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​人工の神話 ―― 文化的カノンが埋める「魂の空白」|第9回

ホワイトアウトする物語 ―― 「意味」という名の凍死

こんにちは、高坂陽です。
「世界で最も成功した社会モデル」と謳われたこの国を紐解くと、ふと、ある種の「不気味な清潔感」に肌が粟立つことがあります。ゴミ一つ落ちていない歩道、完璧に時間通りに運行される地下鉄、そして、スマホの画面越しに「最適化された日常」を享受する、美しく知的な人々。

​でも、その完璧な風景の裏側で、今、スウェーデンという国家の「心臓部」からは、聞いたこともないような悲鳴が上がっています。それは、物理的な破壊の音ではなく、巨大な社会システムが「定義されていないエラー」に直面して、静かにフリーズしていく時の、絶望的な沈黙です。

​スウェーデンが2024年にNATOに加盟し、200年の「武装中立」というプライドを質に入れて手に入れたのは、単なる軍事的な保険ではありませんでした。それは、「自分たちの軍事力だけでは、もう守りきれない」という、国家としての敗北宣言だったのです。

​そして、同時に敗北したのは「スウェーデンの国家の物語」です。
「なぜ、私が戦わなければならないのか?」

​徴兵制が復活し、デジタル召喚状を受け取った若者たちがSNSで放つこの問いは、あまりに合理的で、あまりに正論です。スウェーデンが20世紀を通じて作り上げた「国家個人主義」という最強の社会システムは、家族や地域といった「不条理な絆」をデバッグし、個人をあらゆる束縛から解放しました。でも、その究極の自由の果てに待っていたのは、「自分という存在を、何かに捧げる理由」を完全に失ってしまった、空っぽの魂だったのです。

​今のスウェーデン人は、清潔な部屋で、最高の福祉に守られながら、「意味」という名の防寒着を持たずに、極北の精神的なホワイトアウト(視界ゼロの状態)の中に立たされています。

​捏造される根っこ ―― 文化的カノンという「精神的ドーピング」

​皮肉なことに、この「文化的カノン」策定の最前線に担ぎ出されているのは、かつてスウェーデンを「国家個人主義」という名の、世界で最も孤独で合理的なシステムへと導いたラーシュ・トレガードをはじめとする理論家たち、その人です。彼らは数十年前、家族や地域といった「不条理な絆」を個人の自由を阻むバグとして排除し、国家と個人が直結する「究極の自立」を設計しました。

​しかし、その設計図通りに「しがらみ」をすべてデバッグした結果、残ったのは何者でもない、ただの「機能的な市民」という虚無でした。今、彼らはその空っぽの器を埋めるために、自分たちがかつて焼き払ったはずの「伝統」や「物語」を、政府公認のドーピングとして調合し直しています。自ら根っこを切り刻んだ庭師が、今度はプラスチック製の造花を植え、「これが我々のアイデンティティだ」と説く。この自作自演の救済劇こそ、スウェーデンという理性の城が陥った、笑えない喜劇の極致なのです。

​その、捏造された「正典」の正体を、字義どおりに解剖してみましょう。

カノン(Kulturkanon):それは、スウェーデン政府が処方する「精神の骨格」である。​

1.宗教的階層(正典): > 本来は聖書のように「疑うことの許されない絶対基準」。スウェーデンは、自ら焼き払った神の代わりに、役所が選んだ物語を「聖域」に据えようとしている。
2.​文化的階層(古典): > シェイクスピアや源氏物語のように、数百年かけて結晶化した「共通言語」。彼らはこの時間の堆積をショートカットし、人工的な「教養の壁」を突貫工事で築き上げようとしている。
3. 音楽的階層(追復曲): > 一つの旋律を全員がなぞる形式。これは「同一性の反復」への祈りだ。バラバラになった個人を、無理やり一つのメロディ(国家の価値観)で歌わせようとする、合奏の強要である。

ーーそれは「伝統」の不在を埋めるために、無理やり血管に流し込まれた「人工の神話」という名のドーピングに他ならない。

​「スウェーデン人ならこれを読め、これを聴け、これを知っておけ」という、文化の正典リスト。それは、政府が主導して「スウェーデン人としての共通言語、アイデンティティー」を人工的に作ろうという、壮大なアイデンティティの養殖事業です。

​一人の市井のエッセイストとして言わせてもらえば、これは「歴史に対する冒涜であり、あまりに無残な悪あがき」です。

​ビスマルクが鉄兜を卓上に叩きつけて笑う声が聞こえませんか?

