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イセハラのモトニ 2《創作大賞2025》

 はなしは次の週末のことになる。私の人生は常に、はなしの方から私に会いにやってくるような気がしている。この日、私達のお店「元2もとに」に、誰が見ても私の横に居てくれるのに相応しい、おしとやかな雰囲気の一人の女性がついにやって来てくれた。

 服装は、白のTシャツにジーンズと、何一つ着飾ってはいない、いたってシンプルな装いで、伊勢原の正装とも呼ぶべき毎日よく見かけるタイプの服装なのに、その着こなしの華麗さから、白いTシャツのコットン生地は、光の加減でシルクのように輝いて見えるくらいまばゆくて、まるでドレスのようだった。

 あまりにも美しく輝き、着こなしているので、私はサングラスを探そうとしたほどだったが、もったいないから肉眼でこの美女を記憶しろと自分に言い聞かせた。

 長いストレートな艶のあるサラサラな黒髪は、私に触れて欲しいと訴えるような意識をその一本一本に纏い、揺れる度にサラサラと実際に音が聞こえるようだった。その髪の毛は、一本一本が独立しているのに、尊重し合い、繊細な音楽を共に奏でているみたいであり、私の口は一緒に「サラサラ」と呟いて、その音楽に無意識にコーラスとして参加していた。髪はまとめるでもないのに、一本たりとも反抗することなく、ただただ真っ直ぐで、ちょうどバストトップの位置くらいまで伸びていた。

 私がなぜ、この美しい髪の毛の先端がバストトップの位置だと判断出来るのかと言うと、耳たぶから真っ直ぐに指を振り下ろした位置に、バストトップは存在するという思春期に教わった伊勢原に伝わる都市伝説を今でも信じているからだ。

「そこにバストトップが存在するのは、最初から知っているんだ」

 と、私は少しタイプのこの女性に伝えるか伝えないかを逡巡していた。女性は、お店に入って来るなり、座るだけで創作が生まれる席にいる私を認めた。

 その熱い視線は、一瞬で両想いかも知れないと思わせるには充分だった。なぜなら、その潤いを帯びたまなこから放たれる視線から、わずかな恋心特有の微笑みを感じた気がしたので、私の心に存在していたはずの女性に対する警戒心は一瞬で無くなっていた。

 結果私は、この一瞬の出会いで、一目惚れとは、本当に存在するのだと至った。今なら証明出来てしまう。しかも一瞬で両想いだなんて奇跡と呼ぶ以外の方法を知らなかった。

「あの、すみません。このお店って厚焼き玉子が美味しくて、文学かぶれの中年がいるお店ですか?」

 私としては、予想外の第一声だったが、これは女性の照れ隠しだと思うことに瞬時に成功していた。私は、来店してくるお客さんに、洒落た質疑応答で応えるために読んでいた開高健の「風に訊け」を机に置き、文学かぶれの中年として、時間をいつもよりも、二秒ほどかけて椅子から立ち上がった。このたった二秒を足すだけで、女性は、意識せず私を独占して見ることが許され、私への興味から、恋の魔法がかかると信じている。

「やぁ。いらっしゃい。君が今言ったことを一つずつ訂正させてもらってもいいかな。まず、君みたいに若くてキレイな女性が、このお店に来店してくれるなんて、私達にとっては喜ばしい以外に言葉が見つからないよ。ありがとう。出来ればね、毎週別なお友達を一緒に連れて来て欲しいくらいだ。だけどね、このお店は美味しいか、美味しくないかは別にして、厚焼き玉子しかないお店なんだ。そして、逆に種類が豊富で『かぶれ』ですまないくらいなのが、この文学かぶれの中年が集めた本達だ」

 私は本棚を指差しながら、少しタイプの若い女性に恋心を露にして真っ直ぐに見つめた。女性の視線が、恥ずかしくて本棚に移ることを多少は不安に思っていたが、一向に視線が移る素振りはなかった。ということは、その眼球は、私を映しておきたいのだと確信した。

 私が全力で見ているので、一瞬にして恋心は伝わると思った。少しタイプの若い女性は、私をしばらく見つめ返していて、その視線の奥にやはり疑いようのない恋心を感じさせるような熱を感じたので、私の胸の高鳴りが止まることはなかった。

