マイ朝ルーチン、特にnoteの記事執筆について。その2
最近では「モーニング・ルーティン」とか書くのが普通らしいけど、私はそこをあえて「朝ルーチン」と呼称したい。
ただ昔からそう言ってただけだからだが。
ということで昨日のこの記事からの続き。
https://note.com/morogami_roku/n/n9eba87047e4a
ずっと前からやってるライフログ的なものの記録とかメールチェックとか飽きが来ているのでなんとかしたいけどどうしたらいいの?的なことを書いた。
でもわからないので保留だ、と。
そこで一晩寝たら素晴らしい天啓を得た!!……などということはなく、今朝も普通にそのままそれをこなした。
これが習慣化ということなのだろう。
だから問題はない。いやある。どっちだよ。
故に保留は継続。
そのうちなんか思いつくんじゃね?
そして一番新しい朝ルーチンであるこの「noteでの航海日誌の執筆」なのだが、これも実はちょっとだけ辛くなってきた。
けっこう頻繁に「あ、なんか今朝は書きたくない。ってかめんどくさい」という気分になることも多い。
それでもとりあえずGoogle Keepを開いて最初の1行の「航海日誌 日付」を書くと、なぜか流れでそのまま適当なことがなんとか書けることがわかった。
書く内容は昨日のことを思い出しながら、その場で考えて書いている。
以前noteの執筆は「脳内であらかた内容を考えてから書く」的なことを書いたが、まったく真逆の方法である。
この脳内で考えておいていい加減煮詰まったら書くという方法は最近はやってない。
航海日誌と称して毎朝アドリブで適当なことを書いているわけだが、「なにか書きたい欲」みたいなものがこれだけで充足してしまっている可能性がある。
これは良いことのような、あまりよくないことのような……。
おっと話がずれた。
要は最初の1行を書き出すと書けちゃうよね、なんか知らんけど。
ということだ。
でも私は知っている。いつかその最初の1行も書きたくなくなる日が来るということを。
以前も「やる気は最初少しだけやれば出るとかいうけどその少しすらやりたくないのだが?」的なことを書いた。
こうした悲しいサガというか基本的に怠け者な自分という自覚を持つが故に、こうした悲観的な予測を立ててしまうのだが、考えてみればこれはよくないことである。
悲観的な予測を立てたということは、実際にそうなるように動き出したともいえるのではないか。
自分をそうプラグラミングしてしまったというか。
かといって楽観的な予測をしてそれがはずれて落ち込むのも御免被りたい。
ポジティブシンキングなんて、究極のマゾ的行為じゃないかと実は思っている。
ならばどうするか。
考えなければいい。
やっぱり余計なことを考えるのはむだだ。
そのときにやれること、やりたいことを黙ってやっていこう。
いやしかし、朝ルーチンの振り返りをするつもりが、なにやら違う思想へと脱線しまくってしまった。
こうして書きながら考えていると、考えが発展してくこともあるし収束していくこともあるし、結局ぼんやりとしたままなんにもならないこともある。
これが面白いと思えるうちはたぶん、朝ルーチンとしてのnote執筆は続くだろう。