Otto, Fürst von Bismarck-Schönhausen geb. Schönhausen 1.4.1815; gest. Friedrichsruh 30.7.1898. Wikipedia

「国家の物語とは、役所の会議室で策定されるリストではない。鉄(軍事)と血(情念)が混じり合い、共通の敵と対峙し、共に泥を啜り、数世代にわたって語り継がれる中で、結晶化する『呪い』にも似た確信だ。言葉が国を作るのではない。事績が国を作るのだ」と。

​日本における「昔ばなし」や「古事記」、あるいは「皇室」という存在。それらは、政府が「これを信じろ」と言ったから残っているわけではありません。私たちの血肉の中に、理屈以前の「不条理な根っこ」として先祖代々植え付けられてきたものです。だからこそ、劣勢になっても、計算が合わなくなっても、私たちは「それでも」と立ち上がれる。マキアベリが冷笑した通り、民衆を「震え」させることもできない「正しい文化」など、有事においては何の強制力も持ち得ないのです。

​マンネルハイムとチュイコフ ―― 情念という名の防衛線

​ここで、スウェーデンの隣国フィンランドの英雄マンネルハイムを召喚せねばなりません。彼は雪原の中で圧倒的なロシアを迎え撃ち、不屈の精神シス(Sisu)を体現しました。彼はこう断じました。「防衛の核心は兵器の性能ではない。一人の兵士が、愛する土地と物語のために、どれだけ絶望的な状況で踏みとどまれるか。その一点にある」と。(ネット民が大好きシモ・ヘイヘを思い出してください)

Mannerheim som general vid kavalleriet i Finlands armé 1919. Wikipedia

​さらに残酷な視点として、ロシアの地獄を体現したワシーリー・チュイコフを挙げます。スターリングラードの廃墟で、彼は部下に「一歩も退くな」と命じ、泥を啜らせて戦わせました。

Маршал Советского Союза, дважды Герой Советского Союза Василий Иванович Чуйков Wikipedia

彼がスウェーデンの「ターミネーター」たちを見たら、鼻で笑うでしょう。

「計算機が『生存率0%』と弾き出した時、お前たちはどうする? 俺の部下たちは、計算機など持っていなかった。持っていたのは、母なる大地を汚す奴らへの、理屈抜きの『情念』だけだ」と。

​スウェーデン関連の資料を読むうちに私が思ったのは、スウェーデン軍は「劣勢になった時にボロが出る」のではないか、ということです。チュイコフはその「ボロ」を突く戦い方のプロです。人工的な「カノン」を配布されただけの兵士たちが、果たしてチュイコフの「情念の塊」に抗えるでしょうか。

​栗林忠道の「合理的絶望」 ―― ターミネーターの完成形

​そして今、私はこの連載の「真の結び」として、一人の日本人の名を刻まねばなりません。硫黄島の守備隊を率いた栗林忠道中将です。

栗林忠道陸軍中将。写真は留守第二近衛師団長時代のもの。Wikipedia

​栗林中将こそは、スウェーデンが理想とする「冷徹な合理性」と、日本が秘める「不条理な情念」を、一つの肉体に最も完璧に同居させた男でした。

彼は硫黄島において、それまでの日本軍の「バンザイ突撃」という情緒的な戦術を徹底的に禁止しました。代わりに彼が構築したのは、地下に張り巡らされた巨大な要塞網であり、「一人で敵十人を倒すまで死ぬな」という、狂気すらも数値化した究極の合理的防衛システムでした。

​米軍は、これまでの日本軍を「狂信的な集団」として見ていましたが、栗林率いる硫黄島の兵士たちに直面して、初めて「理解不能な恐怖」を味わいました。そこにあったのは、無感情な「防御マシーン」としての冷徹さと、それを根底で支える「本土の家族を守る」という、理屈を超えた強烈な情念の融合だったからです。

​スウェーデンの特殊部隊(SOG)が目指すべき「ターミネーター」の完成形は、実はこの栗林中将の中にあります。しかし、決定的な違いがあります。栗林中将を支えたのは、政府が配った「カノンのリスト」ではなく、「自分が死んでも、この物語(日本)を終わらせない」という、あまりに非合理で、あまりに重い、歴史という名のワイヤーでした。

​栗林中将のような「合理的な絶望」に耐えられる精神の骨格。それを持たぬスウェーデンのターミネーターは、計算機が「敗北」を弾き出した瞬間、ただの「機能不全の残骸」に成り下がるのではないでしょうか。

​三島由紀夫という「毒」 ―― 捨て去られた情念の逆襲

​ここで、三島由紀夫の割腹自決が、スウェーデンの「意味の空白」に対する究極のカウンターとして立ち現れます。1970年、三島は戦後の日本が「無機的で、からっぽで、ニュートラルな経済大国」になることを予言し、それを拒絶するために腹を切り裂きました。(とはいえ、正直、私はなぜ三島由紀夫が割腹自決までしたのかは理解できません…が、伝えたいことは理解できます)

​これこそが、今のスウェーデンが必死に「カノン」で偽造しようとして、決して手に入れられない「剥き出しの物語」です。

​三島が説いた『文化防衛論』において、天皇とはシステムではなく「文化の全体性」を支える装置でした。スウェーデンが「ヤンテの掟」で去勢した「目立つこと」「誇ること」「死ぬこと」というタブーを、三島はわざわざ血塗られた美学として再定義し、日本のシステムに消去不能な神話として上書きしました。理屈を焼き尽くす情念だけが、極限状態において国家を支えるという、文明人が忘れたがっている残酷な真実を、彼は自らの血で記述したのです。

