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"再会、父よ" ファーストガンダム半スピンオフ作戦 『テムよ…』 SCENE 10

レビル将軍と対面するあたりからブライトさんは、アムロがガンダム開発者の息子だと自分だけが知っているという呪縛から、徐々に自分を解放していきます。

結局いつの間にか軍人にさせられてしまったホワイトベース一行は、ジャブローで辞令を受けたり、身体検査を受けたりと、ある意味では久しぶりに人として扱われていきます。

さすがに皆さん、身上書とか、提出してると思うんです。

それでもなーーんの話もないってことは、です。これはもう、ほんとにブライトさんのただの思い過ごしか(違うけど)、アムロが徹底的にダマ張ってるか、または軍を挙げてひた隠しにしているか、です。

こうなったらブライトさん、変に知ってたことにするとかえって大変です。

ベルファストでもそうです。レビル将軍、アムロがガンダムパワーアップメカについてプロジェクター使って皆んなの前で堂々と説明してるの見て、「うむ、よく分かった。」みたいなことしか言ってなくて。ここでちょっと拍手でもしながら

「さすが博士の息子!」

とか言ってくれたら…ブライトさんも少しは気が楽になったことでしょう。でも、言わない。いやー、これはもう、俺からは絶対言えない。

ほんとはブライトさん、一度、ミライさんにこの悩みを相談しかけていたんじゃないかって思うんです。
あの、アムロが脱走しちゃったときの、ミライさんと今後のアムロについて話をしたとき。…

ブライトさん、アムロをガンダムから降ろすというよりは、パイロットとしてではなく、マシン全般の強化対策とかに本格的に回ってもらった方がいいんじゃないか、という思い付きがあったのかなって思います。初期段階から、「人を使って君が中心になってガンダムを整備しろ」と言った答えがここまでのガンダムの活躍でもあるわけで、その整備能力も尋常じゃない。その分野での人の使い方だって、きっと素晴らしいはず。さらにこの頃には、戦闘シミュレーションなんてものまで作ってるくらいでした。これが成功すれば「女だって戦えると証明」したがってた当時のセイラさんにも、それでホントにガンダムを動かすことができるなら…。
もちろんブライトさんも、アムロがガンダムを"一番うまく"使えてるってことは分かりきっています。でもでもやっぱり、一番は勝手な出撃とかされるのが困るってこととは思うんです。
直前のときもアムロ本人にはひとまず「気をつけてくれよ」って言い方ができてて、アムロも素直に反省しててよかったんですけど、そのあとミライさんに相談してみて、何となくブライト本人もほんとにこれでいいのかって思ってる面もあったり、ミライさんたら全然賛成してくれないし、着地点もどんどんあやふやになっちゃってたらそこを横から盗み聞きされててミライさんが気づいちゃう。(盗み聞きっていうか、ちょっと横見りゃ気付く位置。気づけよブライト…)
話が途中になっちゃって、アムロ出てっちゃって、あー。

で、もうやめようと。アムロもこれで曹長だ。一軍人同士として、ちゃんと向き合っていこう、と。改めて決意を固めたブライトさんでもあったかもしれません。

(もしかしたらレビルさんも、まさか誰も知らないなんて思ってなかっただけかもしれませんけど。)

ただこのもう少し後でブライトさん、アムロとは別の、主要乗組員の生い立ちに関して、もっととんでもない秘密を知らされてしまいます。

あー、あのエレベーターでの一言は、こういうNGだったのか!!

…軍人としての能力は高め設定の、ブライトさんです。

地球を出たホワイトベース、またしてもシャアの追撃に会い、一時的にサイド6へ。ここでアムロは父に再会します。

しかし、今回タイトルに使った、『再会、父よ』は、この第33話のタイトルではありません。しかも次の第34話が「宿命の出会い」というタイトルで、ララァとの出会いが描かれるので、父との再会自体が全くもって影の薄いものになってしまいます。

上記タイトルは、のちに映画『めぐりあい宇宙』で父との再会シーンに使われたBGMのタイトルになり、アルバムに載ります。よかったね、テム。

さて、アムロはララァとの出会いによって更に覚醒していく、ということになっていますが、実は彼女と出会う前、テム・レイとの再会直後にも、その兆候は見られています(テレビ版では)。

あの印象深い、戦闘中のアムロの眉間に走る閃光、あれがなんと、父親と再会した直後の、まだララァと会ってないこの第33話の戦闘シーンで、ひょっとしたら初めて(私調べ)、発動します。(目から火花、とかはあるけど。映画ではもっと前から頻繁に眉間を光らせてます。)

アムロの覚醒には、父との再会がもたらした影響も、少なからずある。

この第33話では、ニュータイプの覚醒というよりは、少年から成年へ向かうアムロが、父を越えていく(いかざるをえない)姿を描いているものと受け取ることができます。映画ではニュータイプ話を優先する措置が取られてしまうのですが、テレビ版では、このサイド6でアムロが、父とララァの二人に、それぞれ二度、交錯しながら出会っていることは、実は大きな意味を成しているという受け取り方ができます。アムロを父の背中と切り離しながらララァに出会わせているのです。映画は、もう父がどうなっていくか分かった上で観る感覚で作られている感じします。

しかし、本当に父は、ダメな人間になってしまっていたんでしょうか。

アムロが偶然父を見かけたとき、彼は本屋から出てくるところでした。

完全に自分一人で、普通にその本屋の中にいた彼は、(最初から目的にしていたかものかどうかは別として)欲しい本を持って一人でレジへ行って、スマートに自分で代金を支払って購入し、何の不自然さもない足取りで本屋から出てきて、一人で間違いなく目的地へ向かうバス停まで行き、目的地へ向かうバスに間違いなく乗り、車内で今買った本を誰に迷惑をかけるでもなく静かに読みふけり、その本に気を取られすぎることなく確実に自分の家の最寄りのバス停で、その料金も間違いなく納めているかたちで、全く問題なく自分一人の力で下車しています。

完全に頭がおかしくなってしまった人、とするのは、疑わしいところだって、思います。

SCENE 11

『テムよ…』ファーストガンダム半スピンオフ作戦

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(近日)

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