自己紹介|自分の人生を生きられなかった私へ。
はじめまして。ようこそ。
このnoteに辿り着いてくださってありがとうございます。
このnoteは、30年以上、自分の人生を生きられなかった私の記録。
私は現在、41歳フリーランスで中学生の娘が1人います。
普段はジャーナリングセラピストと植物療法士として
野草ジャーナリングLabの主宰や
オリジナル野草蒸気浴の明日葉steam「mo.ya-i」というブランドを作っています。

「書く」ことで自分の人生を創れる人を増やしていきたい
それは、私のミッションの一つでもあります。
「書く」ということはジャーナリングでも、
noteでも、他のSNSでもどんな形でもいいと思っています。
「書く」ことで自分の内側の声に向き合い、
自分が自分の本音に正直に生きられていると実感したり、
それを社会に表現していくことで、
自分で自らの人生を創っている感覚を感じることが、
生きる原動力に繋がることだと感じるからです。
幼少期の体験が「自分を知りたい」と思うキッカケに。
こう考えるようになったのは、
自分の幼少期の体験からでした。
わりかし波乱万丈だった幼少期。
1歳で父が失踪。
その後養父のDVや母の4度の結婚などで
子どもながらに
「私は何のために生まれてきたんだろう?」
「どうしてこんなに毎日が苦しんだろう?」
そんな風に思っていました。

毎晩の様に布団に突っ伏して泣いていたし、
人生を斜に構えて見ていた中学2年生の頃。
友達も信じられず、家族にも相談できず、もうこの世からいなくなってもいい・・・とすら思っていました。
そんな時に手にしたのがノートとペンでした。
当時は「ジャーナリング」なんて言葉は知りませんでした。
「つらい」「なんで生まれてきたんだろう」というやり場のないモヤモヤを吐き出すための、
名もなきツール。
だけど、誰からもジャッジされないその瞬間だけが、私の味方だったのです。
「書く」ことでなんか救われるような気持ちになれる・・・
そう感じるようになってから、ノートが人生の相棒として私の対話の相手になっていきました。
どん底だった10代。

19歳の時、親が離婚し、
私は一人暮らしを始めるために
当時通っていた大学の近くに家賃27,000円風呂共同のアパートを借りて住むことになりました。
学校で勤労奨学生として働きながら、
学費の返済や、生活の為に、
バイトをいくつも掛け持ちして、週6、7で働いていました。
当時働いていた99円ショップで、
半額になったお弁当とかを食べていたし、
安いからという理由で古着を着ていたあの頃・・・。
バイト先で、私の財布が盗まれたことがあり、
当時の全財産3,000円が抜かれて道に捨てられていたことがありました。
バイト先の店長に言っても、他人事で
その対応にもがっかりして、一人で交番に行って
「もう誰も信じられない・・・」と泣きながらお巡りさんに話したことを今でも覚えています。
そして、更には当時のパートナーから
「他に好きな人が出来た」とフラれる・・・。
もう何もかもが上手くいかないどん底にいました。
過労で倒れた20代。

大学卒業後は、食品メーカーに就職。
第一希望の会社で、環境や人間関係には恵まれていました。
けれど、
どこかで「迷惑をかけてはいけない」
「もっと頑張らなきゃ」「成果を出さなきゃ」
「失敗は自分のせいだ」
毎日自分を犠牲にして、振り切るように頑張って・・・
気づけば出張先のホテルで意識を失って
救急車で搬送されていました。
この時、面会にきてくれた会社の同僚たちに
「迷惑かけてごめんなさい・・・」と泣きながら謝っていました。
それから、自分の心が無くなったようになり、
「この会社には居られない・・・」と
退職届を提出し会社を後にしました。
そして、誰とも会いたくないし、食べたくないし
生きる気力が無くなっていきました。
当時、病院に行くと、
自律神経失調症だと診断をされました。
そこから少しずつ社会復帰はしていったものの、
普通に会社員として働くことは出来なくなっていました。
そして、結婚、妊娠を期に専業主婦へ。
育児ノイローゼと自律神経失調症に悩む30代。

専業主婦になったら、
会社から離れたら、
ラクになれる・・・
と思ったら大間違いでした・・・。
むしろ・・・
どんどん自分のことは後回しになり
思い通りにいかない日々。
母として
妻として
こうあるべき・こうしなきゃいけない・・・
に捉われていき
どんどん自分の首を自分で締めていきました。
そして、イライラを子供や夫にぶつけて
そんな自分に自己嫌悪になって、を繰り返していました。
更には社会から離れたことで
誰からも認められない・・・
と自分が何のために生きているのか分からなくなったのです。
可愛いわが子のことをかわいい、
と思える余裕なんて無くて
早く大きくなればいいのに、って毎日思っていました。

