あの「さようなら」が教えてくれたこと ― 卒業式の風景と、スクラムの意味
こんにちは、ぱぱおです。
昨日、娘のてんかんの定期診察で病院に行ってきました。
2か月に一度のルーティンなんですが、ちょっと都合もあり帰り道に少し遠回りして、引っ越す前に住んでいた家の近くを通って帰ったんです。
娘が小1の時に通っていた小学校の前を通りかかったとき、ちょうど卒業式の帰りらしくて、晴れ着を着た子どもたちと親御さんがたくさんいました。
先生と一緒に写真を撮っていたり卒業証書を抱えていたり。
娘もあと3年で小学校卒業になるのかぁ、と思うと、この風景もなんだかとても感慨深いものですね。
さて、当然僕にも小学校卒業というイベントは過去にあったのですが、僕は小学6年生のとき、担任の先生が好きじゃありませんでした。
そんな小6当時、僕はずっと松葉杖生活だったんですが、その担任の先生は、避難訓練の時には先生が僕を背負って校庭まで連れて行ってくれたり、修学旅行でも、いろいろと気を使ってもらったと思います。
そんなやってもらっててなぜ嫌いだったのか?
実は今となってはよく覚えていないんですが…年齢的なものもあったんでしょうかね。
だから「卒業生を送る会」なんて正直めんどくさいなぁって思ってましたし、早く帰ってスーファミやりたいって、そればっかり考えてたし、会が終わったときには「やっと終わった!」ってせいせいしたものです。
そんな会は、最後卒業生たちが会場から退出するときに担任の先生と一人ずつ握手をして出ていく流れでした。
めんどくせぇなぁって思いながら、僕の番が来ました。
先生は僕と握手をして、まっすぐ僕の目を見て言いました。
「さようなら^^」
と。
この瞬間、なぜか僕は泣いてしまいました。
別に僕だけ特別なセリフがあったわけじゃないんです。
みんなに言っていた同じ「さようなら」の5文字です。
握手も同じ。
でも、その先生のまっすぐな目と表情が、なんだか僕の未来に向けて背中を押してくれた気がしたんです。
言葉にすると陳腐なんですけどね。でも、その瞬間の感覚って、今でも鮮明に覚えています。
その先生は「スクラム組んで」という言葉をよく使っていました。
先生の世代的にスクールウォーズの影響なのかな。
僕はよく知らないんですけど、まぁ言わんとするところは「共通の目標に向かってチーム一丸となってやっていこうぜ」ってことだと思います。
でも今になって振り返ると、これってすごく大事なことなんですよね。
個の力を高めることが大事だというのは、もちろんその通りです。
でも、個の力って結局その個体の限界までしかできないんですよ。
どんなに頑張っても、一人でできることには限界があります。
周囲と力を合わせていかないと超えられない壁って本当に多いんです。
逆を言えば、周囲と力を合わせればたいていの壁は越えられるわけですよね。
障害を持った子どもを育てていく中で、大変なこともいっぱいあります。
子ども自身も、親側も個の力には限界があって、一人で抱え込もうとすると、本当にしんどくなります。
でも、こうやってここMT Landに遊びに来てくれる人たちや、同じような境遇の親御さんたちと繋がって、「親も子も幸せになる」っていう共通の目標に向かって力を合わせられたら、きっともっと楽しくやっていけるんじゃないかなって思うんです。
これこそ、あの先生が言ってた「スクラム組んで」なのかもしれませんね。
昨日、卒業式帰りの親子を見ながら、そんなことを考えていました。
「スクラム組んで」という言葉を思い出しながら、やっぱり子育ても一人で抱え込まないことが大事だなと思いました。
わが家が実際に周囲との支援をどう作ってきたかは、こちらにも書いています。
卒業された皆さん、親御さんの皆さん、本当におめでとうございます。
僕は、あの日の先生の「さようなら」は、終わった小学校生活のほうを向き続けるのではなく、前をみて進む言葉だったと思っています。
みなさんの悲喜こもごもが、素晴らしい未来に続く道に繋がっていますように。
そして僕らも、この先続く道を、みんなで力を合わせながら歩いていけたらいいなって思います。

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