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【SMAP解散10年・前】昭和はジャニー喜多川の性加害問題をどう報じたか


ある「少年」の投稿から

◇考へる力を養ふ讀物
           和歌山縣 喜多川 擴

 記者先生、僕は、いつも小松先生の『一太郎物語』を愛讀してゐます。
 この物語は、僕たちの氣づかぬ日常(にちじゃう)のことがらの中に、いかに科學(くわがく)の問題が、ひそんでゐるかを敎へてくれます。
 僕の家は、海邊に近い村にありますから、九月號の『冷たい火』の夜光虫(やくわうちゅう)の實驗(じつけん)をしてみようと思つてゐます。

 NHKBSでジャニーズJr.出演の番組『ザ少年倶楽部』(2000-2024年)が開始されること58年前、少年向け雑誌『少年倶楽部』1942年10月号で採用された読者投稿である。ジャニー喜多川、本名・喜多川擴(ひろむ)はアメリカで生まれ育ったが、戦時中は和歌山に疎開していた。つまりあのジャニー喜多川が少年時代に記し、掲載された文章である可能性が高い。
 あどけないながらも、読んだ前号の感想がしっかりと書かれている投稿文だ。しかし、これを書いた子供が、後に被害者千人を超えるとされる性暴力事件を起こす人間になるのかと思うと、ゾッとするものがある。このように無邪気に雑誌を読み、純粋な感想を送っていた少年が、あれほどの加害行為を行うに至ったのか、と。
 周知の通り、ジャニー喜多川の性加害は噂レベルでは生前から知られていた。しかし、その「噂レベル」の実情はどういったものだったのだろう。
 平成4年生まれの自分にとって、最初に触れたジャニーズのグループは小学校低学年の時、アニメ『犬夜叉』の主題歌「CHANGE THE WORLD」やバラエティ番組『学校へ行こう!』のV6だった。高学年にはSMAPの「世界に一つだけの花」が大ヒットし、事あるごとに学校の行事等でもこの楽曲が使用されていた記憶がある。ファンという程ではないにせよ、彼らはごく身近なものだった。既に過去の報道を再検証する試みは行われてはいるものの、改めて一次資料を読み、自分の立場から纏めたいと思った。

最初の“ジャニーズ裁判”


 ジャニー喜多川は朝鮮戦争に従軍した後、米国大使館の職員として再来日。代々木のワシントンハイツに住み、「ジャニーズ野球団」という少年野球団を持ってもいた。そんな中ジャニーが声をかけた、神宮外苑に遊びに来ていた4人の少年たちが「ジャニーズ」のメンバーとなることから、ジャニーズ事務所は始まる。
 四谷でバーを営んでいた喜多川の姉・メリー喜多川はOSK日本歌劇団にいた時代があり、当時の仲間・真砂みどり(本名・高橋純子)の夫が、「名和新芸能学院」という学校の経営者で腹話術師の名和太郎(本名・高橋幸吉)だった。名和はジャニーの助言で1962年3月に「芸研ジャニーズ」として新芸能学院の少年部を作る。「ジャニーズ」となる4人はこの新芸能学院預かりとなり、同年8月にデビューすると、テレビや劇場で人気を得る。
 少年野球団の所有、公園で遊んでいた少年たちへの“声がけ”……既に危うい匂いがするが、問題は早くも「ジャニーズ」結成から3年後に明らかとなる。

① 「事件の背景 “ジャニーズ”売り出しのかげに」、『週刊サンケイ』1965年3月29日号


 1965年1月、名和太郎がジャニー喜多川およびジャニーズのメンバーに対して裁判を起こす。訴訟の内容はこうだ。①「ジャニーズ」メンバーに対するレッスン料と宿泊費・食費の請求。②ジャニー喜多川に対する下宿料・立て替え交際費の請求。③喜多川の生徒に対するみだらな行為によって学院の名誉を傷つけたことへの損害賠償。合計270万6298円の請求を名和は行った。
 背景には前年、芸研ジャニーズの練習生がジャニーから性被害を受けた証言があった。被害は10人以上に及ぶ。名和はジャニー喜多川を追放、自分たちがジャニーズをマネジメントしようとするが、逆にジャニーがジャニーズメンバー4人と独立してしまう。

