ルーツ旅立ち前①父の死と「応仁の乱」
私が自分のルーツを探して旅に出たのは、父が亡くなる前の出来事がきっかけでした。
▼「応仁の乱が大事や」
数年前のゴールデンウィーク。私が東京から奈良の実家に帰省したときのことです。小学5年生の娘と一緒に応接間でくつろいでいると、突然、父が部屋に入ってきました。
父は当時、持病が悪化して入退院を繰り返していたのですが、少し調子が良くなって退院したばかりでした。
父は開口一番、こう言ったのです。
「応仁の乱が大事や」
……お、応仁の乱?😳
私はそれまで歴史に全く興味がなく、「応仁の乱」が何なのか、さっぱりわかりません💦
それでも、父は話し続けます。
「応仁の乱が大事なんや…………あのとき、京都と奈良の僧兵が……興福寺の……」
父は数分間、応仁の乱について熱心に話していましたが、私には何を言っているのかまったく理解できず、かろうじて覚えているのはこの言葉だけです。
▼応仁の乱の舞台は京都と奈良
私はあっけにとられましたが、何か言わなくちゃとと思い、
「えっと、応仁の乱ってどこか遠いところの話で、京都とか奈良とか関係ないんじゃなかったっけ?」
と、今思うとなんとも間抜けなことを言ってしまいました。
そう、おそらくほとんどの方はご存じでしょうが、応仁の乱って、ずばり京都が舞台なんですよね。その後奈良にも飛び火して、エラいことになったと聞きました。
父は私の発言にあきれたのか、しばらく黙り込み、
「………とにかく、応仁の乱が大事なんや」
と言い捨てて、部屋を出て行ってしまいました。
▼教養がないはずの父が初めて語った「歴史」
ここで、私の両親について少しお話します。
父は、奈良の貧乏子だくさんの家庭で育ち、中学を卒業後、祖父のあとをついで大工になりました。お酒もタバコもやらない、まじめ一徹の職人です。だから、こう言っては何ですが、父にはあまり教養がありません。
それに対し、京都の名門高校を卒業していた母に、父はコンプレックスを抱いていたようでした。
そんな両親のもとで、私は私立の中高一貫校に通わせてもらい、東京の大学を卒業しましたが、当時、父から勉強について何か言われたことは一度もありません。
そういう事情があったので、父の口から「応仁の乱」という日本史のキーワードが出てきたことが、あまりにも意外に感じられたのです。
いま思うと、その時の父のただならぬ様子から、私は、「応仁の乱がうちの家の歴史に何か関係があるんじゃないか」という予感めいたものを感じていたのかもしれません。
その後1か月ほどして父は亡くなり、それをきっかけに、私は自分のルーツを探る旅に出ることになったのです。
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