私はわたし 03 | バゲットから人々を幸せに
かつて外資系コンサルティングファームで「記号」としての戦略を売っていた主人公が、フランスの国民車ルノー5(サンク)や安藤百福のイノベーション、そして自身の挫折と転身を通じて、プロダクトや人生における「中身(思想・文化)」と「器(形・組織)」の理想的な関係性を問い直す手記である。
前半では、フランス人の等身大の日常を形にした初代ルノー5と、そのDNAを正しく翻訳した新型EVを引き合いに出し、思想が宿る「器」の美しさを説く。対照的に、伝統を「うなぎのタレ」と切り捨て、合理性だけでブランドを解体したグローバルセダンの過去の事例を挙げ、現場の愛や歴史を無視して実績作りを優先する「渡り鳥型エリート」の虚しさと、それに加担した自らの過去を振り返る。
後半では、安藤百福が「丼のない国」でカップヌードルという新たな器を創出した逸話から、環境に合わせて自らの器をデザインする重要性を提示。現在は年収や地位を捨て、パン屋のコンサルタントとして「身の丈に合った器」で生きる著者が、効率至上主義の空虚なゲームから訣別し、愛する対象に寄り添うことで得た真の豊かさと、中身と器が一致した生き方の価値を綴る。
思想を宿すバゲットホルダー
日常を再定義した「国民の足」
1972年、フランスの街並みに現れた一台のコンパクトカーが、人々の生活を根底から変えた。
ルノー5(サンク)。
それは単なる移動手段としての機械ではなく、フランスにおける「国民の足」を再定義した、生きた思想そのものだった。
当時のフランスは、自由と大衆化の波が押し寄せていた時代。ルノー5は、手の届く価格でありながら、誰もが気負わずに乗れるハッチバック構造を採用し、圧倒的な実用性を誇った。都市の狭い路地を軽快に駆け抜け、週末には家族や荷物を詰め込んでピクニックへ向かう。
若者も、女性も、労働者も、誰もがこの小さな車に自分のライフスタイルを投影した。
ルノー5が愛されたのは、優れたスペックを持っていたからではない。
フランス人がフランス人のために、その等身大の日常をそのまま形にしたという強固な思想があったからだ。中身(フランス人の生活)と器(車というプロダクト)が完璧に一致していたからこそ、それは文化となった。車という器が、人々の営みという頭脳を過不足なく受け止めていたのである。
裏切らないテクノロジー
時代は移り変わり、自動車業界は電動化の荒波に揉まれている。
その中で登場した「ルノー5(サンク) E-Techエレクトリック」は、初代のDNAを現代に鮮やかに蘇らせたEVであった。
この車の凄みは、単に過去のデザインをノスタルジックに模倣した点にはない。共通しているのは、誰もが主役になれる「手頃で実用的な国民の足」という揺るぎないコンセプトだ。
デザインの随所には、初代への深いリスペクトと遊び心が溢れている。
特徴的な角型ヘッドライトや縦型のリアライト、かつてボンネットにあった空気吸入口を充電インジケーターへと生まれ変わらせたアイデア。
それらはすべて、過去の遺産を現代の技術という器へ正しく翻訳した結果だ。コンパクトで街乗りに最適なサイズ感も、日常に寄り添うという思想の表れ。テクノロジーがどれほど進化しようとも、乗る人の日常を豊かにするという中身が変わらなければ、新しい器としてのEVもまた、人々に愛される存在になり得るのだ。
偉大なる名車の2代目は辛い。経営者は3代目が潰すという諺もある。他責のコンサルタントとはいえ、マーケティングの一翼に携わったことのある、この商品を開発した責任者に敬意を表したい。
「ルノー5(サンク) E-Techエレクトリック」は、1970年代の名車「ルノー5(サンク)」を最新の電気自動車(EV)として復活させたコンパクトカーです。往年のシルエットを忠実に再現したレトロモダンなデザインが特徴で、ボンネットの充電インジケーターなど遊び心も満載。EV専用プラットフォームを採用し、航続距離は最大約400km。手頃な価格帯の次世代EVとして、欧州を中心に高い注目を集めています。
