ルーツ旅【京都・山城地域➉後日談】自分に与えられた環境と役割を受け入れるということ
おじと別れたあと、またあの占い師がいるホテルに泊まりました。私が奈良の実家に帰省する際、なぜいつもホテルに泊まるのかというと、私にとって、実家は安心して眠れる場所ではないからです。寝ている間になにが起こるかわからないので、少なくとも、娘を連れているときは実家に泊まらないようにしています。

ちょっと殺伐とした内容になるので、奈良で撮影した写真を入れておきます。これは春日大社のそばにいた小鹿です。かわいいですね。
▼大きな蛇がからみつく木
久しぶりの実家で、片づけや庭の草むしりに追われているうちに、あっという間に夕方になりました。そろそろ帰ろうと思い、私が荷物をまとめていると、姉が部屋に入ってきました。
「もう帰るの?」
「うん。明日、東京で用事があるから」
「そう。……実は最近、困ってることがあるんだけど」
「なに?」
私が尋ねると、姉は眉間にしわを寄せ、顔を近づけました。
「蛇が家をはいまわっているの。こないだなんか、私の頭に緑色の蛇が乗っかって。あわてて振り落としたけど、もう怖くて怖くて……。なんとかしてくれない?」
私は驚いて、姉の顔を見つめました。
実は、姉がおかしなことを言うのは昔からで、もう慣れっこになっています。でも、これまで姉が言ったのは、「他人に悪口を言われている」とか「私は将来〇〇と結婚する」とか人間についての話ばかりで、蛇などの動物については言ったことがありません。だから驚いたのです。
姉が続けます。
「玄関にある木も、葉っぱがぼうぼうで、大きな蛇がからみついているから、なんとかして。いっそのこと、枝を全部切り落としてくれない?」
「……はいはい、今度見ておくから」
私はコートを着ながら、適当に答えました。大体、この家のまわりで蛇なんて、一度も見かけたことがないのです。

春日大社のそばにある、万葉植物園の藤の花。きれいです。
▼自分に与えられた環境と役割を受け止める
もうお分かりのように、私の姉は、精神的な障がいを持っています。ずっと両親が世話をしていましたが、亡くなったあとは障害年金を受けながら、訪問看護師さんやヘルパーさんのサポートを受けて、実家で暮らしています。
姉は、高校生のときにいじめを受けて不登校になり、両親が無理やり学校に行かせようとするうちに、精神的に不安定になりました。世間体を気にする両親が、数年後ようやく姉を病院に連れて行ったときには、もう相当病状が進んでしまっていました。
いや本当に、世間体って何なんでしょうね。よくわかりませんが、精神病に対する偏見が強かった時代のせいもあるのでしょうか。
私は中高の6年間、大騒ぎする姉の隣の部屋で過ごすのはなかなか精神的にキツいものがありましたが、早く家を出ようと思って勉強を頑張ったため、希望の大学に合格して家を出ました。
その後の人生はそれなりに順調で、幸せに暮らしているので、あの時、家を出て良かったなあと思います。姉のことで色々と大変なこともありましたが、今では私の人生に必要なことだったんだと、前向きに受け止めています。
もちろん、何の問題もないのが一番ですが、どんな家庭にも、それなりの問題があるものです。
親が認知症や寝たきりだったり、兄弟が引きこもりだったり、配偶者がDVやアルコール依存症だったり。その中には、解決できる問題もあれば、できない問題もあるでしょう。
うちの場合、姉が病気になったことは私が解決できる問題ではないので、受け入れるしかありません。
幸い、姉は自分のことは自分でできるし、他人に暴力を振るったり、お酒を飲んで暴れるわけでもないので、そういう意味では安心していられます。ただ、気分が不安定な時は大声を出すので、家の窓ガラスを防音にするなどの対策は取っています。
私には私の生活があり、一緒に暮らすことはできません。ただ、行政とのやりとりや生活上の細々したことなど、姉が安心して暮らせるようにサポートするのが私の役割だと思っています。

私が子どもの頃、平城旧跡はただの原っぱでしたが、今ではこんな立派な建物(第一次大極殿)が建っています。
▼それでも、何か納得できる理由がほしい
うちの実家はこのほかにも、色々と普通じゃないことがありました。親を亡くした親戚の子どもを2人引き取って暮らしていたこともあり、特に母は大変だっただろうなぁ。
あまりにも色々とあったので、姉はよく、「うちの家は呪われている」と言っていましたが、私はそんな風に思ったことがありません。
病気は病気にすぎないし、環境は環境にすぎません。
そこに運や不運はなく、何かの呪いでもありません。もちろん、姉も私も悪くありません。
私がこの家に、この環境に生まれたことはどうしようもない、いわゆる宿命みたいなものです。そのことを恨んでも仕方がないし、そこからどう生きるかは私次第です。
私がルーツ探しを始めたときも、決して、「先祖がなにか悪いことをしたから実家がこうなったんだ」(因果応報)とは思わなかったし、それは今でも変わりません。
ただ、私はずっと、心の底に引っかかっていました。
なぜ姉はこんな病気になったんだろうと、どうしても考えてしまうのです。
もちろん、ハッキリした答えがないことはわかっています。それは、100人に1人が発症する、ありふれた病気だからです。また、遺伝で100%発症するような病気ではないので、普通はその人自身の問題にすぎません。
たとえ遺伝によるものと考えても、私の母親はとても穏やかで常識的な人だったし、父親は怒りっぽいところがあるほか、特に問題はありませんでした。
私自身、性格や考え方は多少変わっているかもしれませんが、普通に社会生活を送っている以上、病気ではないでしょう。
答えがないとわかっていても、それでも自分が納得できる理由がほしい。
おかしな話に聞こえるかもしれませんが、その願いは、ルーツ探しが進むうちに、かなえられることになりました。
それはたぶん専門家からみれば、取るに足りないことかもしれませんが、私にとっては十分、納得できるものでした。
誰のためでもない、自分自身のためのルーツ探し。私にとっては、その事実がわかっただけでも、ルーツ探しをする意味があったような気がします。
そのことについては、またおいおい書くとして、とりあえず話を先に進めましょう。
次回は、おじの家でもらった曽祖父の本にいったい何が書いてあったのか、あのQ町を案内してくれた西条さんが解明してくれます。
(⑪に続く)
※今回の見出し画像は、ミチクサさんの撮影された写真です。ありがとうございます!! とても幻想的な写真です。
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サポートありがとうございます! 近々、家系図のよくわからない部分を業者さんに現代語訳してもらおうと考えているので、サポートはその費用にあてさせていただきます。現代語訳はこのnoteで公開しますので、どうぞご期待ください。