あなたは、今度の売上税はどうですか、羊が鳴いておると思いますか、鳴いていないと思いますか、それだけ答えてください。
中曽根康弘
それは、私が財政学で昔勉強した言葉に、コルベールがこう言った、そういうことで、いわゆる苛斂誅求のような形で皆さんを泣かしてやることはよくない、そういう意味の例えとして私は申し上げたのです。
楢崎弥之助
コルベールかサルベールか知りませんけれども、そんな、あなた言葉をもてあそび過ぎるのですよ。

ウォルポール(14件)

麻生太郎

当時のイギリスの総理大臣、初めてプライムミニスターという名前をもらった人はこのロバート・ウォルポールという人なんですが、南海泡沫事件がおまえのところの責任だとわんわんやられたんですけれども、結果的には何のあれもならずに、後になって、結果的にどうやって起きたかわからぬ、ロバート・ウォルポールに責任は全くないということがはっきりしたんですが、そのときでも、どうやって起きたのか、何であれが起きたんだという話はその当時もやっているんですね。

土井たか子

十八世紀初めの英国宰相ウォルポールは、ある目下院の議場を見回しまして、この議員たちは皆それぞれの正札をつけていると言ったそうであります。私も、今ここで与党席を拝見しながら、ほとんど同じ思いを持つと申し上げねばなりません。ここには、リクルート社製の正札をつけた方々が随分目立つのでございます。

ラッダイト運動(10件)

小野泰輔

大きなイノベーションが発生するときには、必ず大きな混乱というのが起きます。ラッダイト運動もそうですね。やはり大きなイノベーションが生まれてきたときに打ち壊し運動が起きるというようなこともありますが、そういったことをやはり人間心理としてどうしてもやるというのも、もう歴史が証明しているわけですので、そこに関しては、是非、政府としても責任を持って、安心をしていただく、今の制度でどこまでできるのかということをしっかりと周知をまずしていただくということが大事だというふうに思っています。

田嶋陽子

もし私が、どうしてもたばこが欲しい、子供でしたら、たばこを売らない、IDカードを見せる見せないのことでもしかしたら夜中にその店を襲うかもしれないですね。昔のラッダイト運動みたいに機械壊しをやったり、今子供たちが数人でホームレスの人をやっつけたり殺したりするのと同じで、もしかしたらそういうことが起きるかもしれないということを発議者は想定なさっていらっしゃるんでしょうか。

ボストン茶会(4件)

榛葉賀津也

そのお茶をアメリカにどんどん輸出して、税金をめちゃめちゃ高くして取ったんですね。これに現地のアメリカ人怒って、いわゆる一七七三年のボストン茶会事件が起こりまして、船のお茶を全部ボストンの海に投げ捨ててアメリカ人がコーヒーを飲むようになったという歴史があるわけでございます。

アントワネット(11件)

小野次郎

昔、マリー・アントワネットが、お城の前を飢えた市民の方がパンよこせパンよこせとデモしていたら、パンがなかったらクッキー食べればいいじゃないかと言っていたという話あるんですよ。違ったっけ。(発言する者あり)お菓子を食べればいいということを言ったと

菅直人

フランス革命のときに、パンをよこせと言う庶民に対して、マリー・アントワネットは、パンがないならケーキを食べればいいじゃないの、こういう言葉を吐いた。それがまさにあの革命を象徴する言葉であったと思います。小泉総理のような強い立場で育った方が、本当に、リストラされるサラリーマン、本当に、融資を切られて倒産に追い込まれる、そういう経営者の気持ちがわかっているのか。

江田五月

マリー・アントワネットの夫で、知性も教養もあり、改革意欲に燃えていろいろやったと。いろいろやったが、結局、だんだんだんだん民衆の方が前へ前へ進んだんですね。バスティーユの占拠が起きたと。その後、どんどん進んでいって、パリの民衆の神経を逆なでして、最後は一七九三年に、これはすごいですね、表決、採決するんですね。で、採決の結果、これは緊迫していますね、三百八十七対三百三十四で死刑が決定。コンコルド広場の断頭台で露と消えたと。

ロベスピエール(3件)

麻生太郎

フランス革命、ダントン、ロベスピエール、極めて悲惨な結果になったんじゃないですかね。ロシア革命も似たようなものでしょう。そして、最近では、そうですね、十九世紀、二十世紀に入ってからペルシャの、ペルシャという今のイランですか、イランのあの白色革命しかり。いずれも革命という名の付いたものは多大な血が流れた割には大きな生産が上がらなかったというのは歴史の示すとおりだと。

