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私が勝手に叶えたい、母を巻き込んだ夢の話

こんにちは。
私は千葉県船橋市、市川市、鎌ケ谷市で障がいのある人と暮らすグループホームや、障害のある人の働くことを支援する就労支援施設を運営している、株式会社モナミという会社の代表を務めています。

モナミが運営する障害者グループホーム

私には今、絶賛叶えたい夢があるのですが、それを語るにあたり、このモナミという会社の沿革について、まずはお話ししたいと思います。


◾️モナミの創業とパチンコ店

モナミは、1966年創業・私の祖父の代から続く、東京都中野区の鍋屋横丁(通称なべよこ)に本社を構える、2012年まで地元に根差したパチンコ店を運営してきた、実は結構歴史の長い会社です。

当時のパチンコ店モナミ

私は1983年になべよこで生まれてから小学校まで、父と母が1階でパチンコ店を、2階で喫茶店を運営し、3階に家族で住み、4階が社員食堂(元は社員寮)という、本社ビルで暮らしていました。夜10時にパチンコ店の“蛍の光”のメロディを聴きながら、兄と眠りについていたことが、今も懐かしく感じられます。


◾️父と母の、地元で愛される喫茶店

元々、私が生まれる前は、祖父がパチンコ店を1階で経営し、2階を事務所として利用していましたが、そこで父が喫茶店を初め、地元で愛される人気店になっていたとのこと。そんな折に、バイトに来た母と出会って、結婚することになったとな。
父も母も飲食店経営が大好きで、父は生前「まだ日本にスタバが無かった時代に、スタバみたいなのを自分が日本で初めてやろうとしていた」と言っていました。(絶対嘘だろ!と思っていました笑)

喫茶店 イメージ

◾️一族のために、パチンコ店の経営を継ぐ父

しかし、祖父も高齢となり、1階のパチンコ店経営が苦しくなってきた頃、一族の生活を支えるために、父がパチンコ店を継承。経営状況が芳しくないこともあり、父はパチンコ店にかかりきりに。結果、飲食店は他の兄妹に頼むこととなり、店の雰囲気がガラリと変わり、結局閉店してしまいました。

その後、父は他界する2013年までの約35年間、傾きかけたパチンコ店を立て直し、その後様々な苦境に立ちながらも、地元民に愛されるパチンコ店として、経営を続けてきました。かなり窮地に立たされ、倒産しそうになったこともあったとか、そんな時に仏壇に祈っていたら金の延べ棒が見つかって窮地を脱したとか、父の他界後に母から聞くとんでもエピソードも多々ありましたが、何不自由なく私を育ててくれた両親には、本当に感謝しています。

家のバルコニーにバルーンが登場した当時のモナミ

◾️父他界後の今のモナミと私の想い

そんなパチンコ店は、2013年に父の他界と共に閉鎖。その跡地を他のパチンコ店に賃貸することで、不動産オーナー業として母が会社を継ぎ、2020年に私がその会社を継承して、全くの異業種となる障害者グループホームの経営をスタートしました。

なぜ、急にこんなことを振り返ったかと言うと、私は今、先代達が残してくれた資産を活用し、障害者の皆さんの生活を支える“福祉施設”を運営しています。
そこで私は、生涯かけて従事していきたい事業と出会い、充実した人生を送らせてもらっているのですが、これは先代達が築いてきてくれたリソースがあったからこそであり、その恩をいつか先代である母に返したい、という思いを強く持っていました。

他社に賃貸中のモナミ本社ビル

◾️思い立った母への親孝行はすぐに出鼻を挫かれる

そこで、日々“福祉施設”を運営することで蓄積していっているノウハウを活用して、母が老後に利用できるデイサービス等の高齢者施設を作り、安心して、母のことを事業として、一生面倒を見ていこう!と(母の意向も聞かずに勝手に)2024年末に思い立ち、それを夢見て猛烈に情報収集を進めていきました。
その情報収集の中、とても大事なことに気付きます。母はまだ66歳と若く、施設を利用するようになるまで(勿論何があるか分からないけれども)10年以上ある、いうことです。(すぐに気付けよ!という話ですが)親孝行の出鼻を大いに挫かれました。

