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終末論 総覧2:東方の宗教諸派

各宗教・宗派の終末論を総覧するシリーズの後編です。

前稿では、終末論の元祖というべき、ゾロアスター教と、3大一神教(アブラハムの宗教)であるユダヤ教、キリスト教、イスラム教の諸派を扱いました。

本稿では、イスラム教以外のイラン系の宗教、そして、インドのヒンドゥー教、仏教諸派、中国、日本の諸宗教、そして、近代神智学を扱います。

長い文章ですので、興味のあるところを選んでお読みください。




イラン系宗教


あまり知られていませんが、ゾロアスター教、イスラム教以外のイラン系の宗教の終末論についても見てみましょう。


・マニ教

マニ教は、3Cにバビロニアで生まれたマニによって興された宗教で、ミトラ信仰、ゾロアスター教、キリスト教、仏教、グノーシス主義などの影響を受けた習合的宗教です。
東方では、バクトリアで国教になり、中国では明教として独自の発達をとげました。
また、西方のキリスト教圏では、一方では、キリスト教最大の敵であるミトラス教になり、他方では、キリスト教と習合して、ボゴミル派、カタリ派になりました。
マニ教は、中国の一部を除いて、現存していません。

マニ教の終末論は、ゾロアスター教と似ていて宇宙論的ですが、善神に由来する光を物質世界から回収する最終段階に当たります。

終末には、巨大な火災が1468年間続き、これによって残っていた光が集められて天に昇ります。
「光の狩人」、あるいは「光のイエス」、「大いなる思考」と呼ばれる使者(救世主)が現われます。
その原型はミトラ神でしょう。
人間の禁欲的行為が、この宇宙的救済に直接貢献します。

一方、物質と悪魔達、闇に深く染まった魂は、球体の中に閉じ込められて、捨てられます。
つまり、終末とは、世界の完成ではなく、光と物質世界の完全な分離を意味します。
この点で、すべてが浄化されるゾロアスター教と違って、グノーシス主義的な徹底した二元論の宇宙論です。


・ヤジディ教

ヤジディ教は、12Cにイラク北部で生まれた、クルド人などが信仰する宗教で、現在、100万人程度の信者が存在します。
ミトラ信仰が独自の発展をとげた現存する宗教という点で興味深いので取り上げます。

詳細がはっきりしない、あるいは、揺れ幅があるのですが、終末には、災害や迫害が起こった後、筆頭天使のマラク・タウス(孔雀天使、ミトラ神が原型)がすべての悪を完全に克服します。

ただし、悪は実体的存在ではなく、無知や逸脱にすぎず、終末には消滅します。
同じミトラ信仰をもとにしながら、マニ教のようなグノーシス的傾向がなく、また、ゾロスター教のような善悪二元論的傾向が少ないので、よりイランの伝統的な宗教に近いのかもしれません。

その後、復活と審判が行われ、良い魂は神に帰還します。
ヤジディ教は、マニ教と同様に、輪廻思想を受け入れているので、終末は輪廻の最終局面です。


・バハイ教

バハイ教は、19Cにイランでバハオラを開祖として生まれた新しい宗教です。
12イマーム派をルーツにして、ハーブ教から発展した宗教で、全世界で700万人ほどの信者を抱える、信者数で世界トップ10に入る宗教です。

その終末論の特徴は、宗教的「周期」の完成と見なすことです。
つまり、段階的で発展する時間構造があり、バハ-ウッラーは、モーゼやイエス、ムハンマド、ハーブに続く「神の顕現」とされます。

最後の「預言者」がムハンマドであり、その預言の内的な意味を明かすのが「イマーム(立つ者)」です。
そして、イマームへの入口を開くのが「ハーブ(門)」であり、ハーブが預言した「神の顕現」がバハーウッラーです。
「神の顕現」は、預言者を含む広義の概念です。

この「周期」の考えは、イスラム教イスマーイール派に近く、その影響を受けたものでしょうが、バハ-ウッラーが何周期目かということを数えません。

そして、1000年後までには、新たな「神の顕現」が現れ、「周期」は永遠に続くとします。

バハ-ウッラーによる新しい「周期」の最後(終末)には、人類の成熟とともに、世界の政治的・宗教的統一がなされます。

そして、復活は、肉体による復活ではなく、霊的覚醒のことであり、審判は、死後に神の現前において自己の状態を理解することと解釈されます。
イスマーイール派に似た霊的・象徴的解釈です。 

