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巨大噴火🌀縄文人🌀日本神話

過去、日本で発生した最大級の噴火は、九州の真ん中を通る霧島火山帯で集中的に起こっていて、

特に、阿蘇・姶良・阿多・鬼界の4箇所で起きた噴火は、いずれも日本列島の存亡に関わる巨大なカルデラ噴火(注1) だったことが分かっています。

過去、巨大カルデラ噴火が起きた場所
(Created by ISSA)

(注1) カルデラ噴火とは、地下のマグマが一気に地上へ噴き出すことで、マグマがあった場所に広大な空洞ができ、そこが陥没して「カルデラ」(スペイン語で「釜」)と呼ばれる巨大な凹地ができる噴火のこと

これら巨大噴火の爪痕は、日本中の地層に刻まれており、

霧島火山帯で起きた巨大カルデラ噴火
(Created by ISSA)

3万年前のシラス(後述)や、7,300年前のアカホヤ(後述)については、「上野原縄文の森」の地層観察館で詳しく観ることが出来ます。

シラスとアカホヤの地層を
観察できる「地層観察館」
《鹿児島県霧島市国分・上野原縄文の森》
(Photo by ISSA)

今回は、こうした九州中~南部で起きた巨大噴火の歴史をみた上で、火砕流に飲まれた縄文文化、そして、その記憶が日本神話に及ぼした影響について探ってみたいと思います。

1 巨大噴火の歴史
(1) 阿多カルデラ

11万年前に起きた阿多カルデラの噴火では、阿多火砕流が南九州一帯を覆い、その後、​火山灰も風に乗って日本列島のほぼ全域、北は東北地方まで降り注ぎました。

イッシーで有名な池田湖や、薩摩富士として知られる開聞岳は、このカルデラに含まれます。

左上:開聞岳(薩摩富士)
右上:池田湖のイッシー☆
左下:池田湖とひまわり☆
右下:池田湖と黄金の鳥居
《鹿児島県指宿市》
(Photo by ISSA)

日本列島に人が住むようになったのが、4万年前と言われていますので、この時は人が被害を受けることはなかったと思われます。

(2) 阿蘇カルデラ
9万年前に起きた「ASO-4」の噴火は、日本最大級の巨大噴火で、600立方km(注2) を超える阿蘇火砕流は、九州のほぼ全域を焼き尽くして山口県まで到達しました。

(注2) 琵琶湖の湖水量(27.5立方km)の22杯分に相当

降灰は、日本列島全体を覆い、北海道でも10cm以上の厚さで降り積もったことが確認されています。この噴火によって、世界有数の巨大な阿蘇カルデラが形成されました。

このときに広がった火砕流が冷え固まってできた著名な地形・地物を挙げると、高千穂峡や、

溶結凝灰岩(後述)を利用した臼杵石仏群などがあります。

(3) 姶良カルデラ
3万年前に起きた姶良カルデラの噴火は、「ASO-4」に次ぐ巨大噴火でした。この時の入戸火砕流は、南九州の広範囲で見られるシラス台地(注3) を形成したことで知られています。

(注3) 「シラス」とは、鹿児島の言葉で「白い砂」を意味し、巨大噴火による火砕流・火山灰が作り出した白っぽい砂質の台地のことをいう

何十ものメートルもの厚みを持つシラス断層
《鹿児島県志布志市の採石場》
(Photo by ISSA)

先述のとおり、4万年前には新人類が日本に到達していますので、火砕流や火山灰が、旧石器時代の人々に壊滅的な打撃を与えた可能性(注4) があります。

(注4) 志布志市の倉園遺跡や、鹿屋市の川久保遺跡等では、シラスの下層(入戸火砕流が起きる前の層)から、旧石器時代の石器が見つかっている

姶良カルデラは、現在、錦江湾北部を構成する海となっており、

現在の姶良カルデラの様子
《Google Earth 3D》
(Created by ISSA)

桜島は、姶良カルデラの外縁部ということになります。

噴煙を上げる桜島
《鹿児島県鹿児島市野尻町》
(Photo by ISSA)

熱により灰が固まってできた溶結凝灰岩が、

入戸火砕流による溶結凝灰岩
《鹿児島県立博物館》
(Photo by ISSA)