儀式のための特等席
新型ルノー5(サンク)の助手席脇に用意された、編み込みのバゲットホルダー。
この極めてローカルでユーモアに満ちた装備こそ、思想と器の完璧な一致を物語っている。
多くのフランス人は、今でもほぼ毎日、焼き立てのパンを買いに行くのだと、親友のアンは言っていた。
彼らの主食であるバゲットは、小麦粉、塩、水、酵母だけで作られるシンプルなものだからこそ、数時間で硬くなってしまう。そのため、「その日に食べる分を、その日に買う」のが基本だ。
近所のパン屋へ足を運び、店主と他愛のない会話を交わし、焼き立てのバゲットを受け取る。帰り道、我慢できずにその端っこをちぎって口に運ぶ。これは単なる買い物ではなく、彼らの人生に組み込まれた「愛すべき日常の儀式」なのだ。
ルノー5(サンク)のような車は、まさにその「ちょっとそこまで」の移動を支えるためにある。だからこそ、バゲットを差し込むための専用の器が、大真面目なユーモアとして成立する。
もしこれが、フランスの日常を知らない他国のメーカーが表面だけを真似たハリボテだとしたら、ただの滑稽なギミックとして風刺の対象になっていただろう。思想なき器は、常に空虚である。
記号化されたアイデンティティ
「秘伝のタレ」を捨てた発表会
かつて私が籍を置いていた外資系コンサルティングファーム。
名前を聞けば、誰もが聞いたことのある会社。業界きってのやり手であり、かなりの嫌われ者でもある、あの会社。
そこは、新卒から年収1000万円を軽く超える、地頭の冴え渡った天才たちの集まりだった。
しかし、とある日本の自動車会社のプロジェクトに関わったとき、私は初めて自分たちの仕事の「三流さ」を目の当たりにした。
顧客である会社にとって、そのモデルは、半世紀以上の歴史と熱狂的なファンに支えられた「技術」のプライドそのものだった。
しかし、発表会でマーケティング責任者が放ったのは、「うなぎのタレ(伝統)を一度捨てて、新しいタレを作った」という言葉だった。
海外向け高級ブランドのバッジを施し、世界市場で生き残るための冷徹な合理性。
私たちは、その商品の歴史や伝統を理解することなく、その車を愛してきた顧客の顔も見ず、「グローバルセダン」という記号だけで価値をカテゴライズした。
中身を伴わない人たちの前において、「今こそ、変化の時である。過去を否定し、未来を見ましょう。」という、変える姿勢は、「これまでの価値観を踏襲する」という変えない姿勢よりも、安易にかつ好意的に受け入れられやすい。
血の通っていない提案を、さも正しい正論として通してしまったのだ。
長年培ったブランド文化や情緒的価値は、一度捨てれば二度と戻らない。その重みを、私たちのスマートな頭脳は完全に無視していた。
V37型スカイラインの発表会において、セダン市場の活性化を狙い、従来の伝統や基本性能の進化を「老舗のうなぎのタレ」に例え、今回はそのタレをあえて捨ててゼロから新しいプレミアムセダンを構築したと説明した。
これに対し世論は、長年培われた伝統やブランドバッジという、既存のファンが最も大切にしている要素を切り捨てるような姿勢に強い疑問を呈している。様々な意見が交わされる中、過去にコカ・コーラ社が顧客の声を無視して味を変更し、猛反発を受けて大失敗を喫した歴史的な事例を提示。メーカー側の一方的な都合や論理で「タレの味」を大きく変えてしまう危険性を指摘した。
スカイラインという伝統ある名を冠しながらインフィニティのバッジを掲げ、これまでの歴史を否定するような会社の方針は、これまでブランドを愛し支え続けてくれた多くの大切なファンを一気に失う結果を招くのではないかと、強い懸念に、世論が意見を交わした。
