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高卒、19歳で開業届を出してから丸3年。フリーランスになるまでの10ヶ月を詳しく話します

正直、高卒からフリーランスになるのはおすすめできません。

高校を卒業して4年。フリーランスになってから3年。最近では「若いうちにフリーランスになるには?」なんてテーマのイベントに登壇したりXでの発信をしたりしている私ですが、心ではそう考えています。

だって…奇跡だと思うもん!ここまで来れたの!!

たまたま、気づけたこと。
たまたま、繋がったご縁。
たまたま、出会ったもの。

そんな「たまたま」だらけの3年間を過ごしてきた私のキャリアが、みんなにとってのベストプラクティスになるわけがない。

「みんな、フリーランスになりなよ〜」なんて言うのはあまりにも無責任だと思っています。

だけど私は「高卒だけどフリーランスになりたいんです」という人に出会ったら、頭ごなしに「やめな」とは言えません。

誰よりも「やりたいことがない」コンプレックスを抱えてきたからこそ、やりたいことがある人の勇気を挫くことは許されないと思っていますし、

ここまでの経験から、家庭の事情や体調、スキル面などで「高卒でフリーランス」がベストな選択となる人が一定数いることも事実だと感じているからです。


このnoteは、そんな「一定数」の人に向けたカタログの1つ。

本当なら大学を卒業してこの春から社会人になる今だからこそ話せる、特に濃くて濃くて濃い、フリーランスのももを作った「高校を卒業してから開業届を出すまで」の10ヶ月の記録をお届けします。


ちなみにその10ヶ月とは、メンタル面の調子でいうとこんな感じ。

一定数に当てはまらない方は「そんな人生を送っている人もいるんだな〜」と思っていただき、いつか進むべき道に迷っている人がまわりにいたら「こんな奴もいるらしいよ」と見せていただけたら嬉しいです。


海外大進学を諦めて「進路なし」を選択した話

時は、2020年3月に遡ります。

当時高校2年生から3年生に上がろうとしていた私は「大学は海外に行こう」と考えていました。物価の安さと多様性に溢れた国であることから、行き先はマレーシアを予定。説明会に行ったり資格試験の勉強をしたり、順調に準備を進めていました。

ちなみにJKのももさん。髪は巻いてたしカラコンつけてた。自由制服の学校だったけど、今見ると結構派手なほうだったのかも…と思ったり。

しかし、そこに到来したのが新型コロナウイルス。

「明日から休校です」と突然告げられ、ショックを受けたことをよく覚えています。

友達と会えない。高校最後の学校行事は、お知らせもなく当たり前のように中止。頑張ってきた部活はきちんと引退できずに、なあなあで終わり。なんで私たちだけがこうなっちゃったの?

本当は世の中全員が何かしらの大切な予定を奪われたはずだけど、そう思ってしまうくらいかなり落ち込みました。

コロナになって一番落ち込んだのは、部活の引退公演が中止になったこと。中高一貫で5年間頑張ってきたラストを飾れなかったのが本当に本当に悔しくて虚しかった(当時のInstagramアーカイブ)

世の中も混乱し、私も突然変わった事態に呆然とする毎日。

▼その頃の私のお話は、こちらから

そんなとき、ふと自分が海外大志望だったことを思い出した私は「この状況、1年後には収束しているのかな」と思いました。海外に行く1年後、世の中はどんな状況なんだろうと。

私なりの見解は、わりとすぐに出ました。

「きっと、渡航してこれまでの学生と同じ生活を向こうで過ごすのは無理だ」

そもそも渡航できる可能性が低い上に、渡航できたとしても寮でリモート授業。貴重な学生期間を使い、決して安くない金額を親に出してもらってまで行く価値があるのかと考えたときに「今ではない」と思いました。

それに、海外の大学には「ある程度社会人経験を積んでから大学に行く人」もいます。

私が通おうとしていた大学は高校の成績を提出し、資格試験で一定のスコアを取っていれば入学できたこともあり、いずれにせよここから1年間英語の勉強と学校の成績だけは頑張ろうと決意しながら、1年後大学に行くことは一旦諦めたのです。

とはいえ、結論を出すのは怖かったです。そんなときに背中を押してくれたのが母の言葉。

「(コロナになった)今ってさ、世の中のみ〜んなが一旦足を止めて自分のことを見つめ直している期間だと思うの。それでゼロからスタートするって人もたくさんいるはず。だから、たった1年遅れてダメなんてことはないと思うよ」

