イセハラのモトニ 3《創作大賞2025》
あかりは、この日私達と出会ってからそれほど経過していないのに、お願いと称して、本日二度目の最高な上目遣いを披露した。こんなに最高の武器であるはずの上目遣いを頻繁に出せるということは、どれだけの他の武器を隠しているのかも気になったのだが、それよりも女性のお願いとは、どうしてこんなに可愛いのかと秘密のノートにメモをしながら、それを簡潔に説明出来ずに、ただ味わっている自分も好きだった。心では、こうしてずっとニヤニヤしていたが、現実世界の表情は、きちんと真剣な顔をすることには成功していた。
「お婆ちゃんに、伊勢原市の景色を見せてあげたいんです。出来ればお二人と一緒に」
私は、セイセイを見たが、彼も私を見た。私はあかりを見つめ直して、座るだけで創作が生まれる席で、夏目漱石の写真のように頬杖をつきながら、今出せる一番の美声で真っ直ぐにこう言った。
「私達が、ナオミちゃんを連れていけるなんてそんなに嬉しいことはないよ。本当にそう思う。断る理由なんて何もないさ。私達だってナオミちゃんにもう一度きちんと、会いたいからね。本当にそう言ってくれて、ここに来てくれてありがとう。喜んでお供したい。だけどね、どこの誰でも私達に頼み事をする時には、一つだけ大事な条件があるんだ。それを確認しないと私達も動けないんだ。これはずっと昔から、私とセイセイとで決めたルールなんだ」
セイセイも、私に続いた。
「ごめんね。あかりちゃん。これだけは、本当に誰にも譲れない条件なんだ」
あかりは、状況を飲み込めずに、少しだけ逡巡して呟いた。戸惑う姿もとても可愛いが、それは伝えなかった。
「なんですか?お金とかですか?それならもちろん、こちらが持ちます。だからお願い出来ませんか。お婆ちゃんと会って欲しいんです」
私は、あかりに、見るだけで幸せを与える笑顔と言われている自分の渾身の表情をやめてから、真剣な表情で、条件を教えた。
「そうじゃないんだ。世の中には、お金より大事なものが本当に存在する。そうだろ。あかりちゃん。君はいったい、もと何組なんだい?」
「なんのはなしですか?」
戸惑うあかりを尻目に、セイセイがさらに、イケメンに磨きをかけた少し憂いを帯びた声で続ける。
「いいからいいから、あかりちゃん。何も考えずに、しっかりと思い出してみてね。ここはね、とても大事な俺達のルーティンだから付き合ってよ。もと何組なのかな?」
「いつのですか?なんですか?中学は、4組、1組、3組です。高校は、AとかBだったし。いったい本当になんなんですか?」
人は、急にワケの分からないはなしをすると、困りながらも必死になって考えてくれる。この困った表情の優しさをしっかり目に収めたい。
「あー。2組はないのかぁ。じゃあ、無理かもなぁ。なぁセイセイ」
「そうだなぁ。あかりちゃん。2組はないのかぁ。俺達『元2』なんだよなぁ。」
私とセイセイは、大きなリアクションであかりに促すように、笑いながら伝えた。
「あ、そういうことですか?めんどくさいなぁ。ほんとに。こっちは真剣なんですからね。でも、こういうのくだらなくて、本当に大好きです。えっと。小学校で2組があった気がします」
私達は、手を差し出した。
「ようこそ元2へ。あなたも、もと2組だったんですね。これで仲間だ。おめでとうございます。条件成立です」
あかりは、笑いながら私達とそれぞれ握手をした。私は、私よりも小さくて細いその手を離したくはなかったが、あっという間にすり抜けてセイセイにその手は移っていった。
くだらなくて、ワケが分からないことで笑えるのなら、それは最高だ。
「変な条件ですね。こんなの大体全員に該当するじゃないですか」
「いや、良かったよ。2組じゃなかったらきちんと断ってたよ。ま、仮に2組じゃないにしても、何かしら2だったことを思い出して貰うまで、このやり取りはつづくんだけどね」