シラス台地の基礎となりました。

図のピンク色のところがシラス
地質図Navi

大隅半島中部にある溝ノ口洞穴は、火砕流堆積物の中に出来た洞穴としては国内最大級(注5) といわれています。

(注5) シラスに含まれる大量の水分が地下水流となって堆積物下位の非溶結部分を浸食し、入口の幅が14.6m、高さが6.4m、奥行きが209.5mもある洞穴が形成された

溝ノ口洞穴の中から外を見る
《鹿児島県曽於市財部町下財部》
(Photo by ISSA)

桜島は、今でも姶良カルデラの地下にあるマグマ溜まりから供給されていて、最近では、1914年に大規模噴火が起きています(大正大噴火)。

1914年1月12日の大正大噴火で、
桜島は大隅半島と陸続きになった
《桜島ビジターセンターの展示パネル》
(Photo by ISSA)

付近では、この大正大噴火による降灰で埋もれてしまった埋没鳥居を観ることができます。

左:腹五社神社《鹿児島県鹿児島市黒神》
右:稲荷神社☆《鹿児島県垂水市牛根麓》
いずれも大正大噴火で埋没
(Photo by ISSA)

【参考】シラス台地と志布志城
鹿児島県東部の志布志には、

早口言葉みたいな志布志市役所の看板
(Photo by ISSA)

南北朝時代の1336年以前から江戸時代の1615年まで、280年以上にわたり志布志城が構えられていました。

志布志城の巨大ジオラマ
《志布志市埋蔵文化センター》
(Photo by ISSA)

特徴的なのは、写真のようにシラス台地を削って作られた石垣を持たない山城だったという点です。

シラスは、岩石よりも柔らかく加工が簡単で、シラスを垂直に削り取って作られた志布志城の城壁は切岸(きりぎし)と呼ばれました。

シラス崖は切り立っていても崩落し
にくいが、表面に土壌や樹木が覆い
繁ると途端に崩落し易くなるという
《鹿児島県志布志市の採石場》
(Photo by ISSA)

こうして出来た、幾つもの独立した曲輪(くるわ)が、深さ10m以上の巨大な溝を隔てて散在していることから、

志布志城の巨大なジオラマ
《志布志市埋蔵文化センター》
(Photo by ISSA)

敵が城に攻め込んだときに、この曲輪から矢や石を落とされるので、かなり攻略が難しい城とされていたようです。

(4)  鬼界カルデラ
そして、最も現代に近い大噴火が、7,300年前に起きた鬼界カルデラの噴火です。

鬼界カルデラは、薩摩半島から50km南の大隅海峡の海底にあるカルデラ火山です。

鬼界カルデラの場所
《鹿児島県霧島市国分・上野原縄文の森》
(Photo by ISSA)

この頃、南九州にも豊かな縄文文化が根付いていました。

縄文人の暮らし
《鹿児島県霧島市国分・上野原縄文の森》
(Photo by ISSA)
縄文人の食文化
《鹿児島県霧島市国分・上野原縄文の森》
(Photo by ISSA)

ある日、鬼界カルデラで巨大噴火が発生。

鬼界カルデラの大噴火
《鹿児島県霧島市国分・上野原縄文の森》
(Photo by ISSA)

噴出量は500立方km(注6) といわれ、海底から沸き上がった幸屋火砕流は、海面上を走りながら九州南部にも到達しました。

(注6) 1991年の雲仙普賢岳の噴火の1,000倍以上の規模に相当

幸屋火砕流が到達した地域
《鹿児島県霧島市国分・上野原縄文の森》
(Photo by ISSA)

火砕流は、ただの噴煙のように見えるかもしれませんが、実態は火山灰、軽石、溶岩の断片、高温ガスが一体になった高温・高密度の流体で、

拡散するスピードは時速100kmに達するので、どす黒い大きな壁が向かってくるのが見えたときは手遅れです。

火砕流のイメージ
《鹿児島県立博物館》
(Photo by ISSA)

縄文人の集落も、家屋も、家畜も、人も、南の方から高い壁のように押し寄せた火砕流に、なす術もなく飲み込まれ、

NHK「知的探求フロンティア」
巨大噴火が日本人を生んだ!?