 おそらく初めて公になったジャニー喜多川の性加害がこの裁判であるが、首を捻らざるを得ないのか、この裁判は名和が相手取っているのがジャニー喜多川だけではなく、当事者であるジャニーズのメンバー4人に対してもであることだ。被害者たちを思っての告発になっていたのだろうか。裁判という公の場での言及は当然セカンドレイプになり得る。名和にとって都合よく裁判を運ぶため、ジャニー喜多川を不利にするために持ち出したに過ぎなかったのではないか、と思えるのだ。
 名和による恨み節的な印象も否めない訴訟だが、この記事によれば名和の元には大使館からの文書が送りつけられ、外交官は裁判権から除外されているという主張が記されていた。だがこの文書を書いたのはジャニー喜多川自身だった。自身の立場を悪用し、罪から逃げるジャニーの手口は卑怯だと言わざるを得ない。

②「ジャニーズをめぐる“同性愛”裁判 東京地裁法廷で暴露された4人のプライバシー」、『女性自身』1967年9月25日号

 名和の起こした裁判は少なくとも2年半は続いており、1967年9月11日には、「ジャニーズ」が証言台に立っている。以下はメンバーの一人・中谷良の証言である。

弁護士 学院をやめた原因が何か、知っていますか?
中谷 わかんない。
弁護士 学院内でワイセツ行為があったことは?
中谷 おぼえてません。

「ジャニーズをめぐる“同性愛”裁判 東京地裁法廷で
暴露された4人のプライバシー」、前掲

 しかし後年、中谷はこれがジャニー喜多川によって偽証させられたものだったと著書で告白している(宣誓後の偽証は「偽証罪」に、偽証の強要は「偽証教唆罪」や「強要罪」に問われる)。中谷はその後も被害に苦しみ続け、2021年に71歳で死去している。

 私たちは、この時に多くの人を、いや自分自身を偽ってしまったのです。
 私は、それまでの人生で初めて、人間として卑怯な行為をしてしまったのです。
 事前に答弁の言葉は決められていました。ジャニー喜多川氏が、それが自分たちにとって最高の手段であるのだと、みんなを説き伏せて……。
 (中略)今だからこそ言える、いや、言わなくてはならない。私は、裁判で嘘の証言をしてしまいました。

中谷良『ジャニーズの逆襲』
(データハウス・1989年)、p.76-77

 なお裁判から約30年後の2000年1月27日号の週刊文春によれば、この裁判は一審で名和が勝利し、ジャニー喜多川側の支払いが一部認められたが、二審では認められず上告も棄却されたという。

③「『たのきんトリオ』で大当たり 喜多川姉弟の異能」、『週刊現代』1981年4月30日

 ジャニーズは1967年をもって解散。時代は下り、70年代のフォーリーブスや郷ひろみの活躍を経た80年代に入ると、田原俊彦、野村義男、近藤真彦の「たのきんトリオ」が人気を得る。この記事は“ジャニーズ商法”を讃えている一方、ジャニー喜多川による性暴力の被害者の証言も記されているが、中でもメリー喜多川の夫で、藤島ジュリー景子の父である藤島泰輔に関する記述は興味深い。
 藤島は元新聞記者で作家、保守論壇の批評家としても活動し、1977年に自由民主党から参院選に立候補するも落選したが、作家の立場を利用してジャニーズ事務所のタレントをNHKに斡旋していた。「民放ではなく藤島泰輔氏の関係でNHKにコネが強く、マスコミのほうが、ついて行かざるをえないようにしてしまうのが、あそこの“強み”」(東スポ専属芸能ライター・本田圭)。
 こうした権力の行使もあってジャニーズ事務所とテレビ局各社の関係が強まったことが考えられ、大手メディアが性加害を報じづらい、また被害を受けたタレントが声を上げづらい構造が出来上がっていったことは想像に難くない。