一年遅らせてもいいかな?と親に言い出すのに、心のハードルが低くなった言葉でした。

◆ やりたいことがないのに、大学に進学する意味ってあるのかな

ちなみに日本の大学に行って、途中から留学するのはダメだったの?といった声をいただくことがあります。

海外大に行けないなら、大学も行かないし就職もしない。たしかに結構極端な選択ですよね。でも、当時の私的にはかなりしっくりきていました。

というのも私は、いわゆる職業としての将来の夢がないタイプの「やりたいことがない」人間だったんです。

海外大に行くことにしたのも、なりたい職業がないなら一旦英語だけでも身につけた上で、環境を変えて必死に勉強してみようと思った結果。

いわゆる日本の大学生活にもそれほど興味がなく「大学生は『人生の夏休み期間』ってなに?それ、学生してる意味ある?そのために高校で必死に勉強するってどういうこと?」と思っていました。

だったら、セルフで空白の期間を作ってもいいんじゃないか。そのほうが縛られず、自由にいろんなことができるんじゃないか。そう考え「いっそのこと大学に行かない」という決断をしました。

むしろ高校を卒業する頃にはだいぶワクワクしていて「早く空白の期間を楽しみたい!」とすら思っていましたね。

自分のことが、とても嫌いになった話

そんなわけで、21年3月に高校を卒業!

青春っぽい写真も撮りました
日本の大学の卒業式に出ないことを確信していたので、袴を着させてもらった図

結論から言うと、4月末にはめちゃくちゃ病んでました。

3月は高校を卒業して旅行やらディズニーやらを楽しみ、4月は免許合宿へ。そこまではよかったのですが、一気に予定が空白になくなったことに対して不安を感じてしまったんですよね。

同級生たちはだんだんと大学に馴染んで楽しんでいるのに、自分は何もしていないことへの焦り。友達の楽しそうな姿を喜びたいけど、どこか悔しいようなモヤモヤするような気持ち。

SNSで様子を伺いながら「大学、行けば良かった」と自分の選択を後悔したりしていました。

こうなることも想定はしていて、分かってるつもりでいたけど、全然分かっていなかった。想像以上に自分の「予定なし」耐性がなかったともいえます。

だって当初の私の計画では、

3~5月:休む。とにかく何もしない
6月:色んなところに行きながらやりたいことを考える
7月:やりたいことを全部やる期間、スタート

みたいなことになっていたから。これで5月になる前に心が焦り始めた私、早いなあ…

でも当時は「休んでるのに。なんもしてないのに。なんでこんなに心が穏やかじゃないんだろう?」とずっと考えていました。

…その頃の話を私がリアルタイムでしてくれているnoteが、実はありまして。

「ちょっと人生やめたかった話」なんてタイトルがついています。だいぶしんどかったんでしょうね(今となっては他人事)

フリーランスとしてお仕事を始めるときに「やっばい、こんな自分見せたくない無理無理」「さすがに隠さないとだめだな」と全部下書きに戻したのですが、ここまで読んでくださった方だけに一部をお見せしちゃいます。

当時は本当にTwitterの延長線くらいの間隔で投稿していたので、体裁も整っていないし本当に恥ずかしすぎる。(なーーに悲劇のヒロインぶってるの!誰がいいねすんのよこんな記事!!)

ご興味のある方がいたら、よければ読んでみてください。

https://note.com/preview/n9f86e0885dbb?prev_access_key=b9fd7f6f61f05708f1ca80289b6d2dcb

https://note.com/preview/ne34035f86e93?prev_access_key=c9cdd82cc6cfdf1fdcba971e8cc7d47c

◆ 小さな「やりたいこと」を、1つずつ叶えてみた

しかし私は、落ち込んでからそう時間が経たないうちに、自分が病んでいる原因として「何もしていないからじゃない?休むことが向いてないんじゃない?」と思うようになります。

なんでそうなったのかを思い出せないのが残念なんだけど…たぶんこの頃は毎日のように夜散歩をして歩きながら思いを巡らせていたので、たくさん考えたのかな。

ひたすら好きなこととか思ったことを書き出したりもしてた

そして、予定を早めてやりたいことを少しずつ始めてみることになります。少しでも興味があることにはとりあえず手を出して、やりたいことを片っ端からやっていきました。

ちなみに、なぜこの行為に及んだのかというと私には将来の夢がないとはいえ「小さなやりたいこと」がいっぱいあったから。

◯◯になりたい、こんなことを勉強したい!そういった願望がなく、代わりに「デザインできるようになりたい」「レジン作ってみたい」「本出してみたい」「写真上手くなりたい」といった細かな欲があったんです。