「あなたがヨッキさんね。無礼な挨拶でごめんなさい。こう言えって言われたので。許してくださいね。初めまして。私は、『あかり』と言います。お婆ちゃんに、必ず最初にさっきの挨拶をしなさいって言われていたので、気を悪くさせてしまっていたら、本当にごめんなさいね」

 あかりと名乗る少しタイプの若い女性は、先ほどとは変わった丁寧な挨拶で、はにかみながら私を見つめていてる。急に来る丁寧な挨拶に、「ギャップ萌えとは体感するに限る」と秘密のノートに素早く記した。

「てことは、ナオミさんの知り合いかな。初めまして。そこに座っていいよ」

 セイセイが、心を盗まれようとしている私の横で、完璧なタイミングでスマートに登場してきた。彼は、本当に自分というものの必然的な登場の仕方を心得ている。しかも、巧みに席に誘導している。女性は、誘導されるがままにくたびれたソファに腰をおろす。私は、セイセイの優しさに甘んじて、ソファに女性が腰をおろす度に「スカートだったらな」と思ってしまう自分が出てくることを知っている。

「セイセイさんですね。お話、お婆ちゃんから聞いています。本当にイケメンですね。そうです。ここではナオミで通ってるって聞いています。ナオミの孫です。はじめまして。厚焼き玉子とても美味しいって聞いています。出来たら食べてみたいなぁ」

 なぜ誰もお店のメニューが厚焼き玉子しかないことへの不満を出さずに、優しくリクエストだけをするのか、私には到底理解出来ないが、あかりと名乗る女性が、私には見せたことのない上目遣いで、早くもお願いしている姿に、私も負けじと早くも心の中で、盛大に嫉妬することで応戦していた。

「嬉しいこと言ってくれるね。いいよ。今日もいい卵あるんだ。輝いてたんだ。ヨッキと話して待ってて。さっそく作ってくるよ」

「卵が輝くなんて言ってるの可愛いです。こちらこそ嬉しいです。やった。お願いします」

 イケメンと美女の間に、私が入る余地はすでになかったのだが、私の存在だけは証明したかったので、とりあえず私はあかりを見つめ続けることで参加した。私の粘着性に優れる視線に、ようやく気付いたあかりは、私に対しては、しっかりとよそいきの声で話した。

「ヨッキさん。お婆ちゃんの言ってた通りでした。何だか拗れてて、ワケのわからない理論を吹っ掛けて来る方がヨッキさんだって。本当に面白い方ですね」

 イケメンと評された友人の後に言われる「面白い方ですね」ほど、信用出来ないセリフはない。私はこの時点で、あかりに面白いことを何一つも発していないのだ。だがしかし、私は私で、このセリフを四半世紀セイセイの隣で言われ続けているので慣れてはいた。

「オーケー。あかりちゃん。初めまして。その通り私がヨッキだ。君が思う数十倍は拗れている自信があるよ。ところで君が言う、お婆ちゃんのナオミちゃんは、私の大事な読書友達なんだ。ナオミちゃんの孫だって言うのなら、この無礼は許すことにしよう。で、急にどうしたんだい?君も読書会に参加したいのかい?」

 あかりは、私のはなしを半分しか聞いていないような雰囲気で愛想笑いをし、空気が真面目に変化するのを充分に待ってからゆっくりと話し始めた。その視線は伏し目がちになり、瞼の上に塗られた薄いピンクのアイシャドウが、あかりを一段とキレイに見せていた。

「ここに来るのはどうしようか本当に迷ったんです。でも、お婆ちゃん、ここのお店が本当に好きみたいで、いつも話してたんです。読書会で文学を読み始めたばかりのヨッキさんが、本当に真面目に質問をしてくれるって。お婆ちゃんは、思うことを伝えていくのが楽しいのよって。『本は読まなければその物語を味わえないけれど、味わったものを伝えあうと本当に簡単に、それまで別々に過ごしてきた時代の時間を超えるのよ。その楽しみを久しぶりに知れて、本当に嬉しかったの』って言っていました」

