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パタヤのゴーゴーバーみたいなタイトル・・「スーパーガール」

かつてタイはパタヤに友人と遊びに行ったことがある。
夜、底が抜けるほど酒を飲んで、翌朝二日酔いを引きずりながらビーチを散歩し、木陰で腰をかけて休んでいると視界の影からやおら声をかけられた。
振り向くと、妙齢の白人女が立っていた
歳の頃は30歳半ばにも40歳後半にも見える、何とも判断しにくい雰囲気の女であった。サングラス越しにも目が虚なのがわかるほど、一目でシラフではないとわかる雰囲気の女であった。
女は名を「ナターシャ」と名乗った。
そして俺の飲みかけの迎え酒ビールをひったくると、喉を鳴らして飲み込み、前触れなく自分の半生を語り始めたのだ。俺に、というよりは俺の背後にある何かを見つめながら
ナッタァァァシャァァァ!フゥロム!ロッシィィィヤアァァァ!!
と、K-1の選手呼び出しのような勢いのある巻き舌で唐突な導入が始まった。この感じで書くと文字数がえらいことになるので、以降は俺のサマリーでナターシャ一代記のご案内をしようと思う。なお、俺の英語力も大したことがない上に、あからさまにまともじゃないロシア人の英語などきちんと翻訳ができている方が奇跡だと思う、不備についてはなにぶんご容赦、ご勘弁を願いたい。間違っていたところで何も迷惑のかかるところはないと思うが。

名司会レニー・ハートを彷彿とする発声量だった

ナターシャが初めてタイを訪れたのは20代前半の、まだ太陽のように輝いていた若く、はち切れんばかりの頃(彼女曰く、このタイみたいにあたしもホットでシャイニーだった、と)。
若いナターシャはすぐに出会った男と恋におちた。一緒にタイを中心に旅をして、セックスとドラッグとレイヴに溺れるだけ溺れた。やがて金も尽き、金が尽きると男も冷たくなり、それからは流れるような転がるような日々。一緒に暮らした男もいたが長続きはせず、一人で生きるのにもっとも効率よく、そして彼女が、いや、若い女が異国でできる唯一の商売といってもいい、性を売る事を決断したのだ。

話を聞いてる間中
「真夜中のカーボーイ」のことばかり頭に浮かんだ

といっても売春をしたわけではない。そう、タイの国営事業といってもいいほど人気の「ゴーゴーバー」、いわゆるストリップである。
確かに彼女は背が高く(172-3cmはあった)、スタイルもスレンダーであった。モデルといっても過言ではないスタイルではあった。本人曰く「ナターシャ!スーパーモデール・・ユーノー!?」とのこと。(もちろん信じてもないし調べてもいない)
当然就労ビザがないので、裏で跋扈するロシア人コミュニティの斡旋で働いていたとのことであるが、最近悲しいことが起こったとのこと。ガサ入れ?ノンノン違います。そう、「老い」である。
妙齢を超え高齢に差し掛かろうとするナターシャは、正式にステージに立つ事を止められたのである。これは聞いていて非常に悲しい気持ちになった。
理由や背景はどうあれ、これまでのストリッパーとしての自負や実績もあろう、そうしたことが加齢というどうしようもない理由で、ある日突然取り上げられるのだ。これは単純に彼女の自負、自尊心だけの問題ではない。そもそも食い扶持がなくなってしまうのだ!
そこでナターシャが次のキャリアとして提示されたのが「女ムエタイ」だった。(三回聞き返した)。
ダンサーとしての旬は過ぎたので、セックスシンボルとして舞台に上げることはもうしない。しかし、「戦士」としてなら舞台にあげよう、というのだ。観光客向けのキャットファイトムエタイショーに出て戦え、と言われたのだという。
腐ってやがる。
ここの女衒どもは、弱く選択肢のない女をどこまで食い物にしやがるのか。
そんな義憤を感じる俺の横で、ナターシャは「あたしは勝つわ!」と言い放っていた。そして「あなたに観に来て欲しいの・・私の・・もしかしたら最後になるかもしれない戦いを・・」と、ジョーと白木のお嬢さんよろしく、断ち切れない因縁に縛られた二人・・のような口調で誘ってきたのだ。10分前に出会って、缶ビールを勝手にタカられただけの俺に・・。

