【小説】「桜華―あなたの声が聴きたくて―」#3 第三話
それから、医療倫理学の時間が近づく度に、胸の奥がきしむようになった。三浦駿の声を聞くのが、怖い……。
涼の声をもつ人だと思っていたけれど――
今は、そんな風には聞こえなくなってしまった。
「では、次のケースを考えてみましょう」
大森教授がスライドに動画を流した。
テロップが表示され、ナレーションが入る。患者は十七歳の高校生です。白血病を患っています。小学生低学年と、中学二年生のときに長期入院の経験があり、今回、再び抗がん剤治療を勧められています。
「治療は、一定の効果が期待できます。そして治療をした場合は、しなかった場合よりも五年、寿命が延びるという検証がされています」
少年は医師の説明を聞くと、全身の力が抜けたように生気を失い、下を向いた。同席していた母親が、少年の肩を抱いてつぶやいた。
「耕太郎、治療をするわよね……」
少年は何も答えなかった。
「耕太郎、君のためだ。元気にならないと、やりたいこともできなくなる」
父親が追い打ちをした。
「そうよ……。ママは、耕太郎に自分を大切にして欲しい」
下を向いていた少年は、ゆっくりと顔を上げて母親を睨みつけた。
「抗がん剤がどんなに辛いか知らない癖に――僕は治療を受けたくないんだ」
そういうと、少年は診察室のドアを乱暴に開けて、一人で何処かへ駆けて行った。残された両親は、顔を見合わせて、すぐに少年を追いかけた――
動画はそこまでだった。
大森教授は、学生たちの顔をゆっくりと見渡してから口を開いた。
「さて、このとき、医療者はどのように関わるべきでしょうか」
講義室はざわついた。
「難しい」
「医師よりも親子関係のほうが大事なんじゃないか」
「治療を受けてもらうには、少年と仲良くなるしかないか……」
様々な声が聞こえてくる。でも、誰も手を上げようとはしない。特に、今日のケースは難問だ。少年と言えども、もう十七歳で、あと一年で成人の年だ……。
だけど、二十歳で成人だった頃に比べたら、十七歳はただの高校生だとも言えるわけで――。私は、迷っていた。
「これは、少年との関係を大切にしながら進めるべきだと思います」
村松徹の声だった。
「そういう立場も、もちろんあり得ます。あなたは、どう思いますか」
大森教授は、一人一人の表情を伺うかのようにゆっくりと視線を注いでいく。私は、一瞬、目が合ったが下を向いてしまった。
「僕は、保護者とも、本人とも同じように関わりをもつべきだと思います。なぜなら、本人の意思と、保護者の意思はどちらも尊重されるべきですが、保護者の意見が優先されます」
三浦駿の声だ。青くて冷たい――。
「なぜだね? もう少し聞かせてくれないか」
大森教授のリクエストに応え、三浦駿は自信に溢れた様子でいつものように持論を展開した。
――本人は、過去の治療がどれだけ辛かったか体験から理解している。だからこれ以上、治療を受けたくないと考えるのは当然である。だが、保護者は、治療をした場合も、しなかった場合にも、その結果を全て引き受ける立場にある。つまり、治療をせずに寝たきりになってしまう場合にはその後の生活を支える責任があり、亡くなってしまった場合には、哀しみを背負う責任がある――
「ですから、双方の意見が一致しないままの場合、最終的には、責任をもつ側、つまり親の判断を優先せざるを得ないと考えます」
「相変わらず、説得力があるなあ」
大森教授が、安易に相づちを入れたことが、私の心のどこかを動かした。
「それは、本人の拒否を無視するということですか」
思わず、質問をしていた。自分でもわかるくらい棘のある声だった。
三浦は、こちらを見た。
「無視はしません」
「それはどういうことですか」
「意見として傾聴します。でも、その意見をそのまま採用するわけにはいかないですよね」
「でも……」
言葉が詰まってしまう。だが、言い返したい気持ちが勝っていた。
「自分の人生だから、拒否したいと言っているんですよ」
私は、絞り出すように反撃した。
「それでもです」
三浦の声には迷いがなかった。だから一層、私の心は暗くて重い感情に傾いていく。発言したことを後悔してしまいそうだった。