高校時代も、友達と行ったディズニーの動画を編集してみたり、ネイルチップを作ってみたり。調べながら色んな趣味に手を出したなあ…。

占星術にハマって星読みをしてみたり、瞑想にハマってマインドフルネスの資格をとってみたり

ということでやったことを全部書き出してみると、こんな感じ。

車の免許取る / デザイン / カメラ / レタッチ / ネイルチップ作り / 動画編集 / 青春18きっぷで旅をする / 占い(やる側) / 英語の勉強 / Instagramで発信する / YouTubeやってみる / ていねいな暮らし / noteを書いてみる / 映画見る / マインドフルネススペシャリスト / アロマテラピー検定 / 色彩検定 / 簿記 / カリグラフィー / 歌 / ギター / 料理 / お菓子作り / プログラミング / 漫画とことん読む / お試しで1人暮らし / 投資

(ほんっと、こんなにやりたいことがあるなら最初から休む期間なんて設けずに動けばよかったですね…まあ「何もしない。が向いていない」と気付けたのが収穫でしたね)

ちなみに、いろいろとやってみるついでに「人生かけてやりたいことがないなら、困らないようになんか細々とスキルを手に入れてみるか」とSHElikesに入り、片っ端から講座を見ることもしていました。

▼入会を決めたときの記事

◆ でも、全然ぜんぶ飽きちゃった

でも、ここで順調にいろんなスキルを身につけられたかというと、そうではありませんでした。むしろ、ここからも全然しんどかったです。

というのも、私のスキル勉強は全部「かじった」程度で全く続かなかったから。

・「基礎編」が終わると、知った気になって興味がなくなってしまう
・次々と興味があるものが出てきて、今やっていることを放置してしまう

思えば、そんな私が原因だったのかなと。でも当時はそんな言語化もうまくできていないものだから、

「あ〜私、このまま本当にやりたいことがない人間で居続けるのかな」
「これ、就職しても3日でやめるんじゃない?」
「私、社会不適合者じゃん」

そんな言葉を自分に投げかけてどんどんと自己嫌悪に浸っていったことを覚えています。

振り返ると、そんなに落ち込むことでもないな〜と我ながら思うんですけどね。そのときの私は「休んでたらだめなんだ!じゃあなんかするか!」と立ち上がったのに、立ち上がってみたら何にもできなくてまた座っちゃったな…みたいな、そんな状況。

初めての壁よりも、立ち直ってまたぶつかった壁のほうがよっぽどしんどくて、何も自分のことが信じられなくて、自分の好きなものとか嫌いなこととかこれまでにしてきた選択とかが全て間違いなんじゃないか…とか、そんなことを考えていた時期でした。

あと覚えているのは「自分で選択したことだから、まわりに弱音を吐いてはいけない」と思ってたこと。恵まれているからこそできる選択をしたのに、何もできていないことにひたすら焦って、それをまわりに言うこともできずに虚勢を張りまくってたことを書きながら思い出しました。

鋭い友達には会ったときに「大丈夫?なんか迷走してない?」と心配されたりもしたけど「大丈夫。今は迷っていい期間だから」なんて強がり続けて、一人になると大泣き。自分に対して呆れていた期間でしたね。

▼当時聴いてたYOASOBIの「群青」。「好きな物を好きと言う。怖くて仕方ないけど」って歌詞が刺さって、今でも聴くとあの頃の気持ちを思い出します。だから、ちょっと聴くのが怖いです

高校のときに10kgくらい体重を落としたのに、ストレスで爆食した結果、15kg太ったのもこの頃です。人生最大の病み期でした。

◆ 「もしかして、書くことなら続くかな?」

転機になったのは、それでも懲りずに色々なものに手を出す中で「お金」や「副業」について勉強したことでした。

「お金の勉強はしておいたほうが良い」という家の方針もあり、まずは本やYouTubeで基礎からスタート。いろんなものを見ていった中でリベラルアーツ大学にどハマりし、毎日のように動画を見る中で出会ったのがこの動画です。

プログラミング、コンサルティング… さまざまな副業が紹介されている中に「アフィリエイト / ブログ」がありました。ブログかあ…と思ったところで、私はふとあることに気づきました。

「あれ。私、書くことならできるかもしれない」

というのも私、ここまでの日々を日記に残していたんです。上で残したようにnoteも高校3年生の頃から書いていたし、小さい頃から思ったことがあるとメモ帳とか裏紙にば〜っと書き出すタイプ。

つまり書くことに対して、嫌悪感が一切なかったんです。

飽き性がブログを始めたら、100日間毎日投稿できて、ライターの仕事ができた話

ということで私は、アフィリエイトブログに手を出すことになります。しかしこのときには、学んでいました。

「なんとなく始めたら、絶対に続かないな…」
「これで何も得られなかったら、いよいよ本当に自信を失いそうだ」

だから、こんな風に目標を立ててみることにします。

・収益は関係なし。一円でも得られたらラッキー
・立ち上げるところから、発信をするところまで全てできるようになる
・一般的に上手くいっていれば結果が出始める100日間、毎日更新してみる