確かに会話中ずっと、白木葉子と同じ表情だったわ俺

俺は結局見にはいけなかった。彼女が勝って、また次の試合が組まれる事を、そしていつの日か祖国、母なるロシアに帰れる日が来る事をただ願っていた。
そんなナターシャの所属していたお店が確か「スーパーガール」だったと記憶している。(後日確認したら「スーパープッシー」の間違いでした。)
なので早速観に行きました。
頭の中で「カァァァァラァァァア!!!フゥロムゥ!!クリプトォォォォンン!!!」と叫びながら。

あらすじ:

スーパーマンが地球を救った後の世界。故郷クリプトン星を失ったカーラ・ゾー=エルは、唯一の心の拠りどころである愛犬クリプトと静かに暮らしていた。そんなある日、突如として現れた謎の敵クレムの攻撃により、クリプトが毒に侵されてしまう。カーラは解毒剤を手に入れるべく、同じくクレムに家族を奪われた異星人の少女ルーシーや凶暴な賞金稼ぎロボとともに、宇宙規模の壮大な戦いに身を投じていく。

映画.comより引用

正直それなりに期待をしていった。というのは前回「スーパーマン」はかなり良い感触を感じたからだ。圧倒的、高潔、完全無欠で描かれてきたスーパーマンがより現代的に、迷いや弱さを描き、それを乗り越える信念を描くという現代的なupdateが非常によくworkしていたと感じたのだ。
しかしながら今作においては、むしろ古臭さ、既視感の連続で、ストーリーにも画的にも全く新しさも驚きも感じなかった
まずやさぐれ方が古くないか?大酒飲んでロックではしゃいで二日酔いってのは90年代のイメージでは?じゃあ今は何?と言われても戸惑ってしまうが、たとえばスーパースーツを着て大久保公園の前で立ちんぼとか、ホストに貢いで明け方の歌舞伎町で下着丸出しで寝っ転がる、みたいな感じだろうか。

また、作中にて主題の一つとして掲げられる「復讐」については、これまた何というか一貫性がなく。ヒーローゆえに仕方ないのであるが、やはり無条件で復讐を止めようとするのが何とも歯がゆい。家族を気まぐれで全滅させられたら、もうやることは復讐しかないだろ。ヒーローだろうが神だろうが、それを止める権利はないはずだ。昔の日本でも仇討ち御免は認められた権利であり、年齢、性別は問われなかった。
なのにどうだ、「あなたは子供」とか「復讐は何も生まない」とかもう長年耳にしてきた当たり前の理屈を甘ちゃんのように繰り返し、いい加減うんざりしたところに、まさかのこの女が代わりに剣をぶっ刺して殺すと言う暴挙!舌の根も乾かぬうちの屠殺、つーかどうせなら子供にやらせてやれや!復讐の権利すらも奪ってどうするんじゃ!

拝一刀を・・そして大五郎を見習え!

しかも何だ、「これは何とかの分!」とかキレた悟空のように殴りまくって、最後に「これはクリプト(犬)の分!」とか言って殴ってたけど、まて!犬は瀕死かもしれんがまだ生きてるはずだ!!
ときっと殴られている悪役クレム君も思ったはずだ。

まさにこれ

圧倒的に期待外れだったスーパーガールだが、この先アメコミヒーローものはどのようになっていくのだろうか。すでにあらゆる表現をやり尽くし、この先というのはあるのだろうか?
次はスパイダーマンが控えている、正直シリーズの中では一番好きなフランチャイズなだけに期待と不安が混じる。初めてサム・ライミ版を見たあの感動をもう一度味わいたいものだ。


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