辺野古をめぐる問い45「高校生はなぜ辺野古にいたのか──共同性が導く物語と事実」
1.今回の事故に対する違和感の正体
今回の事故を知ったとき、違和感を覚えた方は多かったのではないかと思います。この違和感を問いにすると、次のようになります。
高校生が辺野古に来て、反基地団体の船に乗ったのはなぜか
この問いから、いくつかの前提の整理ができます。
①この問いは、転覆の「原因」ではない。
事故に至る「要因」を示すものである。
②学校と反基地団体とは、通常であれば容易に結びつくものではない。
③「学校と反基地団体との結びつき」が事故の要因ではないか。
これは、人間の思考としてごく自然な反応です。
そして、「本来なら結びつくはずのないものが結びついている」という事実が、次のような二次的な疑問を生みます。
①学校は、反基地寄りの思想を持っていたのか。
②反基地団体は、学校を利用して活動を広げようとしたのか。
③悪意を持つ第三者が、自己の利益のために両者を結びつけたのか。
ネット上の言説の多くは、この三つの疑問に対して、それぞれの立場から答えを提示する形になっているように見えます。
2.今回の事故の特殊性
(1)海難事故の基本構造
修学旅行中の事故ですから、基本的には以下のような構造になります。
・加害者:反基地団体(海難事故を起こした当事者)
・被害者:学校
(2)共同性が認定された場合
しかし今回の事故には、「学校と反基地団体が共同して生徒さんを辺野古に連れてきて、船に乗せたのではないか」という疑念があります。
捜査・調査では、これを「共同性」という言葉で表現します。そして、もし海保が「学校と反基地団体が共同して起こした事故」と認定した場合、事故の構造は次のように変わります。
・加害者:反基地団体、学校
・被害者:生徒さん
(3)世論の動き
世論は、この事故を「通常ではあってはならないことが起きた」という感情で受け止めています。「事故は学校と反基地団体が共同して起こしたもの」という認識ですね。
この認識が、
・加害者への怒り(反基地団体・学校)
・被害者への共感(生徒さん)
という形で世論形成を進めています。
(4)当事者の多さと、それぞれの背景
今回の事故は、当事者が非常に多い点も特徴です。
・加害側:反基地団体、学校、旅行業者、船舶関係者
・被害側:乗船した生徒さん
そして、それぞれは以下のような背景を持ちます。
・反基地団体:辺野古基地移設に反対
・学校 :キリスト教
・旅行業者 :修学旅行における安全管理の主体
・船頭さん :牧師であり、反基地運動にも関わっていた
3.海保・文科省、報道、世論のとらえ方の違い
(1)登場人物の多さ
今回の事故の「要因」には複数の主体が登場し、それぞれの主体は教育・宗教・政治的主張などの価値観を持ちます。
ただし、共同性は「複数の主体が登場することで生じるもの」です。
また、異なる価値観が一致したとき、「本来なら結びつかないものが結びつく」という現象が起きます。この立証が共同性の立証になります。
(2)それぞれの立場の違い
登場人物と価値観の多さは、次のような発想につながります。
・海保 :共同性の解明は重要だが大変。時間がかかる。
・文科省 :海保と同じ立場。
・マスコミ:事故・教育・宗教・政治など多様な観点がある。
→ これらを統合して書ける記者は限られる。
・世論 :論点が多いことで、個人の主張がネット上に溢れる。
(3)世論の暴走を防ぐには
共同性は「物語」を無限に生みます。
とくに、「生徒さんを辺野古に連れて行き、反基地団体の船に乗せることに教育的価値がある」という価値観がどのように共有されたのかを想像すると、物語はいくらでも生まれてしまいます。
しかし、それはあくまで「物語(仮説)」です。
物語が事実化するようなことは避けなければなりません。
4.要因に対する個人的な考え
(1)要因は無数にあるが、その構造は一つである
無数の要因が物語を生みます。
しかし、事故に至る構造は一つしかありません。
海保と文科省は、この「事故に至る構造を解き明かし、確定する」作業をしているはずです。その際、当事者の善意(教育的価値があったと思った、牧師だから信じた等)はどうあれ、事故が捜査・調査の起点になります。
(2)事実と物語の違い
事実:事故という客観的事実を起点に逆算する(海保・文科省)
物語:「なぜ」を起点に主観で考える(世論)
(3)マスコミの報道を読み解くには
報道は本来「事実起点」であるべきです。
「なぜ」が起点になるとワイドショー化し、「特定の政治的主張」が起点になると偏向報道になります。
報道が問われているのは、この点だと思います。
5.自戒として
とはいえ、私も「物語を書いている一人」に過ぎません。
ちなみに、私は今回の事故の要因×構造について、次のような仮説(物語)を持っています。
学外の牧師 → 学内の牧師 → 職員会議の承認 → 辺野古見学の実施
繰り返しますが、これはあくまで仮説です。
ただ、この仮説には以下の論点が含まれています。
①なぜ辺野古見学が学校に入ってきたのか
②どうやって学校の公式行事になったのか
③誰が主導したのか
④どこで価値観の共有が生じ、共同性が立ち上がったのか
⑤企画責任・承認責任・実施責任は誰にあるのか
つまり、「共同性という概念」を理解する上で、一つの視点にはなると思います。しかし、これはあくまで仮説です。
物語であることを意識することが、私自身のリテラシーだと考えています。