目標を「学ぶ」ではなく「継続」にしたわけです。

そこからは、毎日ひたすらパソコンに向かいました。もちろんブログサイトを立ち上げて収益の仕組みを導入したり、分析ツールを使ったりするのもはじめてだったので、調べては実践する日々。

テーマを毎日リサーチして、丸一日予定がある日があったら前日のうちに2本書いておく。途中からは自分のスタイルを確立したので4~5時間ほどで書けるようになりましたが、最初は10時間ほどかけて毎日記事を書いていました。

その結果…なんと100日間達成!その後もゆるく続けて、130本ほどの記事を書きました。

当時のストーリーたち

もう何かに挑戦していることを口に出すのも怖くて、数人の友だちにだけ伝えたチャレンジだったけど、達成感もすごかったし、やっと成功体験を得られたことで自信もつきました。

でも、感覚としては大変だった!というより楽しかった!という感覚。そしてあっという間だった。ブログを書いていると本当に1日があっという間に過ぎていったんです。

それと同時に思ったのは、やっぱり書くことは「嫌じゃない」こと。当時はテンションが上がってて「書くの好きです!」と言っていた気もするのですが、今の私が断言しましょう。「嫌じゃない」が正しいです。

好きかどうかと聞かれるとなんとも言えないけど、苦じゃなくできること。それが私にとっては「書く」こと。

それまでは「やりたいこと」を仕事にしようと考えていましたが、50本ほどを投稿した頃から、これが仕事になるのであればそれはそれで良いのかもと思うようになりました。

◆ たまたま、初のライター案件をゲット

そんな私に、ラッキーが舞い込みます。ブログを始めて80日ほどが経過した頃、ライターの仕事をさせていただく機会をいただいたのです。

依頼元は、高校3年生のときに学生インターン(学生支部メンバー)として所属していた株式会社TABIPPO。

海外大学に行かないと決意したはいいものの、まわりの友達はみんな大学受験の勉強か就活。遊び相手もいないし、何かしたいな…と思ったときに「大学生に混じればいいか!えいや!」と飛び込んでみた会社でした。

実はこの出会いも結構運命的で、拙いながら17歳の自分がこちらの記事で書いている(書いていた自分を褒めたい)ので、よければぜひ。また今度、今の自分目線でリメイク版を作ります。

ライターの依頼は、このときのメンバーたちに対して公募をする形で投げかけられました。ブログを始めてしばらく経ち、書く仕事にも興味を持ち始めていた私は「やるしかない!」と半ば勢いで手を挙げたわけです。

もちろん、心配もありました。

完全に独学で文章を書き、ブログを運営してきたため「記事のプロに、文章を見てもらうのか…」とドキドキしたり「プロの現場に混ぜてもらうって、粗相しないかな」と自分が社会から見たときにどういう風に見られるのか不安になったり。

とはいえ、一度手を挙げてしまったんだからやるしかない。できることを一生懸命やろうと、最大限の努力で記事執筆に臨ませてもらいました。

いろんなご縁で「フリーランスにならざるを得ない」状況になった話

最初の取材が終わり、試行錯誤しながら原稿を提出して数日後。

「大丈夫かな…『使い物にならない。これにお金は払えない』とか言われたらどうしよう」と思いながら返信を待っていた私の元に、編集者さんからこんなLINEが届きました。

は〜……ホッとした!!
それでいて、超超超超超嬉しい!!!!😭

もちろん赤入れはありましたしフィードバックもいただきましたが、本当に嬉しかったし、肩が軽くなりました。

それまでブログを続けてきた私も全部含めて褒めてもらえたような気がして、書くことを始める前の迷いまくっていた私も、何もかも飽きてしまった私も全部認めてもらえたような気がして、泣きそうになったことを覚えています。

◆ 一本、また一本と継続。 気づいたら「扶養、超えてない?」

こうして私は、3ヶ月の連載を無事に遂行。

するとなんと、終わる頃に担当してくださった編集者の方から「今度別のメディアで企画があるんだけど、そこでも書いてくれない?」とお声をかけていただきました。

実はその編集者さんはフリーランスの編集・ディレクターであり、別のメディアや紙媒体、ブランド運営などでもお仕事をしている方だったんです。

クリエイティブディレクターのALLYさん。私の師匠と呼べる方です!