​NATOという名の「外部委託」された死生観

​自国の「物語」が破綻していることを、スウェーデンのエリート層はとっくに気づいています。だからこそ、彼らは200年守り続けた「自力で武装するプライド」を捨て、NATOという巨大なシステムに飛び込みました。

​マキアベリが、冷淡な眼差しでこう評するでしょう。「他人の武力に依存する者は、自らの破滅を契約したに等しい」と。

スウェーデンは、国防という「国家の核」を(自前の軍事を保持したままとはいえ)NATOという外部組織に委託しました。これにより、「自分たちは何のために戦うのか」という問いから、一時的に逃げ出すことに成功したのです。

​でも、ビスマルクはこう喝破しています。同盟とは「国家間の条約は、それが自国の利益に合致している間だけ守られる」。トランプ的な孤立主義が吹き荒れたとき、この問いが叫ばれます。「自分の国を、自分の物語で守る意志のない奴らを、なぜ我々の若者が血を流して救わねばならないのか?」

その時、スウェーデンが積み上げた「人工の盾(NATO+スウェーデンの社会システム+カノン)」は、一瞬で溶けてなくなります。彼らは「生存の権利」を、他国の「政治的都合」という不確かな場所へ移してしまったのです。

​ひとまずの結末 ―― 私たちの「不条理」を研ぎ直すために

​全9回にわたるこの長いスウェーデンの構造を理解する作業を終えて、今、私は日本の湿った空気の中に立っています。

​ファッションフェミが憧れた「天国」の正体は、家族を解体し、個人を孤立させ、魂を去勢した末に辿り着いた、「熱のない飼育箱」でした。

合理主義者が崇めた「最強のシステム」の正体は、計算機が壊れた瞬間に瓦解する、「意味の空白(ホワイトアウト)」でした。

​スウェーデンの迷走は、私たち日本人が「古いバグ」だと思って捨てようとしているもの、あるいは「それこそが大事」として守ろうとしているもの——「皇室」「伝統」「三島的な不条理」、そして栗林中将が体現した「合理的絶望の背後にある情念」——がいかに最強の「心の要塞」であったかを、逆説的に証明しています。

​マキアベリ、ビスマルク、マンネルハイム、チュイコフ、三島由紀夫、そして栗林忠道。

彼ら歴史の巨人たちが共通して語ったのは、「国家を動かすのは理性ではなく、理屈を超えた情念である」という残酷な真実でした。

​スウェーデンは今、その真実を「文化的カノン」という人工の精神的ドーピングで偽装しようとしています。でも、私たちはまだ、自分たちの足元に「本物の、天然の根っこ」を、辛うじて持っています。

​「スウェーデンは終わってる」と吐き捨てるのは簡単です。

でも、その言葉の半分を、自分たちの足元に向けてみてください。

生存とは、単に肉体が残ることではありません。何を信じて、何のために引き金を引けるか。その「物語の強度」のことなのです。

この物語を読み終えたあなたの心に、今、どんな「カノン」が響いていますか?

スウェーデンの「人工の神話」が砕け散る音を聞きながら、私たちは、私たちの「不条理な誇り」を、もう一度研ぎ直すべき時が来ている。

​それが、この長いスウェーデンの解剖の最後の一行です。


☕ 思考のブレンド(今回の参考資料)

本書は、鉄血宰相ビスマルクが残した書簡と演説を収録した翻訳版で、彼の冷徹な戦略眼と雄弁な語り口が存分に伝えられる。ドイツ統一を成し遂げ、国家建設の礎を築いたビスマルクは、政治家としての実務的手腕のみならず、内面に秘めた国家理念や理想も示している。彼の文筆は、現実感に基づく冷静さと、時に燃えるような情熱が交錯し、単なる記録以上の思想的深みを有する。本書は、ドイツ史研究や政治思想に興味を持つ読者に、ビスマルクの真実と策略を垣間見せ、今日の社会においても多くの示唆を与える意義深い史料である

アンドリュー・ロバーツが書いた第二次大戦史の決定版。彼は「なぜナチスは負けたのか」を戦略的・合理的に分析する名手です。

アントニー・ビーヴァーによって、チュイコフのスターリングラードでの凄絶な指揮や、ソ連軍の「情念」のリアリズムが丹念に紐解いています。

絶海の孤島・硫黄島で、総指揮官は何を思い、いかに戦ったのか……。
妻子を気遣う41通の手紙。
死にゆく将兵を「散るぞ悲しき」とうたった帝国軍人らしからぬ辞世。
玉砕という美学を拒み、最期まで部下と行動を共にした指揮官のぎりぎりの胸中に迫る。いま、日本人を考えるための必読書。
圧倒的評価を受けた、大宅壮一ノンフィクション賞受賞作。

日本の近代化とともに形成された官僚制の暗部と一家の系譜を丹念にたどり、三島文学の成り立ちと衝撃の自死までの道程を明らかにする画期的評伝。


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