ちなみに、バハーウッラーは、オスマン帝国によってイスラエルのアッコに幽閉され、この地で亡くなりました。
そのため、ここが聖地となり、現在でもイスラエル領内にバハイ教の中心が置かれています。
イラン系宗教の本拠地がイスラエルにあるというのは、不思議なものです。


インド


インドのヒンドゥー教や仏教には、多重の周期的な時間構造の終末論があります。
この点で、イラン系宗教の終末論とは異なるのですが、救世主や最終戦争のテーマなどの点で、イラン系終末論の影響を受けていると推測されます。


・ヒンドゥー教(ヴィシュヌ・プラーナ)

最も体系化された終末論が記されていると思われる、ヒンドゥー教の「ヴィシュヌ・プラーナ」(4-5C)の宇宙論では、多重の周期的生滅が語られます。
ですから、それぞれのスケールでの終末が存在します。

1マハー・ユガ(432万年)の周期で、「地上の秩序」が生滅します。
秩序が最も衰退するカリ・ユガ期(末法期)には、ヴェーダの教えが廃れますが、この時期の最後には、「7聖仙(サプタリシ)」と、ヴィシュヌ神の化身で、白馬に乗った救世の英雄「カルキ」がシャンバラに生まれて、世界の秩序を更新・復活させます。

「白馬に乗った救世主」という表現は、「ヨハネ黙示録」と共通しますが、おそらく、原典はイラン系の宗教でしょう。
「ヴィシュヌ・プラーナ」は、救世主のテーマでイラン系の終末論の影響を受けたものの、周期的時間構造の宇宙論を維持しています。
ですから、復活や最後の審判の要素もありません。

この「地上の秩序」の生滅が1000回繰り返されるのが、ブラフマー神の一日(1カルパ)に当たり、この周期で「形ある宇宙」は生滅します。
その間に、14人の「マヌ(人間の祖)」が現れて地上を統治します。

さらに、72000カルパが、ブラフマー神の一生に当たり、これがヴィシュヌ神の一日に当たります。
この周期で「素材としての宇宙」が生滅して、眠りにつくヴィシュヌ神の中に吸収されます。


・部派仏教(倶舎論)

仏教の部派仏教の説一切有部の「倶舎論」(5-6C)に記された宇宙論は、上記した「ヴィシュヌ・プラーナ」の宇宙論にそっくりで、多重の周期的生滅が語られます。

ですが、生滅するのは宇宙の下層だけです。
どの層まで生滅するかによって、その規模は3段階あって、3重に生滅が繰り返されます。
そして文化の盛衰を入れると4重の生滅になります。

文化の盛衰は、「1劫」ごとに起こります。
各劫には千人の仏が出現します。
現在の劫では、釈迦が4番目の仏で、次の仏は弥勒です。
部派仏教では、それは5億7600万年後に現れるとされることが多いようです。(大乗仏教では56億7000万年後)


・密教(カーラチャクラ・タントラ)

インド仏教最後の経典である「時輪経(カーラチャクラ・タントラ」(10-11C)は、イスラム教の支配下の中央アジアか西北インドで、パルシー教やイスマーイール・パミール派の影響を受けた、イラン系の人間によって書かれたと推測されています。

この経典は、初代「カルキ」であり、インドの北方の国シャンバラの王であるヤシャスが書いたとされています。

この経典が語る終末論では、外道を信じる者が、シャンバラ以外の地で仏教を排していきます。(カリ・ユガ期、末法期に当たります)
そして、バルバラの王が世界を征服し、仏教・ヒンドゥー教の聖地を破壊します。
バルバラがシャンバラに攻めて来ますが(西暦で2327年と解釈されている)、25代「カルキ」のシャンバラ王ラウドラチャクリンが、白馬に乗って戦い、勝利します。

その後は、カルキが世界を統治し、仏教の教えが広まって、地上は1800年の黄金時代に入ります。
ですが、これは、周期的終末の一つです。

当時においては、バルバラ王はイスラム教の王を想定していたハズですが、現代では、この終末論は、物質主義の煩悩との戦いとして解釈されます。


中国


・道教(霊宝派)

道教の各派では、おそらく仏教から影響を受けて、仏教に類する周期的時間軸による終末論が生まれました。
ここには、中国固有の王朝交代に関わる天命説も影響しているでしょう。
他方で、中国にはイラン系宗教(明教、祆教)も伝道されているので、その影響もあります。

