短歌。
今日は、午後から「第十八回 小野市詩歌文学賞」「第三十七回 上田三四二記念 小野市短歌フォーラム」に。(入場無料!)
今日は、短歌部門の選考委員として永田和宏さん、小島ゆかりさん、俳句部門の選考委員として高野ムツオさん。そして、鼎談のメンバーとして俵万智さん、永田紅さんが来られていた。
終了後、私の前に座っておられた方から、
「私、俵万智さんだけは昔『サラダ日記』を読んで知ってるんですけど、他の人たちも有名な方々なんですか?」
と尋ねられたので、
「今日はこの上なく贅沢なメンバーで、これだけの方たちがここに集まったら、今日は全国どこでも短歌のイベントは開催できないくらいですよ。」
と(ちょっとオーバーに)答えておいた。(^_^)

13時開会で、主催者(小野市長/蓬萊務さん)あいさつのあと、第1部、小野市詩歌文学賞の授賞式。今年は、短歌部門が桑原正紀さんの『麦熟るるころ』、俳句部門が大木あまりさんの『山猫座』。


短歌部門の永田さん、俳句部門の高野さんの講評が、いずれも素晴らしかった! 休憩時間、走ってロビーに向かい、桑原さんの『麦熟るるころ』を買いに行ったのだが、すでに完売だった。ああ…。(>_<)

相変わらず素敵♪
永田さんは、昨晩の受賞者らとの食事会で、受賞者の桑原さんとは、50年前にサッカーで対戦したことがあるのを知ったと仰る。不思議なことがあるものだ。
話は少し逸れるが、永田さんは現在、宮中歌会始詠進歌選者を務められ、宮内庁御用掛もご担当とのこと。そして、もうひとりの選者、小島ゆかりさんも、宮中歌会始の儀の召人(めしうど)を務めた(務めておられる?)とのこと。なんか、すごいなぁ…。天皇陛下も、歌を詠んだり、一方では「Get Wild」を聴かされたり、大変だよなぁ。σ(^◇^;)
短歌部門の小野市詩歌文学賞を受賞された桑原さんは、19年間、病身の奥様を看病され、そして喪われたのらしい。『麦熟るるころ』は奥さま没後の歌集。
永田さんが(今日のパンフレット用に)選ばれた十首の中には、このような歌があり、講評でも触れられていた。
人に遇へば人にやさしも猫に遇へば猫にやさしも旅のこころは
もう土を踏むことのなき妻の骨さやさやと鳴る骨壺のなか
奥様の死後の哀しさを詠んだ歌だが、例えば「さやさやと鳴る」の中に救いのようなものが感じられて、悲しみとともに優しさを感じられる歌が多い、と永田さんは仰る。
2010年の彼の歌集『妻へ。先年待たむ』には、このような歌があるらしい。
今日妻の発せし言葉ふたつみつ花びら拾ふごと書きとむ
私は、永田さんの選ばれた十首の中で、事前に、次の二首に印を付けていた。
ひとり来て池のほとりにおもひをり鯉の十年、われの十年
〈食べさせたい〉人ゐなくなり十五年こんな独りが世におふれゐる
「〈食べさせたい〉…」の歌には、少し社会的な要素が感じられるようにも思うのだが、永田さんが口頭で触れられた歌の中にはこんなのもあった。
ウクライナも麦熟るるころミサイルの飛び来る空に芒たててゐむ
力尽くといふやり方がまだとほる二十一世紀とは思ひえざりき
「ウクライナ…」の歌は、この歌集のタイトルにもなった歌。「力尽く…」の歌については、ネットでは調べられず表記はちょっと不明だが、今の世のことを思わされる。
桑原さんは受賞のあいさつの中で、上田三四二さんの、「短歌や俳句は船の底荷のようなものだ。」という言葉に触れられた。「底荷」とは、船の転覆を防ぐため、船底に積む重い荷物のことなのだそうだ。短歌や俳句は、そういった種類のものであるべきなのだと。
俳句部門受賞の大木あまりさん『山猫座』についても、また、高野さんによる選評についても触れたいのだが、ちょっとキリがないので、省略しようかと思う…。
ただ。配られたパンフには高野さんが選ばれた十句が掲載されていて、私が印を付け、高野さんも講評で触れられたのはこの句。
鎌倉の水羊羹と無常観
「水羊羹から無常観への飛躍が見事。」「舞台は鎌倉だし、源平の盛衰や、世の儚さを連想させるが、そこに滑稽味もあるのが素晴らしい。」とは高野さんの評。(あとの鼎談の中でラップファンの俵万智さんは、「水羊(羹)」と「無常」も韻を踏んでいて、ラップ好きからすると興奮する!」と話してらした。)
大木さんも、数十年の闘病生活をなさっておられるのだそうだが、必ずしも悲壮にはならず、
惜しみなく病めよ生きよと花吹雪
などと詠めるのも彼女だからこそ、と高野さん。ちょっと省略し過ぎちゃったけれど、そんな講評だった。
(おふたりへの副賞はそれぞれ100万円! 小野市民よ、それはいいのか…?σ(^◇^;) 投稿に1,000円か1,500円かが掛かり、それが6千数百首というから、それでちゃんと回っているのかなぁ?)
* * *
第2部は、小島ゆかりさん、俵万智さん、永田紅(こう)さんによる鼎談「家族と短歌」。永田紅さんは和宏さんの娘さんで、コーディネーターの小島さんからもずっと「紅ちゃん」と呼ばれていたので、混乱しないよう、以下、「紅さん」と書きたい。