レジュメを飾る渡り鳥たち
私たちの精緻な(そして血の通わない)提案を、疑問も持たずに鵜呑みにしたのは、2年前に転職してきたばかりの外国人役員だった。
ハーバードのMBAホルダーという輝かしい肩書を持つ彼にとって、そのモデルが持つ日本での歴史や、ファンの熱い想いなど知る由もなかったのだろう。興味すらない。
そして、いくら仕事とはいえ、その壊された伝統を誇らしげにメディアへ語ったマーケティング責任者の姿にも、私は悲しみを覚えたのだ。
ここに、現代の企業が抱える「ダイバーシティ&インクルージョン」の根深い構造的病理がある。数年前にやってきたばかりの人間が、自分の在籍期間中に「目に見える成果」をアピールするためだけに、土足で歴史ある土壌を荒らし、壊していく。
彼らは数年後、綺麗にラッピングされた実績(レジュメ)を手に、さっさと次の会社へステップアップしていくのだ。残された現場と、傷ついたブランドの痛みを引き受けることのない、無責任な「渡り鳥」たち。彼らの頭脳は優秀かもしれないが、企業の歴史を受け止める器としては、あまりに軽薄だった。
拡張機として消費される企業
渡り鳥型のキャリア社員たちにとって、企業とは豊かに育てるべき対象ではない。自分自身を社会に対して大きく見せるための「拡張機」に過ぎないのだ。
混迷と闇は、まさにここにある。
彼らは、プロダクトのプロポーションや、他社との比較データ、市場の成長率といったマクロな数字のゲームには滅法強い。しかし、その車がどのようなエンジニアの執念によって作られ、どのようなユーザーの人生に寄り添ってきたかというミクロな物語には、1ミリも興味を持たない。
中身(伝統や文化)を理解しないまま、流行りの「グローバル基準」という器に中身を無理やり押し込もうとするから、歪みが生じる。
うなぎのタレを捨てて作ったハリボテのタレが、客に愛されるはずがないのだ。
のちにマイナーチェンジで、グローバルブランドバッジを脱ぎ、丸型4灯テールを復活させた迷走ぶりこそ、彼らが、いや私たちが犯した過ちの証明とも言えよう。
優秀な頭脳が、その器の小ささゆえに文化を破壊していく。そんな仕事に加担している自分自身を、私はどうしても許せなくなったのだ。
中身から立ち上がる器
「チキンラーメン」という偉大なる頭脳
コンサルの世界を飛び出した私が、心の拠り所を求めて歴史を紐解いたとき、一人の偉大なイノベーターの足跡に突き当たった。
日清食品の創業者、安藤百福である。
彼の歩みは、まさに「中身と器」の正しい関係性を教えてくれる教科書だった。
1958年、百福は世界初のインスタントラーメンである「チキンラーメン」を発明した。
「お湯をかけるだけで、いつでも家で美味しいラーメンが食べられる」というコンセプトは、当時の食文化を揺るがす圧倒的な「中身(頭脳)」だった。この袋麺の発明によって、日本の家庭には新しい簡便食の文化が根付いた。百福の頭脳が生み出した中身は、それ自体で完璧な価値を持っていた。
しかし、彼の挑戦はそこでは終わらなかった。次なる舞台は世界、特にアメリカ市場への進出だった。そこで百福は、どれほど優れた中身であっても、それを正しく受け止めるための「器」がなければ、その真価は全く伝わらないという過酷な現実に直面することになる。
安藤百福が1958年に生んだ「チキンラーメン」は、食文化を覆したマーケティング・イノベーションの傑作です。
最大の功績は、単なる即席麺の開発ではなく、「お湯をかけて3分」という圧倒的な簡便性により、戦後復興期の忙しい人々の潜在ニーズを捉えた点にあります。独自技術(瞬間油熱乾燥法)で「長期常温保存」と「家庭での即席調理」を両立。調理のパラダイムシフトを起こし、流通のハードルを下げ、ゼロから「即席麺」という巨大市場を創出しました。顧客体験の変革で新たな価値を提供した、市場創造の好例です。