終末論の詳細は各派によって異なります。
最も体系化された終末論も持つのは東晋〜南北朝期に成立した霊宝派です。

霊宝派によれば、世界は複数の「劫」を経て進行し、各段階で天地の崩壊、大規模な死滅、選ばれた者の救済が起こります。
救済されるのは、霊宝経を受け、儀礼に参加した者です。

人格的救世主も、復活も存在しません。
終末は、宇宙的ルール、官僚的な神々、教団的制度によって進行します。


・明教

マニ教(明教)は中国に伝導され、唐代に弾圧され、潜伏し、仏教や道教、民間宗教と習合しながら独自の発展をとげました。
その特徴は、王朝打倒の革命思想と結びついていて、政治的、現世的になったことです。
特に、北宋末、元末には影響力を持ちました。

その終末論のストーリーは、現在は闇が支配する「闇の劫」の時代に当たるが、まもなく「明王」が民間から現れて、闇の支配者である現王朝との終末的戦争でそれを打倒し、光明が支配する世界になる、というものです。

中国化していてもマニ教なので、大きな時間軸では、直線的な発展(復活)・最終的なタイプの終末論です。


・白蓮教

「白蓮教」は、清朝が革命思想を持つ一連の民間宗教結社を “総称” して禁教としたものです。
弥勒下生信仰を核としながら、明教、ミトラ教など、多数の宗教・信仰を折衷しているのが特徴です。

白蓮教は明教と同様、王朝打倒の革命思想と結びついた政治的、現世的な性質を持ちます。
元末に起こった紅巾の乱は、白蓮教徒を中心にした反乱でした。
そして、この紅巾軍から頭角を現した朱元璋が興した王朝の「明」の命名には、白蓮教や明教における「光」の概念が関係しているという説もあります。

白蓮教では、終末の救世主を「弥勒」、「白仏」、「白仏明王」、「弥勒明王」などと呼びます。
その性質は、弥勒菩薩というより、ミトラ神でしょう。

そして、復活はなく、審判は事実上、信徒であることによる生き残りと、死後の救済です。

白蓮教の終末論は、ミトラ信仰の影響があるとは言え、ルーツが弥勒下生信仰であり、中国的な革命思想も強いため、周期的・堕落的なタイプに属します。


日本


・鎌倉仏教

日本では、平安末期から鎌倉時代にかけて、仏教の「末法思想」が流行りました。
「末法思想」は、仏教の終末論の東アジア的形態です。

これは、釈迦滅後の500年は正しい教えが伝わる「正法」の時代、次の1000年は悟りを得るものがいなくなる「像法」の時代、その後は修行も失われる「末法」の時代が1万年続き、教えも失われる「滅法」の時代になる、という終末論です。
この三時の教えは、5C頃に中国で書かれたと推測される「大乗涅槃経」などに説かれます。

当時の日本では、1052年に「末法」の時代に入ったと解釈されました。

その影響もあって、鎌倉時代以降の新仏教では、旧仏教のような複雑な修行法によって悟りを得ることを目指すことはあきらめ、簡単な念仏などに絞って、浄土に行くことを目指す、浄土系、念仏系の仏教が興隆しました。


・富士講

富士講は、食行身禄(1671-1733)という富士山の行者がきっかけになって生まれた富士山信仰で、独自の終末論を持ちます。

この富士講に由来する富士信仰は、江戸庶民の間で大きな信仰となり、江戸には多数の「富士塚」と呼ばれる小さな富士山を模した小山が作られ、聖地になりました。
現在でも、約50基前後が残っていて、中でも品川神社の富士塚は15mほどの大きさで有名です。
また、富士講は、明治期には神道化して、実行教、扶桑教、丸山教などの教派神道に発展しました。

富士講では、元禄元年(1688年)に、富士山の神である仙元大菩薩が統治する「みろくの御世」になったとします。
つまり、すでに終末後になったという認識であり、それに気づいて参加することを説きます。
ですが、政治的な世直し志向は弱く、道徳を説くことが中心でした。

遠い未来ではない「弥勒の世」という観念は、日本にすでに存在していました。
戦国時代から安土桃山時代にかけて、関東を中心に「弥勒」の私年号が使われたり、鹿島を中心に「弥勒踊り」、「弥勒の船」などを特徴とする弥勒信仰が広がりました。
ですが、そこには終末論や革命思想といった側面は認められませんでした。