デイサービスの目星にしていた物件

◾️母とのぶっちゃけトーク

「困ったな、、」と思った私は、率直に母に、「お母さんのためにデイサービスとか作ろうと思ったんだけど、利用するのはあと10年以上先っぽいんだよね。お母さん、この10年で、やりたいことって、何かないの?」とフルオープンに聞いてみました。

すると、「あんた達が生まれてから、家族のためにパチンコ店の経営をお父さんとずっと一緒にやってきたんだけど、やっぱり喫茶店の運営をまたいつかはやってみたいなって思ってたんだよね。まあ結局チャンスはなかなか無かったんだけど」という話をしてくれました。

「え!やろうよ、それ!手伝うから!」というと、母は「え、本当に〜?」と言いながらも、嬉しそうに見えました。


◾️母への提案 喫茶店の復活

せっかくだから、昔、お父さんとお母さんが喫茶店をやっていた(出会いの)本社ビルで、喫茶店をやろう!
ちょうど、いま賃貸しているパチンコ店との契約も、あと2年程で終わるところ。このタイミングで、喫茶店を始めよう、と提案をしました。

母は少し困った顔をしながらも、たまに私が実家に帰った時には「喫茶店の名前考えてみたんだよねー」とか、「ホットサンドプレスを買ってみた」と、喫茶店経営に向けて色々と考えている様子。
そのことに、私はとても嬉しくもありながら、母がノリ気になった今、絶対に成功をさせねば、、と思うと、検討すべきことが多々あることに気付いていきます。


【私の重要ミッション】

◾️この店は“親孝行”が最大のテーマであり、最も叶えるべきは“この店をやってよかった”と母の満足度が最大値に(約10年後に)なること
※利益を上げることが最大の目的では無い(そのために、既存事業の経営を盤石にする必要あり)

◾️閑古鳥が鳴いていたら、母も悲しむし虚しい訳で、地域から愛されそれなりに繁盛するお店にしなければならないこと

◾️母のこだわりの空間やメニューを実現するために、フランチャイズでの運営はしないこと
(飲食の経営ノウハウもないのに)

◾️しかしながら、内装や食事メニューについては、母が具体的なイメージを持っている訳でもなければ、自ら調べたり動くことはないので、母が「そうそう!こういうのをやりたかったのよ」となるように、こちらが情報収集し、複数の案を提示しながら、母のやりたいことを具現化していくことが求められること
(それでいて、イマイチな食事メニューや内装にならぬよう、“今風”に気付かれぬように寄せる必要がある)

◾️かつ、それらの内装の希望やメニューのこだわりを叶えながらも、ギリギリでも黒字経営にすること
(経営者である私のワガママで運営するからには、黒字化は必須)

◾️喫茶店を運営し始める頃母は70歳近く、毎日の長い時間の勤務は無理だろうし、運営体制はこちらでしっかり築くこと。それでいて、しっかりと「母の店」と母が自覚できる運営であること。(これがなかなか難しい)

などなど、自分で運営するよりもよっぽどハードルが高いな!と思いながら、母のわがままを全部叶えていくことは、息子としては嬉しくもあり、同時に、過酷な飲食店経営を自らが担っていく覚悟を決めているところであります。


◾️私のやりたいことも重ねてしまおう

また、せっかく関わるならばと、私が千葉県で運営する障害者の就労支援施設にて、珈琲豆を焙煎したり、パンを焼いたりして、喫茶店で提供できる一部のメニューを自社生産すべく、体制を作っていっています。母のやりたいことに、私のやりたいことを重ねちゃおう!ということです。

千葉県のモナミの就労支援施設

◾️目指すは、、

夢は膨らむばかりですが、飲食店の経営経験は当社に全くありませんので、上述の【重要ミッション】を達成するためには、飲食店経営者に知見やノウハウを借りるなど、やらねばならないことがたくさんあります。「飲食店はそんなに甘いものじゃねぇ!舐めるな!」というお叱りも飛んできそうですが、それでも、きっとやりようはあるし、できるはずだ!と信じています。

母のこだわりが詰まっていて、毎日楽しくお店を営めて、地域から愛されて、それなりに繁盛して、ギリギリでも黒字になる店をピンポイントで創り上げていくことが、母の夢というよりも、息子である私が、母のために勝手に叶えたい夢であります。

大変だけど、私自身が新たなチャレンジを一番楽しんで、頑張りたいと思います!

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