丼のない国で直面した壁
1966年、安藤百福はチキンラーメンを携えてアメリカのスーパーを視察に訪れた。まさしく、満を持して、だった。
現地の大手バイヤーたちに試食を勧めたところ、彼らは奇妙な行動に出た。
アメリカには、ラーメンを食べるための「丼(どんぶり)」も、すするための「箸」もなかったのだ。困ったバイヤーたちは、チキンラーメンを小さく割り、紙コップの中に入れ、そこにお湯を注いでフォークで食べ始めた。
百福はその光景を見て、大きな衝撃を受けたという。どれほど優れた、画期的な「頭脳(中身)」があっても、それを受け止める「環境(器)」が合っていなければ、異文化の中では機能しない。
コンサル時代の私がやっていたのは、アメリカの紙コップ(グローバル基準)に、日本の丼の文化(伝統あるセダン)を無理やり叩き込んで、溢れさせていたようなものだった。百福が目撃したのは、中身と器の決定的な不一致。
しかし、彼はここで「文化が違うから売れない」と諦めるような人間ではなかった。
カップヌードルが証明したイノベーション
安藤百福の偉大さは、器が合わないのなら、その頭脳のポテンシャルを最大限に活かすための「新しい器」を自ら創り出せばいい、と考えた点にある。
そうして1971年に誕生したのが、片手で持てる発泡スチロール製の容器に入った「カップヌードル」だった。
器そのものが調理器具であり、食器であり、パッケージでもあるという、まったく新しい概念の器。百福は、中身である麺の揚げ方や密度を器の形状に完全にフィットさせ、中身と器が一体となった完璧なプロダクトを完成させたのだ。これこそが本物のイノベーションだ。
既存の器(既存の市場や評価基準)に自分を無理やり押し込める必要はない。自分の才能や、守るべき中身に見合う器を、自らの手でデザインし、拡張すればいい。百福の逸話は、環境の不一致に悩む私に、進むべき道を照らしてくれた。
私は、誰かが作った歪な器の中で数字を合わせる仕事をやめ、自分自身の器を自分で作ろうと決意した。
器を壊す者たちへの訣別
私たちが知らなかった、現場の本当の顔
コンサルタント時代の私たちが作っていた分厚い提案書には、美しいグラフや精緻なフレームワークが並んでいた。
しかし今なら痛烈にわかる。
私たちコンサルタントは、顧客の会社の本当の能力を、何一つ知らなかったのだ。現場のエンジニアがどれほどの夜を徹してミリ単位のセッティングを詰めたのか、営業マンがどんな思いでディーラーに足を運び、顧客の声を聞いてきたのか。
そうした「泥臭い現場の真実」は、私たちのスライドには決して反映されなかった。なぜなら、それらは数字に変換できないからだ。
私たちは、顧客の会社が長年かけて築き上げてきた、目に見えないけれど最も重要な「中身」を無視し、自分たちの都合の良い理論という器に整形して切り取っていた。
現場を知らない人間が、現場をコントロールできると過信することの傲慢さ。私たちが売っていたのは、企業の未来ではなく、ただの洗練された「錯覚」だったのだ。
愛なき数字を回すキャリアたち
そして、そのコンサルの言葉を金科玉条のように掲げる顧客企業の「渡り鳥官僚」たちもまた、自社の本当の能力を知らないというオチがあるのだ。
大企業病だろう。
私たちの前に現れる、マーケティングに携わる彼らは、自動車会社にいながら、自動車を作ったことがない人間たちだ。
工場の油の匂いも、ラインが止まったときの緊張感も知らない。彼らにとって重要なのは、四半期ごとの決算書の見栄えであり、株主へのプレゼンテーションの成功だ。
本当の能力とは、現場の人間が持つ技術であり、誇りであり、受け継がれてきた伝統そのものである。それを理解できない彼らは、伝統を「コストがかかる古い遺物」と切り捨てる。