セイセイは真面目にふざけているが、まだその手を離していない。どこまでも天然プレイボーイだ。そして、何よりあかりも離そうとしていない。
「もと2組でよかったです。あ、大事なことを忘れていました。お婆ちゃんの本当の名前のことですが」
私は、セイセイとアカリが繋いだその手から、愛が生まれる尊い瞬間に立ち会っている気分と敗北感を隠すように、素早くあかりに伝えた。
「あかりちゃん。本当の名前なんてどうでもいいんだ。本当のことなんて誰にもわからなくてもね。必要だったら自分達で判断するよ。私達にとって『ナオミちゃん』だったというのが本当のことなんだ。それにね。いまだに君達が手を繋いでいるという奇跡も、本当のことかどうか疑わしく見えてしまうんだ」
ようやく離した手に、もしかしたらもう一度自分に順番が来るかも知れないと思い、一応右手を再度差し出してはみたが、私の順番は再び来ないことを私の右手は知っていた。
「お婆ちゃんの言っていた意味が、今わかりました。すごく楽しいです。また二人に会えるの楽しみにしています。これからも絶対にいっぱい遊びにきます。ヨッキさん。他の友達は連れて来れるかわかりません。それだけは残念です」
あかりは、少し微笑みながら可愛い余韻と爽やかな香りを残しつつ、足早に帰って行った。帰る髪すら、サラサラと鳴っていたので「サラサラ」と私は再び呟いていた。そして私はいつの間に「サラサラ歌劇団」に入団してしまったのだろうか。腕を後ろに組みながら歩くあかりのその姿に、うっすらと、私の一方通行的な恋の始まりを感じた気がした。
「なぁ。どうする?」
私は、セイセイに真剣に聞いた。
「ナオミさんがさ、この店に初めて来たの覚えてるか?俺、忘れられないんだ。ヨッキの本棚ずっと眺めてたろ。あんなに本棚を真剣に眺めるお客さん初めてだったから。それを横で見てたヨッキがさ、照れ臭そうにして、何一つ声を掛けることが出来なくてな。ノートにメモばっかりしてた」
それは、私にも忘れられない思い出だった。
「覚えてるよ。こんにちはでもなく、厚焼き玉子を頼むでもなく、じっくり眺めて、最初に出てきた言葉が『これあなたの本かしら。横光、川端、文藝時代に稲垣。文学は私小説だけではないのよね。いい選書してるわ』だぜ。俺はさ、このお店で、いつか本好きな人と出会えないかなって本当に思ってたんだ。今まで一人もいなかっただろ。ナオミちゃん。本当にスゲー本と文学に詳しくてな。いっぱい教えてもらったよ。本について人と話すと、こういう風に思考が繋がっていくのかってな。あっという間に、読みたい本が死ぬまでに、読みきれない数になったんだよ。あぁ寂しいな。読書会だってまだまだやりたかったんだ。聞きたいこといっぱいあるんだよ。チクショウ」
私は、座るだけで創作が生まれる席で、溢れる感情の説明が出来ないままに、自分の感情と本音を声に出して吐露していた。そして、それを素直に伝えられることが出来る友人がいることに本当に感謝している。
「寂しいな。やっぱり、このままじゃ終われないな。このままだと何も面白くないだろ。なぁヨッキ」
「あぁ。わかってる。こんなに面白いはなしを、こんなところで、中途半端に終わらせることは出来ない。それこそ、俺達には許されないな」
「このはなしの結末が知りたい」
私達の結末は、いつも通りに一致した。面白いとか、面白くないとかの価値観は、人それぞれだ。だから、私は自分が面白いと思うことを口に出す。それを理解して、一緒に楽しもうとしてくれる友人がいる。一緒にさらに面白くするためにだ。これは、私達の小さな世界だが、大きな幸せの記録だ。
「で、何をすればいい?ヨッキのやりたいことを形に近付けるのが、一番俺のやりたいことだな」
爽やかに、赤面しそうな言葉を堂々と語ることが出来るセイセイに、私は考えを素直に告げた。