私も迷わず「お願いします!」と言い、続けていくつかの記事でお仕事をさせていただくことに。ご飯会などにも呼んでいただき、いろんな方とのご縁を繋いでいただきました。

最終的には「アシスタントをやらないか?」とお誘いいただき、ライターとして依頼をいただく傍ら、編集・ディレクター見習いとしても1年半ほど一緒にお仕事をしました。

また同じ頃、今もお世話になっている「ふたり広報」のあいさんをはじめ、私がライターを始めたことをSNSなどで知った知り合いの方からチラホラとご連絡をいただくようになりました。(この出会いも1つ1つが運命的なので、スピンオフを書きたい)

その結果、初めてライターとして仕事をした2ヶ月ほど後には、飲食店でのアルバイト代も超えて案件数が増えていく未来が見えることに。

「あれ、このままだと扶養を超えちゃうな?」
「開業届、出しちゃおうかな」

ということで2022年1月12日付けで、Freee開業届を提出することになりました。フリーランス・もも、ここに誕生です。

今だから思う、過去の私へのありがとう

こうして何者でもなかった高校生の私は、19歳でフリーランスとなりました。

できるだけ当時の目線で書いてみたのですが、最後に今の私の目線から「こんな自分でよかったな」「この選択をしてくれてありがとう!自分!」と思うことを書いてみます。

ありがたいことにまわりからキツい否定の言葉をかけられたことがなく、恵まれているからこそ、私だけはあんまり自分を褒めてはいけない人間だと思っているのですが、こんなときくらい良いよね。

◆ 個人ブログをイチからやってくれてありがとう

個人ブログって、トライアスロンだと思うんです。

ブランディングとかデザインとかちょっとしたプログラミングだとか、いろんなスキルがちょっとずつ必要。ライティングも、SEOとそうでないもののどちらもが必要だったりするんですよね。

それに、正直「書く」が続けられるか検証するなら、もっと違うプラットフォームでも良かったはず。それこそnoteとか。

当時は「お金になるならやるか〜!」と一番面倒くさい(であろう)WordPressでサイトを作る方法を選んだけど、この挑戦をしなければ知らなかったことがたくさんあったと思います。

それこそWordPressの入稿方法とか、ブログをやってなかったら知らなかったもんね。だから、ありがとう。

◆ 運が降ってきそうな場所にいてくれてありがとう

私はとてもラッキーな人間だと思っています。人に恵まれているし、ここぞというときに素敵なご縁をいただけている。

でもそれは「運が降ってくる可能性が高い場所にいたから」でもあると思っています。

学生団体に入っていなかったら私の人間関係は学校と家族と友達で止まっていたから、こんなに広がることはなかっただろうし、100本の記事が残されたブログを持っていなかったら、私が書くことに対して本気で向き合っていると理解してくれる人はきっといなかったでしょう。

運が降ってくる場所にいて、運が降ってきたらそれを無駄にしないために努力したから、今があるはず。そう信じています。

◆ たくさん、背伸びをしてくれてありがとう

私は小さい頃から、自分の身の丈より一回りも二回りも大きな服を着せられる機会が多い人間でした。

親の仕事柄、小さいときから大人がたくさんいて小難しい話をしている環境で1人ゲームで遊んだり、習っていたテニスも3歳のときに6~7歳くらいのクラスに混じったり。

中2ではオーストラリアにホームステイをしに行ったり、1人で渡航できる15歳という年齢になったその日にフィリピンに留学したり。

正直こういった経験をしたからこうなったのか、元々そうだったからこういう経験ができたのかは分からないのですが、その結果いまの私は「物怖じしない」性格になっていると思っています。

いや。怖いけど、それが当たり前になってしまっている。かな。

もし私が物怖じしたり「いや、自分にはまだ早い」といろんなチャンスを見送ってしまう性格だったら、きっとこうはなっていないと思います。

こんな風に私を育てる「大きな服」を着させてくれた親にも感謝ですし、それに乗っかって精一杯背伸びして、その環境を楽しんでくれた過去の自分にもありがとうと伝えたいです。

***

このnoteを公開する前の私は、口頭で話しているとつい端折ってしまうドロッとした部分も引っ張り出したので「私のことをよく知ってくれている人はどう思うんだろう」とドキドキしています。

でもフリーランス4年目に突入したこのタイミングで、全部書き出しておきたかったのでスッキリ!

いろんなドロドロを引きずってきたことを忘れないように。前例があまりない道を辿ってるから生まれる不信感を、少しでも拭えるように。過去の自分には「なんとかやれてるよ」と伝えられるように、このnoteを書いてみました。

ご覧いただいて、ありがとうございます。

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