器を作る苦しみを知らないからこそ、先人が何十年もかけて磨き上げてきた伝統という器を、利益率の改善という一瞬の快楽のために、簡単に壊すことができるのだ。
彼らの頭脳は確かにシャープだが、その内実には、自社のアセットに対する「愛」が決定的に欠落していた。
作らぬ者が伝統を壊すとき
ものづくりにおいて、器とは一朝一夕でできるものではない。
それは、何代にもわたって作り続け、磨き続け、変え続けていく終わりのないプロセスそのものだ。スカイラインという器もそうだった。
時代に合わせて形を変えながらも、その根底にある「走りへの執念」という中身を絶やさぬよう、バトンを繋いできた。
それを、器を作ったこともない人間たちが、マーケティングの流行り言葉で「うなぎのタレを捨てる」などと軽々しく表現する。
その言葉の軽薄さに、私はどうしても耐えられなかった。器を壊すのは一瞬だが、それをもう一度作り直すには、気の遠くなるような時間と情熱が必要になる。中身を取り繕うためだけに、器を都合よく破壊していくエリートたち。彼らの片棒を担ぐことに、私の魂はNOを突きつけた。
私は、彼らのような空虚な頭脳のゲームから完全に訣別し、本当に価値ある「器」を大切にする世界へ足を踏み出すことにした。
等身大のコンサルティング
朝のパンと家族を繋ぐ小さくも偉大な経済
現在の私は、フリーランスの個人マーケティングコンサルタントとして、大好きなパン屋さんの経営を手伝っている。
新卒から最低でも年収1000万円をもらっていた生活からすれば、収入は激変した。しかし、今の私の心は、かつてないほど満たされている。
私は昔からパンが大好きだった。過酷なコンサル時代、毎朝の1杯のコーヒーと、お気に入りのパン屋で買ったクロワッサンだけが、擦り切れそうな私を支えてくれた。
だから今、私を救ってくれたパンの世界に恩返しをしている。
個人経営のパン屋は、想像以上に過酷な現実を抱えている。早朝3時からの過酷な仕込み、小麦粉やバターの価格高騰、天候による廃棄リスク。大手コンビニとの価格競争。それでも、家族が笑顔を絶やさず、街の人々に愛されながら経営が成り立つ仕組みを、私は彼らと同じ目線で一緒に考えている。これこそが、私の頭脳と器が「ちょうどいい」関係性で噛み合っている、本当の仕事だ。
頑張りすぎないカンパーニュの思想
パン屋のコンサルティングを始める中で、私はある一人のパン職人の思想に深い感銘を受けた。
広島にある「ブーランジェリー・ドリアン」の田村陽至氏だ。
彼はかつて、数多くの種類のパンを焼き、長時間労働に追われる従来のパン屋のスタイルに疑問を持ち、店を閉めた。そしてヨーロッパでの修業を経て、薪窯で焼く「カンパーニュ」と「ブリオッシュ」のわずか数種類、それも国産の有機小麦と自然栽培の麦を使い、捨てないパン屋へとシフトしたのだ。
営業日を減らし、製造をシンプルにすることで、職人の生活を守りながら、圧倒的なクオリティのパンを届ける。
「頑張りすぎない」けれど、本物を追求する。この田村氏の思想は、まさに中身(自分たちの生きたい人生)に合わせて、器(経営の規模やスタイル)を最適化した究極の形だった。大きくすることだけが正解ではない。自分たちの身の丈に合った、美しい器の中で生きる豊かさを、私は彼から学んだ。
ブーランジェリー・ドリアンは、広島県広島市にある「捨てないパン屋」として全国的に知られるベーカリーです。3代目の田村陽至氏が営んでいます。
かつては多品種生産による長時間労働とパンの廃棄に苦しんでいましたが、ヨーロッパでの修行を機に方針を180度転換。メニューを国産有機栽培の小麦やライ麦、自家製ルヴァン種、塩、水だけで作るカンパーニュなど数種類に限定しました。
昔ながらの薪の石窯でじっくり焼き上げるパンは、噛むほどに旨みが広がり、日持ちが良いのが特徴です。工程を簡素化して不要な「手間」を省くことで、パンの廃棄ゼロ(ロスゼロ)と週休3〜4日の健やかな働き方を両立。現在はネット販売や定期購入を中心に、業界の常識を覆すサステナブルな経営モデルとして注目を集めています。