400℃もの高熱と衝撃波で焼失・粉砕され、そのまま堆積物に埋もれて(注7) しまったと考えられます。 

(注7) 西暦79年に、イタリアのヴェスヴィオ火山が噴火し、古代都市ポンペイが火砕流に飲まれたときは、火砕流のなかで焼け死んだ人々の抜け殻が確認されている
日本でも、旧石器時代や縄文時代の人々も、それぞれ火砕流に飲まれたとみられるが、噴火の規模、酸性の土壌、経過年数から、犠牲者の痕跡は消散したと考えられている

また、火砕流を免れた人々も、大量に振り続く火山灰によって、ある者は呼吸障害、ある者は飢えや寒さにより息絶えたとみられます。

天気が良ければ、大隅半島からでも、
薩摩硫黄島を目視で見ることができる
《鹿児島県肝属郡錦江町神川》
(Photo by ISSA)

このように、巨大噴火が南九州で隆盛していた縄文文化を一掃し、その後、長きにわたり植生が失われた不毛の台地が支配することになりました。

実際に、大隅半島南部の大中原遺跡の地層からは、幸屋火砕流によってなぎ倒され炭化したカシの木が出土しています(薩摩半島南部の橋牟礼川遺跡も、同じく幸屋火砕流に飲まれた集落だったことが分かっている)。

火砕流により樹木が埋没した様子
《鹿児島県霧島市国分・上野原縄文の森》
(Photo by ISSA)

大噴火に伴って噴出した火山灰は、日本の広範囲、北は東北地方にまで達し、その時に出来た淡褐色の地層は、先述のとおり「アカホヤ」と呼ばれています。

写真の淡褐色の部分がアカホヤ
《鹿児島県霧島市国分・上野原縄文の森》
(Photo by ISSA)

2 再び開花した縄文文化
その後、900年の時を経て、再び南九州に人々が戻ってきました。

興味深いのが、鬼界カルデラ噴火の前までは、南九州では平底の土器が主流だったものが、

噴火から900年後に戻ってきた人々は、全国標準の丸底の土器を使っていたことでした(つまり、鬼界カルデラの噴火を機に、南九州独自の縄文文化が失われたということ)。

平底の土器(左)から、丸底の土器(右)へ
《鹿児島県霧島市国分・上野原縄文の森》
(Photo by ISSA)

実際に、鹿屋市の猫塚遺跡からは、噴火後の再定住を意味する丸底の土器が出土しています。

このように、大隅半島に延々と広がる広大な平原や台地は、付近の巨大噴火によって幾度となく火砕流に飲まれ、焼き尽くされ、灰に埋もれてきた歴史を物語っているのです。

☆巨大噴火と火砕流の到達範囲☆
何度も火砕流に飲まれてきた九州
(Created by ISSA)

3 巨大噴火が起きる可能性
現在、薩摩硫黄島の近海には、直径20kmの巨大カルデラが存在します(阿蘇カルデラが、丸ごと海底に沈んでいるようなもの)。

神戸大学JAMSTEC(海洋研究開発機構)による調査で、この海底カルデラの数km下方に、400立方kmの大きなマグマ溜りが存在することが判明しました。

このほか、姶良、阿蘇、屈斜路でもマグマ溜りが確認されており、こうしたスーパー・ボルケーノは、日本列島全体で見れば6,000年〜1万年に1度の割合で巨大噴火起こしています。

もし、再びどこかで巨大噴火が起きれば、日本は、他の震災とは比較にならないほどの壊滅的なダメージを被ることになるでしょう。

こうした恐ろしい巨大噴火が起きる前に、これを予期して、エネルギーを発散させるような技術の開発が望まれるところです。

4 巨大噴火と、縄文人と、日本神話
さて、ここからは、巨大噴火や縄文人が、私 ISSA が note のテーマに掲げている日本の心髄と、どのように関係するかという観点で、お話を進めて参ります。