それぞれが、「家族」をテーマにした歌を三首ずつ選び、それについて解説。そして、三者がお互いの「家族」について詠んだ歌を一首ずつ選ぶという展開。(「何も事前の相談をしていない。」と仰るのに、予定時間通りに終わらせる小島さんのタイムキープに驚かされる!)
家族の歌は、5年間「家族」と別居中の私には、つらかった。本気で、つらかった…。(>_<)
去年、『生きる言葉』を読んで、「ちょっとなぁ…」と思っていた万智さんだったのだが、これがとっても解説上手で、完全にやられた。ちょっと悔しかった。
解説は万智さん、歌は紅さん、全体のバランスを取るのは小島さんの力量が抜群だった。
お三人以外の歌だと、万智さんが選ばれた笹本碧さんの歌、小島さんが選ばれた奥村晃作さんの歌が良かった。
両親が両脇に居てくれることこんなにも親不孝な幸(しあわせ) (笹本さん)
歩かうとわが言ひ妻はバスと言ひ子が歩かうと言ひて歩き出す (奥村さん)
ここは解説は省略。皆さん、読み味わってみてください。
そして、お三人が互いに選んだ歌(それぞれが他のふたりのそれぞれ一首、つまり、それぞれ都合二首を選んでいるということ。)については、紅さんが選んだ小島さんの歌、万智さんが選んだ紅さんの歌、小島さんが選んだ万智さんの歌を(順に)紹介したい。
そんなにいい子でなくていいからそのままでいいからおまへのままがいいから (小島さん)
川の字の一画目なるわたくしのはらいの脚が布団より出る (紅さん)
「いない」という存在感を発揮して美化ではなくて深化する父 (万智さん)
ここも解説は抜きでいこうかなぁ。皆さん、それぞれに読み味わってみてください。
ちなみに、もう一首迷ったのは、小島さんが選ばれた永田紅さんのこの歌。
踊り場のカーテンを母が開くる音に目覚めし朝がこの家にありき (紅さん)
これは、亡くなった紅さんのお母さま、つまり、和宏さんの奥さま、歌人の河野裕子さんの死をテーマにした歌。
「『ありき』の部分に少し前向きな感じがあるよね。失ったあとに感じる『気配』みたいなものが絶対にあって、この歌からはそれを感じ取ることができる。」などと仰った万智さんの読みは見事だったと思う。
「家族とは…」という話も幾つもあって、メモも取ったのだけれど、やっぱりつらくって、ここには書かない。別居して5年が経ったけれど、まだまだ消化できないでいるものが、私の中には、ある。
* * *
休憩後の第3部は、表彰式。これが、陽気でお喋りな蓬莱市長のために大幅な時間オーバー。私もこうして壇上で蓬莱市長から表彰状を戴いたことがあるんだけど、そのときはこんな「インタビューコーナー」、無かったなぁ。σ(^◇^;)


仮面ライダーのポーズを取る小学生。^ ^


馬場あき子さんから講評を戴いたことがある。
馬場さんから歌会「かりん」に誘われたのは、
私の自慢♪

入選、優秀賞の方の歌も、
こうやって解説される。
これも、私は一度経験がある。
上の歌、
私は「吾子」の成長(冒険)に驚かされる
母親の気持ちを感じる。

胸ポケットと書いてしまうと
種がバレちゃうから
と小島さんは仰るが、
「鼓動聞きつつ」だから、
やっぱり胸じゃないのかなぁ?
手品師と鳩との対話を感じる。

こういうのが好きだなぁ。


下の句は、
「つまも籠もれり我も籠もれり」
を思い出させるリズム。

私も昔数年間やっていたことが。
(そのころは手書きだったけど。)
「銀河鉄道9999」…。σ(^◇^;)
13時から、約4時間のイベントだったが、とっても勉強になり、刺激になり、楽しい時間だった。
「歌は、作り続けることが大事。」
と永田和宏さん。そうですよね、私も一時は「短歌脳」だったんだけどなぁ…。ちょっと、それを思い出したいと思う。
近年は来られてはいないようだが、馬場あき子さんは現在98歳で、今年も歌集を発表されたのだそうな。見習わねば。

右、永田紅さん、真ん中、俵万智さん。
あ、私も投稿したのだった。残念ながら、今年は選外。
仕事の歌なので、少し書き改めて下に紹介。
子どもらの歌とりまとめ読みふける彼らの未来平和なれかし
お粗末さまです。
*写真は画像が粗いのでそのままでもいいかとも思ったのだが、市長、選考委員、鼎談の参加者、詩歌文学賞受賞のおふたり以外については目元を隠させていただいた。また、「短歌フォーラム」受賞者のご住所、お名前についても、冊子にはまとめられているのだが、ここでは伏せさせていただいた。