「伊勢原市を一望出来る場所って、やっぱり大山だと思う。阿夫利神社下社だったら途中までは歩くけど、ケーブルカーを使えるだろ」
「だけど、こま参道があるだろ。さすがにナオミさんには、階段は厳しいと思うぞ」
セイセイが心配するこま参道とは、大山のケーブルカー駅に続くおみやげ屋さんや、お食事処が連なる階段362段、踊場27箇所になる風情ある参道のことだ。ここを通過しなければ、伊勢原の街が一望出来る神社の下社がある場所へは行けないのは分かっていた。
「そうだな。車で頼めば行けるルートもあるみたいだが、そんなの面白くないだろ。俺達がやるなら面白くが基本だ。それがどれだけ無駄でもな。な、セイセイお前覚えてるか。四国の金比羅宮に高校の時一緒に旅行しただろ」
それは、取り立ての車の免許で、卒業旅行がてらフェリーで九州に上陸し、二人で九州から神奈川へと、約ニ週間かけて戻ってきた旅行のことだ。
「思い出した。なるほどなぁ。了解。それに必要な道具とかはこっちで当たっとく。ヨッキ。お前は人を手配してくれよ」
「そのつもりだ。セイセイ。お前あかりちゃんに、ナオミちゃんが好きなものとか、その辺の面白い情報をなんでも聞き出せよ。それによって出来ることは可能な限りやろうぜ。ナオミちゃんを、その日は好きで溢れさせてあげたい」
「そう言うと思ってたわ。だからさっき帰る時に、あかりちゃんにちゃんと、連絡先聞いといたわ」
もう連絡先を交換していて、それを私がセイセイに聞かなければ、決して言うことは無かったのだろうなと、このイケメンを憎み、何となく思い出した、さっきの、あかりが後ろで手を組んでルンルンと帰っていた姿は、そのルンルンの後ろ姿かと納得し、腹が立った。
そして、その恋の始まりが、自分には一切向けられていそうもない事実を目の当たりにしたが、サラッと女性に連絡先を聞き出せるセイセイの、そのテクニックを羨ましいと思いつつ、私には、そんな大胆なことは出来ないから、後で教えてもらえばいいやラッキーと考えていた。
恋も9回裏まであるだろうと私は、長期戦を覚悟したと自分自身を説得し、納得させることに成功した。まだまだ先は長い。
「あと、シーモンも呼ぼう。アイツはカメラマンで帯同だ。この企画を記録させる。アイツは呼べば来る」
シーモンとは、本業は伊勢原市でデザイナーをしている私達の同級生だ。市議会議員選挙のポスターなどは、候補者の半分以上がシーモンデザインだと言う噂もある。その人懐っこさから、とても顔が広く、地元に根付いている男だった。そして要するに、元2だ。
「冴えてるね。ヨッキ」
「オチが知りたいからな」
「それは同感だ」
私達は、可能な限りナオミお婆ちゃんのことを聞き出し、ナオミお婆ちゃんに、伊勢原市の最高の景色を見せてあげたいと動くことにした。
人に何かをしてあげたいという純粋な気持ちは、利害に関係なく、驚くほどその熱量が人に届くことを私達は知っている。過去にもそれを何度も経験しているからだ。だから、なるべく全力で伝えてあげたい。反面、人が多くの嘘で成り立ち、簡単に裏切るということも知っている。実にあやふやで、微妙なバランスなのが人間関係だと思っている。だけど、それも含めて人間そのものを楽しむことにしている。私達は四十歳を超えて、いい意味でいい歳の取り方をしている気がする。
本当に信用出来る人間は、生涯でほとんど見つからないが、たまたま私の横にはいて、それが厚焼き玉子が得意な男だったというだけだ。
真面目にふざけるということは、裏切らないという前提で成立する。そして、裏切らないという信頼は、全力で力を注げるということを意味する。そしてそれは、全力で楽しめるということと、同意語だと思っている。
私達は、今までもそうやって生きてきた。
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