あなたの人生に「予後」なんてない。――『嫌われる勇気』が教えてくれた、ライフスタイルを選ぶ自由
文筆家なら「予後が悪い」という言葉でアクセスを稼ぐなという話をこれからします。
「予後が悪い」という言葉がここ数ヶ月で急にSNSで散見されるようになったと思う。もちろん本来の意味である「病気やケガの治療後における経過や、将来的な医学的な見通し(回復や生存の見込み)が不良であること」を指す医療用語としてではなく、大体◯◯していた(された)人は予後が悪いなどという感じで使われる。今Xのオススメ欄には「予後が悪い新卒1年目の特徴は〜」「秀才と天才は秀才の方が予後も悪い」「国語が得意な人の予後が悪い」「容姿が悪いのにプライドが高いと予後が悪い」「不登校だったら予後が悪い」「親が子をコントロールしようとすると予後が悪い」「子供の頃おとなしい女児は予後悪い」予後予後予後予後……うるせえぇえ!!!!!!!!
いやマジで本来の使い方じゃなく使われる「予後が悪い」ってフレーズなんなんだ。人は全員全く違う存在で全く違う人生を歩んでいくのに、〇〇してたら予後が悪いとかってただ渦中の人の不安を煽って誰も幸せにしなくないか???人間の違いなんてグラデーションなんだから多かれ少なかれ予後は悪いし予…
— 読書家アンナ (@unexpected222) June 10, 2026
人間の違いなんてグラデーションなんだから多かれ少なかれ予後は悪いし予後は良いだろ!!!
真っ白と真っ黒の二分割ではなく、誰もがその間の曖昧なグラデーション(濃淡)を生きているのに、SNSはなぜか「あいつは一発アウト」「こっちは勝ち組」と極端な境界線を引き、他人の人生を勝手に閉じ込めようとする。言う側は「冷徹で客観的な事実を言っている風」を装いながら、現代のSNSに蔓延する「一発アウト」「手遅れ」への恐怖から逃れようとしているのだ。就職、性格、親の育て方、子供時代の振る舞い……どこかで一つの選択や属性を間違えたら、その後の人生(予後)はずっと不良のまま回復しない、というディストピア的な不安を多くの人が抱えていて、それを他人に投影し合っている。

この「予後が悪い」という呪いは、アドラー心理学が真っ向から否定した「原因論」そのものである。原因論が示しているのは「過去の環境や属性が、未来のあなたを決定づける」ということだ。そんなことあってたまるかよ、と思う。
アドラーは言う。「世界はシンプルであり、人はいつでも変われる」と。
『嫌われる勇気』を読んで、私が掴んだアドラー心理学のエッセンスは、まさに「過去は選べないが、今とこれからは選べる」という点にある。アドラー心理学では人間が持つ特有の「思考や行動の癖(人生の構え)」のことをライフスタイルと呼ぶ。
もしも、ライフスタイルが先天的に与えられたものではなく、自分で選んだものであるのなら、再び自分で選び直すことも可能なはずです。
このことを知った時、変われない自分を責められていると感じる人も少なからずいると思う。生まれ持った環境や周囲の人の影響は確かに大きい。幼い子供の頃から意識的に性格や振る舞いや価値観を選んだ人はいないだろう。それでもなお、現在の自分の選んでいるのはあなたであるというアドラーの思想は、決して万人にとって優しいものではない。しかし、私はライフスタイルという概念は人間というパンドラの箱の奥底に眠っている希望のようなものであると思っている。
実際、私はその後も、ネット上で「予後が悪い」とネタにされアクセス稼ぎに使われるような属性のいくつにも当てはまりながら生きてきた。そして、その不吉な予見からはきっと遠く離れたところで、いま、のうのうと生きている。きっと他者が私と同じ条件で生きたとしてもここにはたどり着かないし、私が他者と同じ条件で生きたとしても、全く同じ未来には行き着かないだろう。
私は高校卒業時160cm83kgあった。360度どっから見ても巨漢である。母に幼い頃から「お前はだらしない」と叱責され続けているくらい自己管理ができる人間からは遠かった。そのくせプライドが高く、明るく楽しいデブキャラになることもできなかった。恋愛もしてみたかったし、自信のある自分になりたかった。なりたいなりたいと思うばかりでどう行動したらいいかわからないなと言うだけであった。
初めて一人暮らしした部屋の近所にブックオフがあった。出かける前や帰宅時に理由もなくブックオフの店内を彷徨いた(その頃は今みたいに読書が趣味ではなかった)。ふと見上げた棚に「小悪魔になる方法(蝶々)」が置いてあった。小悪魔なんて生き方、自分の中に1ミリもなかった。自己愛に満ちて、悪戯に、気ままに、正直で、愛嬌があり、堂々としている。衝撃を受けた。普段の自分なら自身に向けて「その体型やルックスで小悪魔?」と失笑していただろう。その時の私は違った。そのまま本を購入し家で食い入るように読んだ。そして「選ぼう」と思った。アドラーのことは全く知らなかったが、確かに私は意識的に小悪魔であるライフスタイルを選んだのだった。
その次の日からミニスカートを履いた。メイクを練習した。美容室に行ってカラコンを付けた。体型はほとんど変わってないままで小悪魔になるためにやれることをやった。私は小悪魔だったから、他者とコミュニケーションとることを厭わなくなった。すると高校時代までずっとコンプレックスだった体型のまま、人生で1番モテた。人に好かれるのに美醜は関係ないんだと知った。友人とも上手に関われるようになってきた。人は堂々としている自信のある人が好きなのだと知った。なにより自分が意図して選んだ自分でいることに心地良さを感じた。
小悪魔な自分は、やがて自然に役目を終えた。自己受容が進んで小悪魔というライフスタイルはもう選ばなくても良くなったのだ。ライフスタイルを選んだという経験はその後どういう自分でありたいかを考える大きな視点となって私に残った。
私たちはつい「これが本当の自分だ」「自分はこういう人間だから」と固定化して悩み(それこそ他人に「予後」を決めつけられるように、自分でも自分を決めつけて)葛藤する。人間がフレキシブルな存在であると思うだけで、その葛藤は存在理由を失う。洋服を選び直すように自分が納得できるライフスタイルを選べばいいだけなのだ。
スーパーでの買い物の最中、急に息子がお寿司のパックを指さして言った。
「ママ、僕これ食べてみたい」
息子は今まで全く食べられなかったお寿司が、ある日突然大好物になった。数ヶ月、数日、いや数時間で昨日までの自分をあっさりと脱ぎ捨て、新しい世界へ飛び込んでいく子ども達。どんどん新しい世界を見つけ進んでいく子ども達にとって予後なんてなんの意味もない言葉である。彼らのその無限の可能性や瑞々しい生命力を前にして、「過去の環境が〜」「親の育て方が〜」などと「予後」を語り、未来を値踏みすることがいかに滑稽で、いかに無意味で、いかに狭量な大人のエゴであるか。
私たちは「〇〇だったら予後が悪い」の、その〇〇だけでできているわけじゃない。それがあなたのすべてじゃない。あなたと私とあの人は、途方もないくらい多くの多角的な違いがある。他人に予後が悪いなんて言われて、不安にならなくていい。君の行方は、君が決めるんだ。
予後なんて言葉、ぶち壊して生きていけ。
人生は過去の出来事や生まれ持った属性に縛られてはいない。それらをどう解釈し、今この瞬間をどう生きるかという「ライフスタイル」を自分で選び続けられるのだ。
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