ジャニーズもう一つの平成  暴露本、週刊誌、国会

 “「世界にひとつだけの花」と唄う彼らの、その華やかな大輪の花の根はすでに腐っている”(木山将吾『SMAPへ そして、すべてのジャニーズタレントへ』鹿砦社・2005年、p.10)……昭和から平成にかけて、光GENJIメンバーとしてデビュー予定だった木山将吾の同書や、豊川誕『ひとりぼっちの旅立ち 元ジャニーズ・アイドル豊川誕半世紀』(鹿砦社、1997年)、元フォーリーブス北公次の『光GENJIへ』(データハウス、1988年)や、既に引いた元ジャニーズ中谷良の『ジャニーズの逆襲』(データハウス、1989年)など、いわゆる“暴露本”が出版される。
 嫌で仕方がなかったが、アイドルになるために身を任せ続けた、という北は、自身が受けた性被害を「生き地獄」だったと追想している(『光GENJIへ』前掲、p.102)。また木山は、ここでの引用も避けたいような壮絶な被害を告白している。だが、ジャニーズの問題が取り上げられた国会の議事録を引用するなど(後述)、実際に読んでみるとジャーナリズム的な側面もあり、正しい言い方ではないかもしれないが良い本だった。

 また1999年から2000年にかけては、週刊文春がジャニーズ事務所に対し「追及キャンペーン」を開始。その論点はこうだった。①少年たちの飲酒・喫煙が常態化しており、教育的配慮に欠けること。②契約を交わさないため、ギャラの未払いなど少年たちに不利益であること。③ジャニー喜多川による「ホモ・セクハラ」(*記事が出た当時の言い回し)。更に何度か言及されているのは、1997年に「東京都青少年の健全な育成に関する条例」が改正され、買春処罰規定が付加されている事実だ。強姦罪は2017年に強制わいせつ罪・強制性交等罪に改正される以前は親告罪であり、被害者自身が訴え出なければならなかった。だがこの「健全育成条例」は親告罪ではなかったので、被害者本人の訴えがなくても立件できたはずだった、というのが文春の指摘である。
 だが、芸能担当記者によるこんな証言もあった。「一日署長などで、ジャニーズ事務所は、警視庁に“恩”を売っていますからね」(『週刊文春』1999年11月11日号)。まさか、警察権力はジャニーズと癒着状態にあった故に立件しなかった、とでも言うのか。万が一そうであったなら、メディアだけでなく警察の責任も問われるべきだろう。
 実際、週刊文春の報道を受けてジャニーズ事務所の問題が2000年4月27日に国会の「青少年問題に関する特別委員会」で自民党の阪上善秀議員によって取り上げられているが、この日の議事録を読むと、当時の警視庁生活安全局長・黒澤正和は「厳正に対処」を繰り返している(同氏については株式会社国際危機管理産業ホームページ内「役員紹介」の項も参照)。

 なおジャニーズ事務所側は週刊文春に訴訟を起こしたものの、裁判所は上告を退けた。つまりこの時点でジャニー喜多川による性加害が公に認められたが、この結果は新聞に小さく掲載されたのみだった(朝日新聞2004年2月25日)。周知の通り、2019年7月9日のジャニー喜多川の死去から4年近く経った2023年のBBCドキュメンタリーや、カウアン・オカモト氏を始めとする元Jr.の告発まで、この問題が大きく取り上げられることはなかった。
   *
 最後に、②で見た「ジャニーズをめぐる“同性愛”裁判」に掲載された〈某テレビ・ディレクターの言〉を引いておきたい。傍観者で居続けた世間のムードを如実に表しているコメントだ。

 「ジャニーズのオカマ趣味は公然の秘密だよ。
 最近は女の子にも興味を持ち始めたようだが、しかしクセは完全に抜けていないようだね。
 あまり健全ムードじゃないが、そんなことはブラウン管にうつらんし、どうでもいいんじゃないのか

「ジャニーズをめぐる“同性愛”裁判 東京地裁法廷で
暴露された4人のプライバシー」、前掲

後編に続く


その他参考文献


 「本誌独占 ジャニーズはどうなる!? 告訴沙汰と関係者のいい分」、『週刊明星』1964年9月27日
 竹中労『タレント帝国』、「ジャニーズ解散・始末記」p.244-258、1968年・現代書房
 「大講談社を震え上がらせたメリー喜多川の“たのきん”操縦術」、『週刊文春』1981年5月28日号
 「国会質疑されたジャニーズ問題」、『週刊朝日』2000年4月28日号
 戸部田誠(てれびのスキマ) 『芸能界誕生』、新潮新書・2022年

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