I am me. 中身にあった器で生きる
私は今、顧客である街のパン屋さんの生活に、とことん寄り添うコンサルタントでありたいと思っている。国家を揺るがすような大企業の数字を動かすのではなく、目の前で一生懸命に生きている人を、その家族を、幸せにしたい。
そんなことを考えながら、私は、自分が生まれるはるか昔、50年近く前に生産されたヴィンテージの初代ルノー5のハンドルを握り、今日もパン屋へと向かっている。
エアコンもない、パワーステアリングもない、窓を開けるには重いハンドルをよっこらしょと手で回さなければならない。現代の自動車の基準からすれば、不便極まりない骨董品だ。けれど、この車は私に「生きるということの本当の豊かさ」を毎朝教えてくれる。ここには、フランス人のリアルな日常をカタチにしたという強固な思想が、今も脈々と息づいている。不便だけれど、人間の等身大の営みに完璧にフィットしている。私にとってこれ以上ない、中身と器が一致した愛おしい相棒なのだ。
かつての私は違った。
誰もが聞いたことのあるコンサルティング会社。世界で最もスマートだと自惚れた人間たちが集まる場所にいた。「年収1000万円以上」「高学歴」「グローバルエリート」という、社会が用意した分不相応に大きくてピカピカした「器」に、自分の「頭脳」という中身を無理やり押し込もうとしていた。そして、その器の中で自分をより大きく見せるために、自分の信念を削り、血の通わない数字のゲームに没頭していた。
伝統ある商品を「グローバルセダン」という冷徹な記号に切り刻み、「うなぎのタレを捨てた」と平然と言ってのけるような仕事。あれは、優秀な頭脳たちが、自らの「器」の小ささゆえに、本質的な文化を破壊していくプロセスだった。他人の作った歪な器に自分を最適化させようとすれば、いつか人間の魂は摩耗して消えてしまう。
「頭脳と器があっていない」――それこそが、現代の多くの人が抱える不幸の正体ではないだろうか。自分の身の丈を超えた巨大な器にしがみつくことも、逆に、自分の思想が伴わないハリボテの器を誇示することも、どちらも空虚だ。
今の私は、フリーランスとして、目の前の小さなパン屋の家族が笑顔で暮らせるための仕組みを考えている。早朝から小麦粉にまみれて働く彼らの隣で、私の頭脳は、彼らの明日の生活を守るための具体的な知恵として使われている。決して世界を変えるような大仕事ではない。けれど、私という「中身」が、このパン屋のコンサルティングという「器」と、過不足なく、完璧に噛み合っている実感がある。これこそが本当の調和であり、幸せの形なのだと、今の私は胸を張って言える。
今頃、コンサルティング・ファーム時代の過去の同僚たちは、最新のベンツやポルシェに乗って、ステータスという名の大きすぎる器を誇示しながら、夜遅くまで終わりのない数字のゲームに追われていることだろう。
かつてはその世界がすべてだと思っていたけれど、今の私から見れば、彼らは自分の「中身」を置き去りにしたまま、器の大きさを競い合う、寂しい迷子たちに映る。どれほど高級な車に乗ろうとも、そこに「自分自身の思想」がなければ、それはただの空っぽのレジュメに過ぎない。
私は、もう誰かの作った器の大きさを羨むことはない。既存の評価基準に自分を無理やりはめ込む必要もない。安藤百福が、自分の作った中身のために新しいカップという器を創り出したように、私もまた、自分の人生に見合う器を、この手で選び、育てていく。
「I am me. 中身にあった器で生きる」
私は、私だ。この50年前のルノー5の、小気味よいエンジン音を聞きながら、私は等身大の自分のままで、愛すべき人たちの日常へ向かって走っていく。