 私は、自分のことを良く言われたり、こういう真面目な空気が凄く苦手なので、しっかりとふざけた路線に戻すことにした。

「えっ?なにそれナオミちゃん死んじゃったの?」

 私は真面目な空気が苦手なのではなく、真面目に空気を読めないタイプだったということを忘れていた。一瞬険悪な空気が周りを包んだが、大人なあかりは、そのまま話しを流して続けてくれた。私は四十歳を超えても、大人達に今日も救われている。

「死んではないです。もしかして、お婆ちゃんなら『例えば悪く言うなら、それに近いかもしれないわ』って。ふざけて笑って言うのかも知れません。実は、お婆ちゃん来月から施設に入るんです」

 急に襲ってくる現実は、空気がどうだとか感じるものでもなく、淡々と事実のみが音として響いてくる。私は、取り繕うことも出来ずに、その話の続きの言葉を待った。

「もともと一人暮らしで、最近は脚も悪くなってきて。本人は前から決めていたみたいです。もう私達が聞いた時には、全て決まっていました。強い人なんです。お婆ちゃん伊勢原市から出ます。ここにもう来れなくなると思います。お婆ちゃんああいう性格だから、きちんとお二人とお別れしていないと思ったんです。私がここに来て説明するのもどうかなって思ったのですけど。お婆ちゃんに『元2』に行ってみてもいいか聞いてみたら、少し笑いながら最初の挨拶を言えって言われて」

 すぐに現実から逃げ出したくなる私は、この話のすべてを聞きたくはなかったが、もし聞いていなかったらもっと悲しくなるという現実を知っていた。

「まぁ、食べなよ。美味しく出来たよ」

 セイセイはあかりの隣に自然に座り、同じはなしを優しく頷きながら聞き、お水を注ぐ。そして、そっとあかりに出来立ての優しさと湯気が立ち込めて香る、厚焼き玉子を薦めた。

「そっか。ナオミさん。行っちゃうんだね。この前もいつもと同じように『またね』って帰って行ったんだ。教えてくれてありがとね。そっか。行っちゃうんだ。寂しくなるな。なぁヨッキ」

 今まで数々の別れの本を読んできているのに、結局自分の現実としての体験が襲ってくるまで、本当の意味での別れの実感を感じようともしていなかった自分を少し恥じた。

「あかりちゃん。私は本当に寂しいよ。私は思っていることは、口に出して正直に言うって決めて生きてるんだ。なぜなら昔、合計六回告白して、六回目に付き合うことが出来た人がいたんだ。その女性とは六ヶ月で別れたけどね。だけどね、私はその六ヶ月で六回以上『好きだ』と本気で言えたんだ。あの時、六回目の告白をしていなかったら、この幸せな気持ちを味わうことは出来なかったと思ったんだ。それ以来、素敵な女性には正直に何でも言うって決めているんだ。それにね、大体感情なんてものは、次の瞬間には、もう違うことを感じてしまうんだ。私がすでに、あんなに仲良しの読書友達のナオミちゃんのことを忘れはじめていて、今、私の目の前にいるあなたのことが可愛いなぁと思ってしまっているという感情に変化してしまっているようにね」

 私は、本音混じりの冗談くらいしか、あかりに言えることがなかった。言葉とは現実から逃げ出し始めると急に軽く乾いて響き出す。

 あかりは、私の言葉を聞いているのか分からないが、人に見られることを知っている指で、箸を、まるで自分のカラダの一部のように華麗に扱い、厚焼き玉子を一口分だけつまみ、そのまま指のように見える箸ごと、美しくそっと口に入れた。それは、やはりとてもキレイだった。

「ありがとうございます。本当に美味しいです。この厚焼き玉子。お婆ちゃんの言ってた通りです。うーん。だしの香りと旨みと、そして何よりセイセイさんの優しさが伝わってきます。やっぱり人気があるワケですね。そして、人に寂しいなんて言葉と感情を与えられるお婆ちゃんのことが、私は少しだけ羨ましいです」

 あかりは、厚焼き玉子の感想とセイセイへの感情を饒舌に述べ、私に可愛いなぁ。と思われている感情については、その存在そのものを無視していたが、それを指摘するのは我慢した。

「で、お二人に聞いて欲しいお願いがあるんです」

 


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