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日傘の下のサウナと、五百の私の顔

今日、外へ散歩に出た。
日傘をさして、なるべく太陽と距離を置こうとしたのだけれど、日傘の下は、なぜか「個人用サウナ」になっていた。

顔のあたりだけ湿度100%。
頭は蒸され、息はもわっとして、
気づけば眉間にしわが寄っていた。

おそらく今日の私は、とてもいい顔をしていなかった。
むしろ、
「暑さに負けた顔」だったと思う。そのとき、ふっと思い出したのが、
先日読んだ、きのころさんの「五百羅漢」の記事だった。

五百羅漢とは、悟りに至った聖者たちを表した像だという。
私は、悟った人はみんな同じように穏やかな表情をしているものだと、勝手に思っていた。
ところが、悟ったはずなのに、穏やかな顔、笑っている顔、怒っている顔、眠そうな顔まで、みんな違う顔をしているという。
その話を読んで、「悟り」と「個性」は別のものなのかもしれない、と初めて思った。

記事の中で、とりわけ心に残った一文がある。
「悟っても、顔は残るのです。」

その言葉を読んだとき、
今日の私の暑さに負けた顔と、なぜか重なった。

人は、一つの顔だけで生きているわけではない。
真面目な顔もあれば、
怠けたい顔もある。
前向きな顔もあれば、
「今日はもう無理」と言いたくなる顔もある。

一つの顔だけで生きようとすると、
どこかで苦しくなる。

でも、私の中にも五百の顔があると思えば、
暑さに負けた今日の顔も、
その中の一つなのだと思えた。

明日は、涼しい顔の私が前に出てくるかもしれない。
また今日と同じように、
暑さに負けた顔かもしれない。

でも、それでいい。

きのころさんが記事の最後に書かれていたように、
「その日その日の顔で生きていけばいい。」
その言葉を読んで、今日の自分の顔も、そのままでいいのだと気づいた。
私も、その日の顔で、その日の夏を歩いていこう。


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