彼は青い色を纏い正論を述べている――その青い防御は、誰の意見をも跳ね返す。だからこそ、引っかかるのだ。なぜ、もっと相手に寄り添おうとしないのだろう。彼の冷たさが際立った。
……私にだって、高校生の命を繋ぎたい気持ちはある。だけど……彼の意見には賛成できなかった――
割り切れない思いを抱えたまま、私は茂上さやかと昼食に出掛けた。
「あの二人が、私たちの討論グループにいるなんて、すごい班編制だよね」
「う、うん」
微妙な相づちを打ちながら、さやかの顔を見ると愉快そうな笑顔を浮かべている。
「それに、三浦に反対意見を思わず言えちゃう桜華まで同じグループなんだよ」
さやかは、けらけら笑っている。
「私は、グループ討議は、黙っているしかないか」
その愉快そうな雰囲気につられて、さっきまでの重い感情は薄れていった。
「でもさ、桜華は普段は口数が少ないっていうか……聞き役なんだよね」
不思議そうな表情で、私の顔を覗き込んだ。
「よほど三浦駿と気が合うか、全く気が合わないか、どっちかなんじゃない」
「やだなあ。からかわないでよ」
私も、いつの間にか笑っていた。
いつもの学内レストラン「ダイニング杜の香」に到着した。そこは、店内に様々な植物が大きな鉢で植えられ、青々と葉を広げている。まるで森林浴をしているような気分になる。BGMはさり気なくジャズやボサノバが流れている。
さやかは窓際の席に荷物を置いて、私に目配せした。窓際の席からは、学内の公園が見えて開放感がある。
人気メニューの、日替わりワンプレートランチを注文した。パスタと肉料理が楽しめて、小さなデザートまで付いている。セット価格でフリードリンクも追加できてお得だ。
「桜華は、三浦君のこと、どう思ってるの?」
思い掛けない質問をされて慌てた。
「なんで?」
「なんでって……ぶつかってるのに、なんだか距離が近く見えるから」
意外な言葉に驚きを隠せなかった。
「そんなわけないじゃない」
私は、毎回、医療倫理学のグループ協議の時間が苦痛でならないのだ。
「ほら、むきになってる。意識してるからじゃないかな」
さやかは、いつものように笑っている。
「からかわないでよ」
怒りが込み上げて、きつい声になる。
「ふふっ、いつか気付くわよ」
思わせぶりな表情をしながら、さやかはテーブルに届いた魚介のトマトクリームパスタを一口、食べた。
さやかの言葉を打ち消すように、私はむすっとした顔で、スモークハムをつついた。三浦駿の声が最愛の兄の声に似ていると、さやかに話したことを後悔していた。さやかは、兄がアメリカの大学に臨床実習に行って、誤発砲の銃弾に撃たれ即死したことも知っている。三浦駿が好印象だった頃に喋ったことだ。
だが修正しても、さやかの記憶は書き換えができないようだった。
「今は違うから」
何度言っても、伝わらなかった。
明日の夕方は、さやかに誘われて、大学病院の院内学級のボランティアに参加をする。カリキュラムの一部として、ボランティアを定期的にするように推奨されていて、規定時間を越えると単位に換算される仕組みなのだ。
夏休みに参加する前に、一度、様子を見ておくことになった。
「ボランティアの単位換算って助かるわ」
デザートのミニパフェから、スイカ色のジュレを一掬いして、さやかは口の中に放り込んだ。
私はアイスコーヒーを口に運んだ。
「毎週、参加しなくても、長期休みだけ継続するだけでも単位換算できるところが続けられそうな気がする」
平日にこつこつ通うのは無理がある。大学生活と課題のリポートと、ちょっとしたバイトをするだけで毎日が終わっていく。
「平日に参加しているボランティア大学生なんていたら、それこそ、表彰もんだわ」
大げさな表情で言うさやかに、思わず吹き出した。
「じゃ、もしいたら、さやかが表彰してよね」
「表彰はしないけど、缶コーヒーくらい奢ってあげましょうか」
いるわけないと踏んださやかは、大盤振る舞いな言葉を連ねた。
「あ、でも東陵医科大学生のみに限定よ」
「わかった」
私も話半分に聞き流しながら、その場の雰囲気を楽しんでいた。
翌日は、朝から雨が降っていた。夏の雨はスコールのように降りつけてくる。大学へ行くまでに、洋服がほとんど濡れてしまった。