それと同時に身体は不調だらけ・・・
眠れない・食べれない・朝起き上がれない
病院に行っても原因は分からないと、
処方された薬を飲んでは
身体に合わなくて、ますます具合が悪くなる一方。
そんな時に大好きな祖母が
すい臓がんで余命1か月の宣告。
それを聞いて、帰り道、どうやって帰ったのか
覚えていない位ショックを受けて
「生きること」について改めて考えさせられていました。
本気で自分に向き合うことを決めて
そして、30代の後半に入り
いよいよ本気で自分と向き合うことを決めました。

このままだといけない。
このままの人生で本当にいいの?
何度も何度もそれを問われるような出来事が起きて
その度に
私がいけないからだ・・・と
自己否定して
逃げてきたんです。
自分のせいにしちゃえば、それで解決するって
言い聞かせていたんですよね。
でも、それが間違いだったんです。
私は私の声を聞いてあげられていなかった。
その時も「ジャーナリング」をやっていはいたけれど、
掘り下げ方が違っていたり
前向きにだけなろうとすると上手くいかない。
そして、自分一人だけで何とかしようとしても出来ない。
そんなことに気づかされました。
自分の本音に向き合うことで
見える景色が変わる
そして、自分の幼少期から遡って
自分自身にゼロから向き合う時間を作っていきました。
一歳で父親に捨てらたことへの
悲しみだったり、自分が誰なのか分からない不安。
養父のDVの記憶や、
それでも、養子である私を育てることへの葛藤や
血は繋がっていなくとも
色んな方から愛情を受けていた記憶など
思い出したくないこと、見たくなかったことに
一つ一つじっくり向き合ってみることにしました。
その中で、一人では限界があることを実感し
アトリアという自分を学ぶコミュニティの中で
ワタシを生きるということを実践し続けています。
苦しい経験はたくさんあったけれど、
その経験が何よりのギフトだったんだ
そう思えるようになってからは
本当に見える世界が変わっていきました。

自分にとっての幸せとは何かに気づき
色んな人に助けてもらったり、
チャンスが訪れたり、必要な手放しがあったりと
本当に必要な時に必要なことが起こっていくのです。
今では、
自分の大切にしたい景色を大切にしながら
自分らしい生き方を実現出来ていることを感じています。
もちろん、それは全て完ぺきではありませんし、
悩みだって日々あるし、向き合う課題は訪れます。
でも、そんな過程さえも今は愛おしく感じています。
自分の人生は自分で舵をとる
私は現在、ジャーナリングの手法を使って
自分の本音に向き合う時間を届けていますが、
その中でも、
「あなたはこういう人ですね」とアドバイスしたり決めたりすることはありません。
どちらかというと「あなたがあなたに気付く」こと、を大切にしています。

いつしか私たちは誰かに何かを決めてもらうことが当たり前のようになってしまったんです。
親が言うから、こういう進路に進んだ・・・とか
大手の企業だからそこに就職したい・・・とか
会社に入ったら、上司の指示だからこうしている・・・とか
結婚したから、親になったから、こうあるべきだ、とか。
そんな中に自分の意志はどれだけありますか??
いつしか無理して身体を壊していないですか?
何かこのままでいいのかなって、先の見えない不安を感じていないですか?
私自身がそうだったからこそ、
本当に気持ちが分かるんです。
一緒に自分に向き合う時間を作ってみませんか?
26年前、
ノートに本音を書き殴っていたあの頃の私は、
まさか未来の自分が、
「書くことで人生は変わっていく」
と伝える側になるなんて思ってもいませんでした。
自分と向き合うことは、怖いです。
見たくなかった感情に触れることもある。
だけど私は、
ちゃんと向き合った先に、
自分を生きられる感覚が待っていたことを知りました。
だから今度は、
同じように苦しさや生きづらさを抱えているあなたと、一緒にその時間を歩いていきたいと思っています。
もし今、
「このままでいいのかな」
「もっと本当の自分で生きたい」
そんな気持ちが少しでもあるなら。
ぜひ、一緒に書きましょう。
最後まで読んでいただきありがとうございました😊
ゆうか🕊
【お知らせ】
野草ジャーナリングラボのメンバー募集については
下記メルマガより先行案内予定です。
メールをご登録いただくと、7日間のジャーナリングレッスンが受け取れるので、
ぜひ、まずは7日間チャレンジしてみてくださいね。
ジャーナリングをこれから始めてみたい方はこちらのnoteもおすすめ▽
こちらは毎月ジャーナリングシートが追加されていきます。
全てのワークを通して自分の取り扱い説明書が完成します。