木村亀二

あのロベス・ピエールが非常に熱心な死刑廃止論者でありまして、その死刑虎止の有名なる演説の中に、やはり日本を見よ、この国ほど死刑とかあるいは残酷なる刑罰が乱用せられている国はないではないかということを指摘しているのであります。

メッテルニヒ(11件)

猪口邦子

メッテルニヒにとって、西のフランスが負けて、東にロシアが勝っているわけですね。挟まれているオーストリアとしては、もし敗北したフランスがこのまま破滅すれば勢力均衡が崩れますので、ここで何としてもフランスの復活を願っていたんですね。こういう猛烈な戦略性のあるこの会議は踊るであったんですね。そして、フランスにも辣腕の外務大臣タレーラン、その期待にこたえるべく立て直して、そしてタレーランがこのウィーンの講和会議に参加してその地位を回復していく、この時間稼ぎに会議は踊るやっていたんですね。当時のロシアのアレクサンドル皇帝は、だからこういう、会議は踊って最悪の宰相だというふうに言ったんだけれども、実際には、この結果、フランスは復活し、ヨーロッパの勢力均衡は保たれ、十九世紀ヨーロッパは歴史の中でまれなる戦争の少ない時代、これをまた実現していくことができた。

穀物法(8件)

松岡利勝

イギリスでも穀物法が廃止されて、そして安い農産物を海外からということで、イギリスの国内生産というのは大変な打撃を受けました。その結果どうなったかといいますと、農村は疲弊し、そしてまた、その結果都市も荒れ果てた。言ってみれば裏腹の関係でございまして、そういう意味からいたしましても、やはり農村がしっかりしていることは、それによって支えられて、これはやはり経済基盤、生活基盤というものも、水の問題等も含めまして、国全体が支えられるものだ、こう思っております。

中川昭一

マルサス、リカードの激しい議論があって、結局リカードの方の国際分業論というのが勝って、そして穀物法が一八四六年に廃止されるわけで、そこからは、安いものは世界じゅうからどんどん入れよう、自分たちは機械とかそういった当時の先端技術をつくっていけばいいんだという、非常に鉱工業が盛んでありましたし、また、そこに重点が入って、食料の方がどんどん少なくなっていった。それを見て書いたのが、マルクスの資本論、共産主義の原点でございますが、そういう状況。そして、第一次世界大戦、第二次世界大戦と大変な食料危機をイギリスは経験をした。大変な食料の援助をアメリカやヨーロッパから頼んだわけであります。そこで、戦争が終わって、チャーチルが、このままでいいんだろうかということで、本腰を入れて食料の自給というものにほぼ百年ぶりで政策を大転換していくことによって、それから二十年ぐらいたった段階でどんどん数字が上がっていく、成果が実ったということであります。

印象派(30件)

丸山穂高

ヨーロッパにおいては、歌川広重のヒロシゲ・ブルーだということで、日本の浮世絵や日本の文化が見直され、まさしくゴッホやモネといった印象派、またアールヌーボーの美術家たちも、日本のことを、すごいな、こんな国があるんだという形で、いわゆるジャポニズムというものが起こったというふうなことを考えますと、百五十年後のこの二十一世紀に新たなジャポニズムを起こすんだという方向性につきましては、非常に私も大事なことだと。

海江田万里

私は最近、ちょうど今の日本の経済の状況というのは印象派の絵画のようだということを言っているんですね。ルノワールでありますとか、あと、スーラという画家がおりまして、これは点描なんですよ。点描の中には、まさに点の中には暗い点もたくさんあるんですね。ところが、それを全体を通して見ると、やはりまさに印象派の明るい印象を受けることがあります。
その意味では、今の日本の経済はちょうど印象派の絵画のようだという言い方をしておりまして、近寄ってよく見るとやはり暗い点もたくさんあるということでございまして、そのところが、暗い部分に対してどういうふうにお話をするかということは大変難しい話でありまして、私も、時間がないときは、とにかく頑張るということで済ませております。

個人的ベスト3

ベスト3

オスマン・トルコ帝国のコンスタンティノープルだったトルコ

榛葉賀津也

短文に間違いが詰まりすぎている。

ベスト2

コルベールかサルベールか知りませんけれども、そんな、あなた言葉をもてあそび過ぎるのですよ。

楢崎弥之助

中曽根がまとう教養主義への大衆的本音を見事に代弁していると言えよう。

ベスト1

昔、マリー・アントワネットが、お城の前を飢えた市民の方がパンよこせパンよこせとデモしていたら、パンがなかったらクッキー食べればいいじゃないかと言っていたという話あるんですよ。違ったっけ。(発言する者あり)お菓子を食べればいいということを言ったと

小野次郎

訂正した上でけっきょく根本が間違っている滑稽さが乙である。

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