【100日noteから気づいた】私らしいnoteコンセプト設計
noteを習慣にすることで、人生が変わる人には共通点があります。
実際に私も100日間noteを書き続けたことで、収益が生まれ、新たな出会いがあり、仕事や生き方に対する考え方が大きく変わりました。
この経験から、noteを続けることで得られる3つの大きなメリットに気付きました。
心や思考が整理されて整い、
日々の行動に前向きな変化が生まれたり
自己肯定感が高まったり、
自分の本当にやりたいことを見つけることが出来る。
そんな変化を実感した人たちは、どんな風にnoteを続けているのでしょうか?
この記事では、noteを続けて人生を変えた人たちの共通点と私の実践記録をお話しします。
はじめまして。
このnoteに出会ってくださりありがとうございます。
私は、ささやかな暮らしを大切にしながら自分の好きなことを仕事にしています。
自己紹介はこちらに▽
あなたが人生を生きていく上で、
どんな生き方や働き方をしていきたいと思っていますか?
バリバリ仕事をして、たくさん稼いで、
好きなものを食べたり、趣味の時間を作ることが幸せな人もいれば、
家事に育児に奮闘しつつも、子供の成長を楽しみにしたり、
ペットに癒されたりする方もいるかもしれません。
もしくは自由に世界を旅する方もいるかもしれません。
一人一人の幸せの価値観は違うのが当たり前だし、
人から決められるものではありません。
私の好きな言葉に、相田みつをさんの
『しあわせは自分の心が決める』というフレーズがあります。
まさに、幸せは自分の心が決めるもの、だと感じています。
そんな私自身、ずっと自分の幸せを探してきました。
100日書き続けたら人生が変化してきた
noteを始めて3か月。
このnoteでちょうど100日目。

三日坊主でも100日続けてきたことで、見えてきたnoteの世界。
有料note販売3日目で記事を買っていただく、を体験。
以降毎月継続して3か月目で50部もの記事をご購入いただくことが出来ました。

最初の1か月はとにかく楽しんで書くことに集中し、
2か月目からは「有料noteの導線を意識する」ことで購入者が増えていきました。
今まで正社員、副業、複業、専業主婦、フリーランスと
様々な働き方を通じて、暮らしと仕事、やりがいのバランスを模索してきました。
SNSを頑張った時期もあれば、アフィリエイトやライターや、
広告案件、受注業務なども経験してきました。
いつしか自分の時間を切り売りするような働き方にモヤモヤを抱え、
忙しくなればなるほど、自分の大事にしたいことや
暮らしが後回しになっていくことを実感しました。
果たしてこのままの人生で、このままの生き方で、働き方でいいのだろうか?と思うようになりました。
一度しかない、自分の人生をどう生きていくか?
自分自身の体験を含めてこれからのnoteや、
noteを書くことをライフワークにする生き方についてご紹介していきたいと思います。
◇このnoteはこんな方におすすめ◇
自分のやりたいことが分からず不安を感じている
日々仕事に追われる日々でこのままでいいのかと感じている
家族のことを優先にして自分のことをつい後回しにしてしまっている
書くことを始めてみたいけど、何から始めたらいいか分からない方
有料noteを始めてみたい方
書くことをライフワークにしたい方
暮らしと仕事のバランスをちょうど良く整えたい方
最近snsに疲れてきた方
繊細さんで、大勢の集まりが苦手だと感じる方
私は100日継続したことで、人生が変わるきっかけを掴むことができました。
では、あなたがnoteを続けたらそんな変化が起こると思いますか?
後半ではご自身のnoteの初期設定に必要なワークを取り入れています。
是非ご自身の今の状態とnoteを通じて体現したい未来を整理してみましょう!!