講義室は、濡れた衣服のじめっとした匂いで充満していた。冷房は濡れた肌を容赦なく冷やしていく。
私は、鞄の中のミニタオルでもう一度、濡れた服を拭いた。着替えが必要だったのかも……そう思いながら周囲を見ると、私と同じように濡れた服を拭いたり、背もたれで上着を乾かしたりしている人がいた。
この日の講義は、なんだか集中できなかった。基礎教育科目の語学が二講義と、生物学があった。基礎科目の日は、三浦駿と同じ講義がない。だから、討論から距離を置いて穏やかに過ごしていた。
三浦駿の声と、涼の声は全く違うものだということが、何度も聞いているうちにわかった。ただ、少し低めで深いところに響くところが似て聞こえてしまっただけ――。空気感が少しだけ、重なっていた。ただそれだけのことだった。
午前中は、基礎科目のときだけ出会う友達と講義を一緒に受けた。午前中の授業が終了すると、さやかと「ダイニング杜の香」で待ち合わせをして、一緒にランチを済ませ、生物学の講義に向かう。大学の基礎教育科目というのは、どうしてここまで退屈なんだろう。生物学は、まだ比較的好きな講義だった。
「生物の進化と歴史」について、動画と教授の話を聞いているうちに、隣に座ったさやかは、開始早々から居眠りをしていた。雨の音は、心地良さを誘うのかもしれない。
雨の湿度と、雨音が外の世界から講義室を遮断していく。ダーウィンの進化論について講義を聞いていると、今、ここに生きていることは、生き残ってきた命であることを実感する。
個体差の中で、「たまたまその時の環境に有利な特徴」を持っていたものが、生き残りやすく、多くの子孫を残すか……。だとしたら、涼は生き残れなかった種ということになる。何事もなければ、私なんかよりも、よほど有利な特徴を持っていたであろうに。不意に涼のことを思い出して、いつしか浅い眠りに落ちていた。
夢の中で、私は涼と手をつないで家路を歩いていた。あのとき、何か大切な言葉をもらった。どんな言葉だったのだろう……。その言葉は、思い掛けない言葉で、当時の私にとって信じたくないことだった。だから、忘れてしまったのだろうか。
――いつまでも思い出せない言葉を頭の片隅に置きながら、涼よりも長い人生を送ることになる。
目が覚めたとき、さやかはまだ机に伏して眠っていた。私が眠っていたことがばれずに済んだ。
ようやく講義が終わった。私は、さやかの耳元で囁いた。
「さやかさん、朝よ」
「あ、寝坊しちゃう」
慌てて起きたさやかの表情がおかしくて、大笑いした。
いつの間にか雨は止んでいた。
私達は、大学の敷地の隣にある東陵医科大学付属病院へと向かった。受付でネームプレートを受け取り、四階にある院内学級へと向かう。四階のエレベーターから降りた途端に、そこは病院ではなくて、学校の雰囲気が漂っていた。
夕方の時間は、院内学級の授業が終わり、個室や大部屋に戻って、宿題をしたり、トランプや、ボードゲームをして過ごしていると聞いた。私達は、医学部生ということで、宿題のサポートを期待されている。
「あ! お客さんが二人来たよー」
元気のいい小学生が私たちを見て、挨拶をしてくれた。
「兄ちゃんに知らせてあげよう」
その男の子は、やんちゃそうな笑顔を浮かべた。
「兄ちゃーん、新しいかわいい姉ちゃんたちが来たぞー」
奥の部屋へ、叫びながら走って行った。病気を抱えているなんて思えないような屈託のなさにほっとする。
「え、新しいボランティアさんが来られたの」
奥の部屋から、誰かの声が聞こえてきた。
「兄ちゃん、こっちだ。早く来いよ」
小学生に腕を引っ張られながらやってきた人物を見て、私は思わず声を上げた。さやかも同時に叫んでいた。時間が一瞬、止まった――
「三浦 駿……」
なぜ、ここに……。
「あれ、君たち」
三浦駿の表情は、いつもとは全く違っていた。さっき会った男の子のように、やんちゃそうな笑顔を浮かべていた。
音楽
南かのんさん
【癒しピアノ】雨の日のお茶会より
Across the Distance ,To You (距離を超えて、あなたへ)
その中の二曲を持ち込みの画像で使わせていただきました。
ありがとうございます💐
プロローグに各話をリンクしています。
