見出し画像

【梅園魚品図正】(63) 小鮪(こまぐろ・しび・はつ)

出典:国立国会図書館デジタルコレクション『梅園魚品図正 巻2

小鮪

小鮪    コマクロ 江戸  シビ 西國  ハツ 大坂
目ジカ   江戸   キワダ
黒鰻魚   清俗
『萬葉集』 鮪

目バチ鰹、メシカ鰹、皆、鰹の名を呼とも「小マクロ」也。鰹にヲトれり。又、筋カツヲ、アシカ鰹、ウツワ、コワ、など云あり。是は皆、鰹の別種なり。マクロの小にして、一尺内ち外なるを「目ジカ」と云。

「細キ者ヲ為シ 鱠ト、大ナル者ヲ為ス サシミト」
『本草綱目』『本草約言』等に「治ノ 病ヲ 之効多シ」と云。

乙未八月三日得求 真寫

『畵圖西遊譚』 江漢
十一月十四日、長嵜を發、而三里、時津より肥前平戸嶋に渡着す。扨、平戸城下、廻舩數十艘かゝる。

鮪(西国にて「シビ」、大坂にて「ハツ」、江戸にて「マグロ」)を積て、其舩追々に發して、冬月時雨に帆を張りて、玄界灘げんかいなだを過て、長州下ノ関に至り、夫より周防灘を越て、阿波の鳴門を渡り、志摩鳥羽ノ浦より伊豆の東海を経て、七八日にして江戸へ來る。又、舩中滞あれば、塩につける也(予曰、此れ透身と云、樽漬にして送る)。舩中に兼而塩の貯あり。鮪は、伊豆にて秋頃漁する者は三四尺、平戸にて五六尺、支那から南京にては丈余毒有。

※ 畵圖西遊譚は、江戸から九州の見聞記『西遊旅譚』。著者は、江戸時代の絵師で蘭学者の司馬江漢しばこうかん
※ 「扨」は、さて。
※ 「兼而」は、かねて。

江漢、同十二月、肥前須草■(■は子+交)子嶽に日外る。八日、此嶌の中松本と云る処、鮪魚を見る。鮪は、冬月山々のきしを群れて來る。故に、山の腰に網をしくく。一と網に二三百疋、或は、四五百疋、大りやうの時は數千疋も入るよし云々。

又、タカマツ鮪をくらはんとして、人を畏れづ。舩の際まで来る。
タカマツは鱅、シヤチホコなり。本條に委説、故に此に漏らしぬ。

予曰、江漢は油画に描を得たり。今、世上に油画を畵く者の祖とす。


📖


貝原益軒が引用した『西遊旅譚』の該当ページです。

十七日四時過に平戸島に着岸す

出典:国立公文書館デジタルアーカイブ『西遊旅譚4』5/31
須草(すくさ) 此所は城下の後 田助の脇也
須草よりのり出たる圖 波高し

出典:国立公文書館デジタルアーカイブ『西遊旅譚4』9/31
鮪網(しびあみ)の圖

出典:国立公文書館デジタルアーカイブ『西遊旅譚4』12/31
鮪漁

出典:国立公文書館デジタルアーカイブ『西遊旅譚4』13/31
鮪見樓(しびみろう) 鮪網

出典:国立公文書館デジタルアーカイブ『西遊旅譚4』23/31



筆者注 『梅園魚品図正』は、江戸時代後期の博物家、毛利梅園による魚図鑑です。説明文書は漢文体が中心でのためパソコンで表示できない漢字が多く、漢文の返り点と送りがあります。読みやすさを考え、パソコンで表示できない漢字は □ とし、名称の場合はできるだけ [■は〇+〇] の形で示すようにしました。

また、漢文の返り点と送りはカタカナと漢数字、振り仮名と送り仮名はひらがなで記載しています。
この作品に引用されている文献については、こちらの note を参照してください。 → 【梅園魚品図正】文献まとめ

● は解読できなかった文字を意味しています。新しく解読できた文字や誤字・誤読に気づいたときは適宜更新します。詳しくは「自己紹介/免責事項」をお読みください。📖