大隅半島南部には、以前、こちらの記事でご紹介した、初代・神武天皇のご両親が眠る吾平山上陵があります。

一般人は内部を見ることはできませんが、吾平山上陵は自然の洞窟(岩屋)となっており、

吾平山上陵
《鹿児島県鹿屋市吾平町上名》
(Photo by ISSA)

この辺りは、11万年前の阿多カルデラの火砕流によって、土台となる硬い岩盤が造られ、

3万年前の姶良カルデラの噴火で周辺にシラスが降り積もり、その後の河川や雨水による浸食・風化で岩屋が出来たと考えられています。

鬼界カルデラの噴火で壊滅的な被害を受けた後から、縄文人の出土品から仮面などの特殊な装飾品が増え始め、

日常生活とは切り離された祭祀専用のスペースが作られるようになりました。

縄文人の舞
《鹿児島県霧島市国分・上野原縄文の森》
(Photo by ISSA)

それは、縄文人の間に火山を鎮める祈祷師(シャーマン)が出現したことを示唆しており、

鬼界カルデラの壊滅的な火砕流が、この岩屋の直前で留まったことから、この岩屋が「神力によって守られた聖域」と認識されるようになったのかもしれません。

実際に、日本神話の中には、こうした巨大噴火の記憶と思われる記述が、数多く見受けられます。

日本神話の記述と巨大噴火の記憶
(Created by ISSA)

それでは、最後に大胆な仮説を展開して本稿を締めくくりたいと思います。

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日本の心髄である「和」の精神

その始まりは
戦争のない調和的な社会
長きにわたり実現させた
縄文時代に遡る

1万年もの時の流れの中で
和を尊ぶ心は、日本人のDNA
深く静かに刻まれていった

上野原遺跡
《鹿児島県霧島市国分・上野原縄文の森》
(Photo by ISSA)

鬼界カルデラの巨大噴火で
壊滅的な被害を受けたことで
やがて縄文人の間に
大自然の脅威を見守る
シャーマンが生まれ

文字を持たなかったこの時代
壊滅の記憶は
神々の物語へと形を変えながら
彼らの間で口々に伝えられた(注8)

(注8) 縄文人は、現代人と身体的能力に大差はなく、高度な共同体を営んでいたことから、(今の日本語とは相当異なるが、)少なくとも数万語レベルの語彙があったと考えられており、特に、日本神話の根底に流れるハイヌウェレ型神話こそが、縄文的思想だとする見方がある

上野原遺跡
《鹿児島県霧島市国分・上野原縄文の森》
(Photo by ISSA)

6世紀に本格的に
文字が普及し始めると
書物が歴史を伝える手段に加わり

8世紀前半
記紀を編纂する頃には

天照大御神の孫(天孫)瓊瓊杵尊が
降り立つ(降臨する)場所として
巨大噴火が繰り返された
南九州が選ばれ

瓊瓊杵尊の天孫降臨から
神武東征の御船出に至る物語は
南九州を舞台として語られた

それは、後世の日本人に
この地に関心を向けさせるように
意図的に仕組まれていたから
ではないだろうか

【参考】神々の系図
(Created by ISSA)

瓊瓊杵尊
山幸彦
鵜草葺不合尊
神代三山陵と

神々の守り人となった
海幸彦の末裔、「隼人」

まるで
姶良カルデラを取り囲むように
配置されている
のは

姶良カルデラを取り囲む神々
(Created by ISSA)

神々の力でこの地を鎮めるため
だったのではないだろうか

日本神話は
はるか昔の日本人から
今を生きる私たちに
メッセージを伝える
タイムカプセルであり

シラス崖
《鹿児島県日置市・江口海岸》
(Photo by ISSA)

心を研ぎ澄ませ、思いを巡らせば
そのメッセージが聞こえてくる

「巨大噴火ニ、気ヲツケロ…」

展望台から姶良カルデラと桜島を望む
《鹿児島県霧島市国分上野原テクノパーク》
(Photo by ISSA)

私たちは
日本神話が持つこの真価
忘れてはならない

これからも、神々の力が
遺憾なく発揮されるかどうかは
私たち一人一人の心の在りよう
それ次第なのかもしれない…

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皆さんも、是非、日本神話を通じて、遥か古代人からのメッセージに耳を傾けてみてください。

いつも、ありがとうございます🍀