前半は私自身の体験を通じて暮らしと仕事のバランスを整えていく方法についてご紹介しています。
後半は実際に有料noteの実践や体験を通じて感じていることについてをまとめました。
ご自身の今まで生きてきた中での経験には
無駄なことなんて一つもないと思っています。
読んでいただく中であなたにとって大切にしたい暮らしについてを振り返ってみる機会になったらとっても嬉しいです☺️
それでは是非お楽しみください🌿
新卒社会人。多忙で鬱になる。
社会人になって、会社の為にと仕事に奮闘していた20代。
休みはありましたが、平日は朝から晩まで仕事に駆け抜けていました。
営業をしていたので、取引先さんに行くことも多く、スーツを着て、満員電車に揺られたりしながら、色んな場所を駆け回っていました。
営業先から戻ると、翌日の資料作成や準備をしたりして、気づけば残業。なんて日々。
新しい仕事を任せられたりもしましたが、
あまりの多忙さに身体を壊して、自律神経失調症になってしまったのが、20代半ばの頃でした。
出張先で倒れて救急車で運ばれた後、過労との診断。
病院のベッドで泣きながら、
自分を責めてばかりいました。
『たくさんの人に迷惑をかけてしまった』
『自分のせいで、自分がもっと頑張っていれば、、、』
こんなに迷惑をかけた会社にはもう居ることができない、、と思うようになり、
どんどん塞ぎ込んで、家から一歩も出られなくなり、
ごはんが喉を通らなくなり、誰とも話したくなくなりました。
今考えると完全にうつ状態でした。
会社の人たちのことは好きでした。
だからこそ、適応出来なかった自分を責めてばかりいたのです。
身体に良いことを、世の中に発信している会社だったので、
より一層、身体に良いことを伝えていかなきゃいけないのに・・・
自分が身体を壊していたら意味がない。
私自身、自分の身体を立て直すことが第一にしなきゃいけない、
そう決意をして、会社を辞めることにしました。
15年前、副業という働き方を選んでみた。
会社を辞めた後、
当時はまだまだ珍しかったのですが、
リモートワークをさせてもらえる職場に入り、
契約社員として、週3日勤めて、それ以外の3日はやりたかった飲食店のキッチンの仕事をするという、複業という働き方をしていました。
今から15年位前の話なので、
その頃はまだ副業やリモートワークという言葉も聞かなかった時代。
良い経験にはなりました。
お金を稼ぐ為の仕事と
自分がやりたかった仕事、
このバランスがちょうど良く感じては居ましたが、
まだまだ自分にとっての幸せの模索期、ではありました。
週6日、リモートワークもあるとは言え、
飲食で夜遅くまで働いた後、翌朝満員電車に乗って通勤。
お客様の接待で飲み会があり、
帰ってきた翌日はまた飲食のシフトが入っている、、、
気づけば、色んなことをやっているようで、
どっちも中途半端で、好きなようにやっているけど、
時間と仕事に追われる生活をしていました。
休みの日は友達とランチに行くこともあったけれど、
翌日からまた仕事に追われる日々です。。
このままで、いいんだろうか、、、と何となく感じていた頃、
結婚が決まり、引っ越しを期に飲食店の仕事をやめて、
その翌年に娘を妊娠しました。
出産を期に仕事を退職することを決めて、
専業主婦になることにしました。
憧れていた母になることと、専業主婦の現実。
私自身、母親がバリバリの仕事人だったため、
一歳から保育園だったし、小学生の頃も鍵っ子で、
家に帰って、お母さんが迎えてくれることに憧れていた子供でした。
だから、私は子供が出来たら絶対に専業主婦になるんだ!と決意していたほど。
だから、子供を授かった時、
一つの夢が叶う!と思っていたのです。
しかし、実際に子供を出産後、
私の思い描いてイメージはすぐに崩されました。
かわいい赤ちゃんと向き合って👩🍼
日々を大事にしながら、子どもと向き合うんだ、、、
そんな丁寧な暮らしをイメージしていたら
そのイメージとのギャップが大き過ぎて
『想像していたのと違う、、、』という言葉でした。
まず、産後体調はボロボロでした。
私の場合出産も2日がかりで、前置胎盤剥離という胎盤が子どもよりも先に出てしまう状態で、
一歩遅ければ母子共に危険な状態でした。