富士講の終末論の時間構造は、シンプルな平坦・最終的なタイプでしょう。


・大本教

大本教(皇道大本、大本)の開祖の出口ナオは、明治25年、艮の金神が神懸かり、「三千世界の立替え」によって「艮の金神の世」が来ることを伝えました。
これは後に「みろくの世」と呼ばれるようになりました。
「みろくの神」は、大本の聖師である出口王仁三郎に懸かった神でもあります。

「立替え」は今からということなので、富士講の考えと似ていますが、政治的な革命的傾向を持ったため、政府によって弾圧されました。

出口王仁三郎が書いた「霊界物語」などで語られる大本の神話には、聖書やひょっとしたらゾロスター教の影響があると思われる終末論的テーマが含まれています。
それに、日本の神話や仏教の弥勒信仰の影響もあります。
ですがそこには、大本に独自な「隠遁神話」という特徴もあります。

「みろくの世」は、隠退させられていた神の「艮の金神」こと「大国常立尊」が復帰して作る理想の国です。
そして、贖罪を負って隠退していた神の「素戔嗚尊」=「弥勒の大神」(贖罪のイエスに対応)と「伊都能姫」(再臨するイエスに対応)が救世主として国作りを助けます。

悪い神によって、悪神であると貶められていた善神の統治が復活するのです。
これが大本神話の独自性です。

「みろくの世」の手前では、「黄金時代」、「白銀時代」、「赤銅時代」、「黒鉄時代」、「泥土時代」という五時代を経て、世界が徐々に悪化します。
この金属の種類で命名された時代区分で堕落が進み、その後に更新があるとい点では、ゾロアスター教と共通します。

復活や審判に直接対応するものはありませんが、イスマーイール派のような、霊的覚醒や霊的位階としての象徴的対応は存在します。

また、「みろくの世」への立替えは、最終的なものとは書かれておらず、宇宙の発展の一段階と捉えるべきものです。
つまり、段階的・継続的な時間構造があるので、この点ではバハイ教の終末論と似ています。


神智学


近代の神智学は、ロシア出身のブラバツキー夫人が1875年にニューヨークで設立した「神智学協会」の思想です。
神智学はその後の、世界の神秘主義思想に絶大な影響を与え、エジソンや進化論のウォレス、芸術家のカンディンスキー、鈴木大拙らにも影響を与えました。
また、シュタイナーの人智学、アリス・ベイリーら多数の分派を生み出しました。

ブラバツキー夫人の『シークレット・ドクトリン』などに記された宇宙論は、インドの「ヴィシュヌ・プラーナ」や、イラン系宗教(特に、ミトラ系秘教)の影響を大きく受けていて、そこに進化論も取り入れています。

神智学の宇宙論はとても複雑なので、ここでは詳しく紹介できませんが、宇宙は多重的、周期的に生滅します。

宇宙の中の太陽系の地球に関して言えば、その時間軸は「地球進化系」と呼ばれます。
その時間の中には、7つの「惑星連鎖」があり、さらにその中に7つの「ラウンド」があり、さらにその中に7つの「天体期」があり、さらにその中に7つの「根幹人種」の時代があり、さらにその中に7つの「亜人類」の文化期があります。

この進化系には、物質的世界だけの話ではなく、霊的次元から下降(逆進化)し、折り返して上昇(進化)する全体が含まれます。

これらのそれぞれのスケールでの終末が存在します。

神智学は、直接的に、復活や審判に相当する出来事は認めませんが、イスマーイール派が行ったような霊的・象徴的な解釈による対応は考えることができます。

また、神智学において救世主に対応する存在は「世界教師」と呼ばれます。
定期的に現れるわけではありませんが、ある程度、文化期と対応して現れる傾向があります。
イエスを器にしたキリスト意識や、弥勒菩薩は、この「世界教師」です。

神智学は科学的、学問的な組織とされていたのですが、ブラバツキー夫人なき後のインドの神智学協会(アディヤール派)は、クリシュナムルティが「世界教師」の器であるとして、メシア信仰を核にした「東方の星教団」を設立しました。
クリシュナムルティ自身、一時は、自分が「世界教師」であると認めるような発言をしたのですが、後にこれを否定して、教団を解散させました。


ちなみに、神智学教から独立したルドルフ・シュタイナーの人智学も、神智学の宇宙論をベースに、独自に・霊視・再解釈した宇宙論を説きます。
ですが、彼は霊的原理としてのキリストを重視し、「世界教師」や未来に現れる人間としてのメシア的存在は語りませんでした。


*タイトル画像は、AI生成した弥勒半跏思惟像の仏画


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