出血も多く、娘も生まれてすぐ息がうまく出来ず、緊急処置室へ。
私も意識が遠のいていたので、すぐに抱っこも出来ず、感動の対面みたいな出産の記憶、ではなく、
壮絶な出産の記憶からスタートしました。
子どもが産まれてからがとにかく大変で、
身体は貧血でフラフラ、完全に身体も回復していない中から、
育児はスタート。
3時間おきの授乳に夜泣きにおむつ替えに
小さな命を守らなきゃいけない責任感に
心も身体も休まることがありませんでした。。。
初めての育児に夫に対する不満も徐々に出てきて、
娘が夜泣きしていても、全然気が付かず寝ている夫。
私は少しでも赤ちゃんが動いたり、泣く気配を感じると目覚めてしまい、
授乳をしながら、ウトウトする日々。
気づけば専業主婦という言葉が呪いにかかっていました。
専業主婦なんだから、子育ては私が頑張るのが当たり前だよね。
それが仕事だもんね。
こんな呪いをかけ始めました
気づけば産後うつになり、
夫への信頼感が無くなり、産後クライシスのダブルパンチになりました。
眠れず、授乳で吸い取られて、身体は全身バキバキだし、
泣き声も耳を塞ぎたい、もうどうしたらいいの、、、
わが子の成長が喜びである一方で、
素直に子どもが可愛いと思えず、心に余裕のない日が続きました。
一歳位になる頃、
『私も外に出たい、、、誰からも認められず、社会からも孤立して、孤独だ、、、』
そんな心の声を振り絞りました。
今思えば、自分で自分を鳥籠に入れていた、そんな状態でした。
そして、誰か助けて、とも言えない、言っちゃいけないような気がして自分で自分の首を苦しめていました。
それでも、その時は客観的に判断なんて出来なかった。
気楽に考えることも難しく感じていた。
それでも、このまま私の人生を考えていった時に
何が私にとっての幸せなのか考えるようになった。
会社に勤めて、お金をたくさん稼ぐことでも無ければ、
お母さんとして、我が子の為に生きることでもなく、
私は私自身を生きていくこと、
自分の人生を自分で創っていくことが
私にとっての幸せだと感じるようになったのです。
そんなことを感じながらも
じゃあ、どうしたら?何をしたらいいの?
と葛藤が始まりました。
SNS全盛期に突入。人から見える幸せの景色。
当時snsが急速に普及し始めて、
Instagramでは素敵な写真がたくさん見れるようになり、
色んな方の暮らしが垣間見れるようになりました。
私もこんな暮らしを出来るようになりたい!
と思う一方で自分の実際の暮らしのギャップを見て落ち込むことの方が多くなりました。
当時、娘はイヤイヤ期真っ只中。
部屋はおもちゃでカオス。
片付けても出されてを繰り返し、
ごはんと片付けに追われる日々。
こんな丁寧な暮らしがしたい、のにできない自分とのギャップに苦しんでいました。
当時リア充という言葉が流行ったりもしていましたが、
リア充の定義はこんなものだったような気がしています。
ハイスぺ男子と結婚し、マイホームを持っている人
いい企業に勤めて、休みの日には旅行に豪華なご飯を食べている人
おしゃれなママたちがカフェでアフタヌーンティーをしている
こんな投稿が良く出てきて、「世の中こんなにキラキラしているんだなぁ」と見ては落ち込んだり、一喜一憂していたような気がしています。
当時の私にとっては、子育てを楽しんでいるような投稿を見るたびに
心がチクっとしていました。
それは同時に「私って、子どもを可愛いと思えない、ダメな母親だ」とレッテルを貼っていたからだと思います。
誰でもない人と比較して、切り取られたSNSの投稿に
一喜一憂して、
そんな毎日にもほとほと疲れ果てていました。
離島に転勤をすることになって
そんな時、夫の仕事の関係で離島に家族で引っ越すことになりました。
当時娘は3歳。
私は育児ノイローゼ気味。夫に対しては不満ばかりをぶつけて、
パートナーシップとしても最悪な状態でした。
体調も絶不調。常に体調が悪く、
食事はほとんど喉を通らず痩せていく一方。
何かの病気かもしれないと、胃カメラや色んな検査を受けるも
逆流性食道炎と言われ、胃腸薬をもらって飲んではいましたが、
根本的な解決にはなりませんでした。
もう最後の頼みのような気持ちで、
夫が転勤希望を出して異動が決まったのがその頃でした。
引っ越しが決まって、何となくホッとした自分が居ました。
「何もない」が豊かさだと感じた島暮らし
島への引っ越しが決まり、体調が悪い中、
ようやっとの思いで引っ越しが完了。
島に引っ越すと、びっくりするほど、何もありませんでした・・・w
カフェも2,3個だし、いつもあいているわけではないし、
商店も数件・・・もちろんコンビニはありません。
島内に信号は2か所。人もそんなに歩いていません・・・
たまたま娘と二人で歩いていると向かいから歩いてきたおばあちゃんに声をかけられ、
「あんたどこの人?」と聞かれて
「最近引っ越してきました」と話すと、
おばあちゃんが持っていたみかんを頂いたりする、、、
そんなことが起きる日常でした。
ここには、今まで当たり前のようにあったものが何もない・・・
「何も無いのに・・・何か全部ある」
そう感じるのに時間はかかりませんでした。
夜になると満点の星が見えて、
保育園の帰りに寄れる、美しい海がありました。

それがあれば、充分豊かだと思えました。
不思議と、都内に住んでいたころは癇癪持ちだった娘が
島に引っ越してから全く癇癪を起さなくなりました。
何だか既に満たされているような感覚になっていたような感じでした。
それは娘だけじゃなく、私も同じでした。
都内に住んでいた時には、モノに溢れ情報に溢れ
選択肢の多さに日々何かに追われているような感じでした。
それが、限られたものの中で自然の恵みに感謝する気持ちや
情報に左右されずに、自分の感覚を信じて過ごせる心地よさを
体感して
ありのままの私でいられることが
こんなにも心地よいんだと感じる時間でした。
物質的な豊かさや地位や名誉ではなく
心の豊かさを大事にしたい
島暮らしを通じて学んだのは、このことでした。
それから転勤生活が終わって、都内に戻ってきてから、
私が人生で大切にしたいテーマはそこにあるのだと改めて決意しました。
それが今のnoteのタイトルにもなっている「ささやかな幸せ」というワードにも繋がっています。
島から戻ってきた2021年。
フリーランスとして自分でやりたいことを仕事にしていくと決めて
開業届を出しました。
暮らしを仕事にすると決める
仕事に追われて自分を後回しにしていた日々・・・
子育てに追われて、自分が自分じゃなくなってしまったような日々・・・
どの時代も必要な時間だったし、学びがたくさんあった時間でした。
だけど、私は大きな企業に所属して、肩書が欲しいわけでもなく
素敵なママと言われたいわけでもなく
起業家として成功を収めることがやりたいわけではありません。
島に行った時に、自然に救われたように、
たくさんの方に助けてもらったように・・・
自然や、お世話になった人たちに恩返しがしていきたい、
ということがやりたいんだと思いました。
自分のやりたいことを仕事にするには?
やりたいことを仕事にする、
それは簡単なことではありませんでした。
まず、そもそも本当にやりたいことなのか?
自分が出来そうだからやることなのか?
お願いされてニーズがあるからやってみることなのか?
それを、1人で整理していくのはなかなか難しく、
客観的な意見や、自己理解が必要です。
だからこそ、コンサル業に需要があるのだと思うし、
メンターのような存在に出会えると
自分の変容がグッと進んでいくのです。
私も今まで色んな講座やコンサルなどを受けてきましたが、
何より人との出会いの為の自己投資はやって良かったことだと感じています。
2023年から約1年間はがっつり自己探求をしていく1年を過ごしました。
そのおかげもあって、ブレない自分の軸というものが出来、
やりたいことを仕事にする働き方、生き方
自分を生きる、ということが本格的にスタートしました。
100日noteを書き続けたことで、
“自分が本当に大切にしたいこと”や、“自分らしい発信のあり方”が見えてきました。
次の章からは、
私がどんな風に「noteを自分らしく設計していったのか」
その過程・考え方・実践してみてよかった工夫などをまとめています。
noteを発信の場として育てていきたい、
そんなあなたにとって、小さなヒントになりますように🌿
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